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20110515-999.JPG気になっていた、大木茂氏の写真集『汽罐車』を買った。本の詳細はこちら

この写真集を知ったのはどこだったか。どなたかのツイートだったと思う。まだ刊行前の頃だ。この写真を見て、吸い込まれた。買う!


ビニールにくるまれていた本を、深夜、心してテーブルの上で開封する。まずはカバー回りをなめるように見る。美しい。帯には、多くの作品を共にした、俳優・香川照之氏の言葉がある。まず、その帯を外してみる。
20110515_001.JPG.

そして、カバーをはずし、本体表紙。
20110515_003.JPG本体表紙は、もっとも自由奔放なページだ。商業的なもくろみもなく、デザイナーがいちばん遊べるページ。本体表紙については、かつてこちらに書いた。→丸田祥三『棄景V』『棄景origin』


カバーを戻し、表紙をめくる。そこには見返し。見返しは手触りを楽しむ。本扉は…前述のリンク先。この本扉だけでもうお腹いっぱいになる。氏、23歳のときの作品。

ページをめくる。いちいち、次のページに行くのに躊躇する。なんというか、次々にページを繰ることが、作品を消費してしまうような気がしてためらうのだ。次にどんなすごい作品が来るのか、どう裏切られるのか。

写真は144ページ、153点。私が見入る作品の傾向は、黒が美しいもの。撮影した時代が感じられるもの。これを、香川氏は「匂う」と表現している。的確だと思う。なので、C62重連ニセコの銀山峠などは、失礼ながら、あまり興味をそそられない。


もっとも美しいと思った作品は、128番浜小清水の流氷の朝。これは、本文(モノクロ20ページ)で大木氏自身の印象も強いそうで、私の、作品を見る目もそう変な方向を向いているわけではないと思う。

もっとも匂いを感じた作品は、49番野辺山。C56が未舗装の道路をバックで横切る作品(←リンク先の3枚目)。未舗装の道路が若い時代の光景のひとつだった私にとっては、こうした作品にグッと来る。なにより、夏の匂いを感じる。広田尚敬氏の作品にも、9600が北海道の未舗装路(遮断機なし)を横切る作品があるが、それも好きだ。

もっとも旅情を書き立てられた作品は、67番の抜海。

明るさと広さを感じた作品は、82番の香月と、133番沼ノ端。

人物を主題とした作品も多いが、あまりに完成されすぎていて、別の言い方をすれば本当に映画のスチル写真なんじゃないかと思うほど完璧なので、私の「引き込まれる度」でいえば上の作品たちに一歩譲る。



いま、「映画のスチル写真なんじゃないか」と書いたが、大木氏はスチル写真家である。とはいえ、大木氏のお名前はほうぼうで目にしてはいたが、映画のキャメラマン・木村大作氏と組むスチル・キャメラマンだとは知らなかった。目にしていたのは、こうした写真だ。
20110515_000.JPG(RailMagazine1991年6月号表紙)

大木氏といえば、この「ズーム流し」。露光中にズーミングする手法で、大木氏オリジナルとのこと。被写体が止まっているものに対する露光間ズームとは違い、走行中の列車に対してズーミングすることで流し撮りに見せるわけだ。もっとも、偶然にも広田尚敬氏も、広田泉氏も、それぞれ独自にその手法を使っていたというから、機材に対する研究心の塊のような人ならば到達する技術なのかもしれない。

また、この写真集に収録された作品は、1963年から1972年の間に撮影されたもの。大木氏は1947年生まれなので、16歳から25歳の間に撮影されたものだ。その撮影行は本文に詳しく紹介されているが、若くしてこの作品はほんとうにすごいと思う。



これだけの写真集が、3990円。鑑賞後、感じたのは「安い」。買うべし。
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交通新聞社新書の『日本初の私鉄「日本鉄道」の野望』(中村建治著)を読んだ。私のTL上では概ね好評か、好意的に迎えられているようだ。

