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PB066781.JPG数多く語られている、丹那トンネルと鍋立山(なべたちやま)トンネルの工事を通じて日本のトンネル技術に関するエピソードを集めた本。携わった人たちに直接話を聞いたりして、それが興味深いのは当然なのだが、それは「当たり前」の内容でもある。

著者は業界誌『建設業界』において「日本の土木を歩く」という連載を長年続けてきた人である(ブラウザで閲覧できたはずだが、いまはリンク切れになっている。後身の『ACE建設業界』のリンクを張っておく。「バックナンバー」はリンク切れ)。

私がこの本で「いいな」と思ったのは、この言葉だ。

(前略)土木屋にはスターがいない、ということです。これは今も発行されているかどうか知りませんが、『室内』という建築の雑誌があり、その主幹で山本夏彦という辛口の批評家が言っていたことです。建築にはスターが輩出しているのに土木にはまず見あたりません。山本氏は、日本の繁栄は土木の上にあるのに、その全貌が紹介されず、土木のことが新聞に出るのはスキャンダルばかりだ、と嘆いていました。(後略)

この見方は、道路ファンの、道路に対する見方に重なる。そして、その理由をこう述べる。

(本四連絡橋を3本架けることに対して、マスメディアは無駄だと書いているが)私はマスコミの批判のほうに胡散臭さを感じました。役人のやっていることもおかしいけれど、マスコミにも真実が見えていない、と感じました。そこで現地を訪ね、たくさんの関係者に会いました。ある技術者に会ったときです。「あの3本の橋はメンテナンスさえしっかりやっていれば、300年以上、たぶん500年は持つはずです」と聞いて、ハッと真実が見えたと思いました。

300年、500年という数字がどうかはわからないが、すべての建設費を受益者負担にするのはおかしいというような見方は、インフラについて考えたことのある人にはなじみのあるものだろう。3ルートある是非については各論あろうが、インフラの作り方については正しいと感じる。そして、そういう方法で、一般の人がまったく関心を持たない分野(例えば河川管理など、都会の誰が感心を持っていよう?)においても、さまざまにインフラ整備は進められているということも認識しておきたい。



なお、本書のメインコンテンツである丹那トンネルと鍋立山トンネルの物語は、簡潔でわかりやすいものである。ただし、多少の、隧道工事に対する知識が必要かもしれない。
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20110907_001.JPG久しぶりに、ほんとうにいい本に出会った。感動的にいい本だ(内容に感動するのではなく、本の存在として)。その理由はふたつ。

一つは、いままでにこうしたテーマの書物がなかったジャンルに、いきなりアラのない、極めて完成度の高い本が出たこと。もうひとつは、それが、本来の意味の新書であること。ただし、本来の意味の新書であるならば、書店の鉄道書コーナーにしか置かれない交通新聞社新書ではなくて、ちくまや文春、新潮あたりの新書に入ったほうがよかったんじゃないかな、とも思う(しかしあとがきによれば企画は交通新聞社によるものとのことなので、それは無理)。


本書を書くに当たって著者が渉猟した膨大な資料と、関係者への取材で得た見聞に思いを馳せる。しかも著者は三十代後半、鉄道公安制度が消滅した時点では中学生だ。同時代に生き、当時から関心を寄せていたわけではない。あとがきによれば、どうやら、関心をもったのは、本書刊行の、ほんの1年ほど前だったようだ。それでいてこの内容には舌を巻く。

鉄道公安官と聞いて誰もがイメージするのは、「警察みたいな存在」というものだろう。子供の頃、鉄道公安し職員と接点のあった私もそうだった。また一般的に、こうした本は、刑事ドラマみたいなエピソード集になりがちだ。本書にも、「刑事とスリ常習者の間の情」みたいな話は散りばめられている。そういう場合、職業や職制についての解説は一切なく、たとえば刑事ドラマではなんの解説もなしに警察における階級が使われていて、視聴者はそんなことは気にも留めない。

しかし、本書はそうではない。その誕生のエピソードから鉄道公安制度というものを説き起こし、存在意義と、その狭間で揺れ動く職員たちを考察する。犯人と絡むエピソードで読者サービスをしつつ、職制や職業を解説していく。ここが、すばらしい。個人的にはエピソードは不要だし、やや過剰な気もするけれど、なじみやすくするためにはある程度は必要だろうから、マイナス評価にはつなげない。

おそらく、本書は関係者への深い取材をベースに、そこから資料にたどりつき、取材内容を補強し、客観性を持たせていったのではないかと思う。そして改めて記事内容が重複・前後しないように注意しながら時系列で構成しなおしたのではないか。構成も見事で、第1章は、ツカミ。第2章は、誕生。そこから時系列で、最終章は昭和62年3月31日、すなわち鉄道公安制度の終焉の日と後日談である。この構成が著者主導なのか、編集主導なのかはわからない。