20110510.jpg

私としては、本の完成度がとても低いと感じた。素材はとてもいいはずなのに。

内容、エピソードのひとつひとつはきっちりと検証している。登場人物も、そのとき何歳でどういう経歴の人かをきちんと書いているから、とてもわかりやすい。でも、単にそうしたエピソードを箇条書きに羅列しているだけ。挙げ句の果てに、下手くそな小説仕立てにしてしまっているため、おそらく膨大な資料を参照して検証された事実が、フィクションであるかのように見えてしまう。「ダイヤ作成の秘話」でお馴染みのお雇い外国人・ページのエピソードも入っていて、私はそれが誤りだと検証されているものを読んでしまっているのでますますいい加減な本に見えてしまう。(『日本の鉄道をつくった人たち』(悠書館)参照)

本書の書き出しは、青森までの全通から始まっている。小説仕立てで、18ページ目(本文1ページ目)では主人公である二代目社長・奈良原繁が開通一番列車に乗っている。その後、会社設立の経緯、まずは熊谷までの開業、高崎、仙台、などと帰納法のように展開していき、青森までの全線開通は単なる時代の一点として通り過ぎ、鉄道国有化まで行ってしまう。196ページで、ようやく冒頭の数日前の描写になる。その後、わずかなページで現・常磐線や東北新幹線に触れ、本書は終わる。なんだこのジェットコースター展開は。

小説仕立てが下手くそで困ったのは、『余部鉄橋物語』(田村喜子著/新潮社)も同じだ。どちらも、書き手が小説家でないものだから、台詞がすべて単なる説明なのだ。また、伏線というか、物語のつながりがない。本書22ページで、仙台開通記念式典が冬になったことを「あのお方のせいだ」といい、その伏線を回収するのは166ページである。しかも描写は重複している。

また、著者が撮影したという写真があまりにも下手くそすぎる。いまどき、携帯で撮ってももっとうまく撮れるしシャープに写る。なぜピンボケ写真がたくさん掲載されているのか。もしかしたら、版元のせいかもしれないが。私が担当だったら、著者が撮った写真は使用せず、別に手配しただろう。



まだ買う前の方。wikipediaの日本鉄道の項目鉄道国有法の項目を読めば十分です。







P2023367.JPG文句なしに素晴らしい本。「ノート」なのに、一冊の完成品を読んでいるようだ。それはもちろん、底本というか『最著片道切符の旅』を読んでいるからそう思うのかもしれないが、事実の描写、自分の感情の吐露が、普通に作品のように入っている。

宮脇氏の処女作(といっても『旅』などに寄稿はしていた)『時刻表2万キロ』は、氏がまだ中央公論社取締役時代に執筆されたものである。それに対して、第2作目『最長片道切符の旅』はフリーになって初めて取材・執筆した描き下ろしの単行本である。本書はその合間に位置する、第1.5作目であり、『最長片道切符の旅』にとりかかるよりの、本当にピュアな宮脇俊三が詰め込まれている。


しかし! なんだ、この蛇足は! 「鉄道マニア嫌い」と公言している原武史の解説である。巻頭で、宮脇氏ご令嬢・灯子氏が「素晴らしい脚注をつけてくださった」と記しているが、本当にそう感じているのだろうか?と穿った見方をしたくなるほどの蛇足っぷりだ。

加えて! 横書きで記された手書き文字を活字に起こす際の変換ミスの多さ! 間違いなく「キハ」と書いた部分を「モハ」としている部分が何ヶ所があるが、これは「キ」の癖字を「モ」と解釈したためだろう。同様に「ユ」(郵便車)を「エ」、「52」を「62」と誤記している部分もある。編集者が鉄道に少しでも詳しければ、こんな誤りは起こりようがない。そして、このミスが編集者の責に帰するのであれば、宮脇氏を貶める行為である。なぜなら、読者は「宮脇氏は、キハとモハ、ユ(郵便車)とエ(救援車)の区別もつかないのか。キハ52も知らないのか」と思ってしまうに違いない。


的を脚注に絞ろう。あまりにひどいので、読みながら鉛筆でマークしていったら、ほぼ全見開きにマークがついた。いくつか類型に別れる。

◎明確な誤記
・P28 注2)士幌線末端部を「国鉄で最初に営業休止となり」と解説。そうか、昭和53年より前に営業休止になった路線はひとつもないのか。
・P29 注6)「当時の旭川は」とあるが、「当時の旭川は」の誤り。
・P222 注4)紀勢本線の最後の開通区間の誤り。