著者の立ち位置を示す部分がある。関心のない人は読み流してしまうだろうが、私はここで止まった。182ページ。鉄道公安職員と労働運動に関する記述なのだが、そこに、こうある。
鉄道公安史における労組対策には、当局と組合側、それぞれに言い分があるはずだ。元労働組合員や動労運動経験者のなかには、鉄道公安職員を今なお批判する人がいるかもしれない。今後、国鉄史を調べる人がいれば、国鉄当局、鉄道公安制度、労働組合、その背後にある政治的組織、それぞれの功と罪への中立的視点が必要だと思う。(下線は磯部)
あらゆる人に聞かせたい。よく、「現代の感覚」で過去を語ることがある。労働運動は、その時代背景と空気を知らない限り理解できない。昭和50年代の、国鉄のシステム、職員などあらゆるものが置かれた状況を理解せずに物言う人がなんと多いことか。鉄道の記事を書く人にすら、こうした視点を持った人がどれほどいるだろうか。この一文で、本書への信頼感は確固たるものになった。

一点だけ、「?」と感じる部分があった。198ページ、成田空港へのタンカー列車の警備を行っていたヘリが墜落した記述である。これは「エンジントラブル」であるから、鉄道公安職員が、過激派に殺されたわけではない。いや、もちろん、この著者のことであるからそんなふうにも書いていないのだが、文章の流れは、成田空港開設に伴う過激派の活動にまつわる話につながっている。誤読を招く恐れがある。



本書の帯には、「軽~く読んで、長~く本棚へ」「鉄道犯罪を阻止するプロ対プロのドラマがあった!」とあるが、そんな安っぽいキャッチはまるで本書の内容を言い表していない。ひとつの取材を引き延ばして引き延ばして1冊にしてしまったようなもの(交通新聞社新書にある)と一緒にするな、と言いたい。「しっかり読めて、長く本棚へ」「国鉄は国家であるとともに、国民でもあった。両者の面を持つがゆえに時代に翻弄された鉄道公安制度のすべて」くらいでいい。「軽すぎる」交通新聞社新書の中の、珠玉。パーフェクト。

ひさびさにすばらしい本に出会って、気分がいい。著者の濱田研吾氏と交通新聞社に最大の賛辞をお贈りする。

 
20110724_000.JPG第8代国鉄総裁、髙木文雄(以下、常用漢字を使用し高木文雄とする)の考えをまとめたものである。サブタイトルの『”赤字の王様”のひとりごと』というのがぴったりあった内容。

祖父君が国鉄職員であった@souitohさんのご自宅にあったということで、お借りして読んだ。

高木文雄は大蔵次官から国鉄総裁になった人物である。前任は藤井松太郎、このブログでもたびたび採り上げるエンジニアで、マル生運動のために任期半ばに辞職してしまったことを受けての後任である。本書は高木が話すことをインタビュアーがまとめる形で著作としているが、収録時期は就任後1年半ほどのようである。初版は昭和52年12月、翌年2月には第7刷というから、相当売れたに違いない。当時は鉄道ファンというよりも、版元が東洋経済新報社ということもあり、経済的な視点で読む人に受けたのかもしれない。


書いてある内容は、現在の観点で見ると、かなりどうしようもないものである。なんともグズグズしていて、結論を出さずにいるように見える。しかし、現在の観点で見てはならぬ、とも思う。当時の空気というものがある。国鉄の赤字がさまざまな問題をはらみながら転がり続け、ついに分割・民営化に至るのだが、それまでの十数年間、高木のような人物が、少しずつ下地を作り続けていたからこそ、分割・民営化の三羽烏が活躍できたと言える面も多々あろうからだ。そう思いながら、本書を読んでの感想を少し。


●あまりにも官僚的、貴族的な高木

ほぼ大卒しかいない民間企業に勤めているとよくわからない感覚がある。「キャリア」と「現場」の差だ。本書には、国鉄の採用の仕組みとしてあからさまにこう書いてある。
本社採用の大学卒エリートが約一〇〇人(略)文字通り幹部候補生である。(略)
自分が属する階層を「エリート」と自称してはばからない。今なら大問題となりそうな発言も、当時の空気では問題視されない。役所というのは、上意下達の命令系統がなければならないので、そういうものなのだろう。

この「大卒=幹部、高卒=現場」という意識は、現JR東海会長の葛西敬之の著書『未完の国鉄改革』を読んで初めて知ったことだ。そんな世界があるのだな…とそのとき感じたことを覚えている。


●この頃からようやく国鉄の特殊性が理解され始めた?