◎本当の蛇足や脚注者の単なる感想=脚注ではない!
・P29 注4)「落合」という駅名をさして「まさか東京メトロ東西線の落合を指しているわけではあるまい」。くだらない。
・P35 注2)「~皮肉って書いたのだろうか」
・P276 注2)「乗客の立場から言えば、関西のほうが便利」。前提条件がごく一部の事例であって、おかしい。
・P294 注5)「ここは~最も見ごたえのある区間だと思う」。脚注者の感想などいらぬ。
・P329 注6)「香川県にゆかりのある著者は、幼少期から島の多い瀬戸内海を見慣れていたのだろう。だからこそ退屈したのではなかったか。」思い込みで、著者の人格に関わる点において適当なことを書くべきでない。
・P403 注5)「嵐山光三郎とはこの点が違う」。なぜ突然、嵐山光三郎なのだろうか?
・P412 注1)「この感覚、JRから客車の普通列車が全廃されたいまの人々にわかるだろうか。」うるさい。
・P420 注7)つける言葉なし。

◎言葉足らず
・P28 注3)当時はすべて「青函連絡船基準」ということを一切説明していない。
・P58 注3)深名線の、朱鞠内での系統分割について。駅員が「わからない」と言っていることに対して、脚注は「その理由を聞いている」だそうだ。脚注でそれを解説すべき。

◎解説足らず
・(随所)「○○で 分停車」「つぎの (磯部注:駅名が入るはず)で」という記述があるが、一切追記なし。宮脇氏のノートには「何分か」や「駅名」が書いていなかったにしろ、それを補うのが脚注ではないのか。
・(随所)「(要カクニン)」と本文にあるのに、脚注に解説ナシ。
・(随所)「指フ7、グ6、指フ5、自4、…」などという記述が頻出するが、一切解説ナシ。鉄道を知っていれば、「7号車が普通車指定席、6号車がグリーン車、5号車が自由席…」とわかるが、一般人は絶対にわからない。この解説は、なんとP306でようやく出てくる。
・P330「79才と34才のホステス」の事件…というのがなんだかわからない。実際の事件なら、世相が反映されているはずなので、こういうことこそ脚注が必要。
・P390 注8)宮崎のリニア実験線について書いているが、いまその使節がどうなっていて、どう活用されているのかを脚注に書くべきではないのか。


もっともっとあるのだが、キリがないのでこのあたりにしておく。
こうしたネガティブなことばかり書いたが、この本は、宮脇氏の炯眼が随所に盛り込まれている。いまも通用する見方であり、後年、乱作気味に書き散らした作品には感じられない、すばらしい洞察が散りばめられている。それを個々に揚げるのは、読む楽しさを奪うのでやめておく。

本書は、脚注を読んではいけない。腹が立って、宮脇氏の素晴らしい文章を味わえなくなる。裁断機で下から4cmを切断してから読み始めることをおすすめする。

20110126-02.JPG「広田尚敬 編集」と銘打った素晴らしいイヤーブック『鉄道写真』。1998年から2005年まで刊行されていた。2002年版と2003年版は持っていたが、高価ゆえに全部そろえてはいなかった。それが、秋葉原のTamTamに立ち寄った際、合本が安価で売られていたのを見つけた。豪華箱入り上製本である。発売当時7000円もしたものが、3000円である。そのときは買わなかったが、後日、ヤスコーンさんの手を煩わせて入手した(ありがとうございました)。

作品のすごさに圧倒される広田氏の写真集が4冊分がセットになって、しかも割引で売られていることに複雑な思いはあるが、買い物としてはありがたい。

中はこのように、4冊を表紙ごと合本にしてクロス貼りとしている。
20110126-03.JPG広告も当時のまま。

でもよく見ると…

20110126-04.JPGページの端が断裁されている。

まあ、事情はいろいろ見えてくる。


そしていま、amazonをチェックして驚いた。他の『鉄道写真』、たとえば『鉄道写真2005』などは新品が半額で売られている。欲しい人にはチャンス。ムックが安価になった分は、構造上、版元が損をしているだけだ。繰り返すが、割り引かれていて複雑な思いはするが、堂々と買っていい。

作品については、ただひたすらにそれに魅入るだけだ。
たしかこの本は、招待作品のように読者の秀作を集めて掲載していたと記憶している。そのどれもが素晴らしい。それらと、広田氏の取り下ろし作や過去の作品がギュウギュウに盛り込まれている。


観点としては、12年~8年前の本ということで、本の作り方が違う。写植で作成したページばかりなのだ。フォント(写植では「書体」という)の選び方や使い方、デザイン処理の仕方。いまはPC上で素人がクリックひとつでできることが、当時は写植のオペレータの腕と製版担当者の腕にかかっていたのだ。もしかすると、写真もドラムスキャナによるスキャンではなく、写真製版していたかもしれない…とも思ったが、このシャープさは既にスキャナだろう。

それと、広告とカメラの記事。『1998』の表2はF5、表4は645Nである。記事にはコダックのフォトCDやMacの7500などが掲載されているあたりにも時代を感じる。

とにかく、広田氏による600ページを超す写真の本が、わずか3000円。私のように迷わず、買うべき。

PC112540.JPG鉄ヲタではなく歴史ミリヲタの同僚から、この本がついに文庫化されたと聞いて、買った。仕事のための知識習得という面もある。いま、脳内でもわもわしている企画が結実するといいのだが。所収は講談社学術文庫。すばらしい。しかし、定価は文庫らしくなく、272ページで920円+税である。部数は推して知るべし。

いままで、原田勝正氏の文章は、編者としての文章しか読んだことがなかったので、本書を読み始めて驚いた。小説のようではないか。冒頭、いきなり明治5年9月12日(当時;太陰暦)の情景の描写から始まる。そう、この本はドキュメントの手法も取りつつ、事実を重ねて著述していくのだ。

内容は、なにからなにまですばらしい。さすが『日本国有鉄道百年史』の執筆者。

しかし!残念な点が多々ある。これは著者の責任ではなく、版元の責任といえるものなのだが。本書が最初に刊行されたのは1983年(昭和58年)。まだ国鉄が存在していた時代である。文庫化は2010年(平成22年)。その間、27年が経過している。なのに! 記述が当時のままで、注釈が一切ない! 刊行当時の事実が書いてあるので、今もその通りだという誤解を生みかねない。これは、版元の責任で注釈を入れるべきだと考える。

もうひとつ残念な点は、本書が日露戦争後で終わってしまっていることである!



内容で興味深かったのは、日清戦争後に鉄道投資熱があったというくだりだ。著者に依れば、熱に浮かれたのは1896年(明治29年)から1897年(明治30年)。1896年に設立申請のあった鉄道会社の総数は推定450以上。1886年から1890年までの5年間での起業は39社であるから、それと比べると数字のすごさがわかろう。出願の大部分は計画が杜撰すぎたり実現性が低かったりしており、ほぼすべてが却下された。江ノ島周辺では7社がほぼ同じルートで出願し、すべて同日に却下されている。申請の実例は、『日本の廃道』49号所収の「大峰電気鉄道」、同53号「山上軽便鉄道」などに見て取れる(これらは日露戦争後のものであり、あくまで計画性の杜撰さの例である)。

アメリカの鉄道投資ブームから約50年経って日本に現れた鉄道投機熱。アメリカの投機熱は、銀行が(当時は銀行が証券も扱っており、分離する規制はなかった…はず)西部開拓への夢を煽り文句に人を騙し続けたようなもので、また、実際の事業としては、競合路線を敷設し、競合したあとでその鉄道をライバル会社に高値で売りつけるなどということもしている。日本も、あとで国鉄に買い取らせればいい、という近い投機もあったようだ。ただし、日本では、鉄道を敷設しようとする地元の人たちによる費用面や労働面での奉仕もこれまた多かっただろう。その点ではアメリカと事情は異なる。


鉄道史とは、単なる路線ごとの年表の集合体ではない。さまざまな社会、経済、政治情勢を絡めて理解しなければならない。その入門書的な存在である。交通史というフックにひっかかる方には、ぜひご一読をおすすめしたい。



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