昭和50年代前半、世間における国鉄への理解度がどのようだったのかはわからない。しかし、高木は再三、次のようなことを述べる(要旨)。
・収入(運賃)を自分で設定できない。政争の具にされる。
・支出(人件費)を自分で設定できない。政争の具にされる。
・倒産することができない。
・団体交渉は、スト権を持たない人間が、賃金の決定権を持たない人間と交渉する、なにを決めることもできない話し合いである。
つまり、「経営」の自由がなく、なにをやるにも国会の承認が必要だったりするから、時間ばかりかかって挙げ句の果てに実現できなかったりする。…というのは、現代では国鉄が身動きを取れなかった大きな理由として周知の事実だが、それを再三述べると言うことは、当時、これらのことが知られていなかったのではないか。だから、私は先に「現在の観点で見てはならぬ、とも思う」と書いた。

前任の藤井が「国鉄(わたくし)は話したい」という意見広告(これは藤岡和賀夫氏の作品とのこと)を新聞で展開したように、このころから、ようやく国民に向かって説明しはじめたのかもしれない。時間をかけて世間に理解させたうえ、いろいろな施策を実施する。高木が就任して1年半の頃は、まだ、国鉄再建への胎動期だったのかもしれない。


●数字の感覚が麻痺している

当時の就業人口は43万人である。全国民は1億1400万人だから、全国民の300人に1人は国鉄職員だったわけだ。収入は2兆円、経費は3兆円、差引1兆円の赤字。よく物価水準の比較対象となる大卒初任給で考えると、現在でいうとそれぞれその倍以上、ということになる。これだけの数字を扱っているので、高木はいろいろ麻痺している。副業収入に対する感想だ。
一番大きいのが弘済会の売店とかコインロッカーに場所を貸している構内営業料で二〇三億円、次が駅や電車の中の広告料で七八億円、この両方で雑収入全体の約七割を占めている。(略)総額でも三七四億円程度だから(略)微々たるものといえる。
現代に換算すると約700億円。1000人規模の会社の年間売上に相当する。それだけの金額を、「たったこれだけ」のように扱う。麻痺している。いや、もしかしたら、大蔵官僚だったので、現実離れしているのかもしれない。

現在、JR東日本の広告部門であるJR東日本企画だけで、年商912億円である。民営化のおかげでさまざまな展開ができるようなったことが大きかろう。


●現代に通じる考え方もある

今となってはおとぎ話の世界の住人の考え方の持ち主に見えてしまう高木だが、鋭い面もいくつか見せている。その代表的なものがこれと、女性の社会進出だ。

「ヤードの仕事だとか、運転の仕事だとか、駅の仕事だとか、ブルーカラーの仕事が多いから、そう大学出をとっても仕方がない。(略)」(略)私はこれからの高学歴社会では、大卒の切符切りや運転士がいて結構ではないか、世の中はだんだんそう変わっていくと思っているのだが……。

相変わらずブルーカラーだなんだと言っているが、1990年代から、徐々にその流れはできている。JR北海道が大卒運転士コースを設置したのは何年前からだったか。現在、ごく一般的には、学歴は知識を期待するものではなく、ものの考え方や人間としての教育の度合いを証明する程度の役割しかないように思う。その流れならば、高木が予言したとおりにものごとは進む気がする。



高木は7年以上、国鉄総裁の座に座り続けたが、結局は、本書で述べている通りの考え方で、煮え切らないというか、思い切った施策を打つことができずに、それが元で任期途中で辞任した。後任はエンジニアの仁杉巌、彼も国鉄の体質を抜本的に修正することができずに辞任、最後は杉浦喬也が中曽根康弘の意を受けて国鉄を解体し、民営化したのは、葛西の著書にある通りである。


本書から、おもしろいエピソードをひとつ。

当時、日本でもっとも土地を持っていたのは王子製紙とのこと。国鉄はそれに継ぐ二番手。6万7000ヘクタール、換算すれば670平方km。琵琶湖と同じ大きさである。うち、線路が47.5%、保安林が23.8%、駅や駅前の土地23.6%だ。保安林の面積の大きさに驚く。そして、そこに国鉄100年の歴史が込められていることも思う。

高木の考え方、当時の空気がわかる、読みやすい本であった。

ディスカバー・ジャパン。物心ついたときには、このキャンペーンの後半である「いい日旅立ち」も終わりかけ、「エキゾチック・ジャパン」が始まる頃だった。そのため、DISCOVER JAPANは「ひと世代前の、ちょっと古いキャンペーン」という印象を持っていた。会社に入ってからは、一回り以上上の旅好き上司のDISCOVER JAPANへの思い入れを何度か聞かされ、徐々にそれがどういうものだったかを、「旅のスタイル史」という文脈の中で位置づけるようになった。

本書は、DISCOVER JAPANの綜合プロデューサーだった藤岡和賀夫氏が語る「DISCOVER JAPANとはなんだったのか」という本である。氏によれば、DISCOVER JAPANは、DISCOVER MYSELF、つまり「自分発見」、広い意味での「自分探し」である。

20110715_000.JPG
私は「自分探し」という言葉が嫌いだった。しかし、それは多趣味な人間が嵌る陥穽だったかもしれない。「自分探し」とは、趣味性(ヲタ気質と言ってもいい)を持たない人が、むりやり趣味(らしいこと)を見つけるようなニュアンスに感じていた。それを、多趣味かつその方面に徹底して突っ込んでいく私は、「そんなんじゃないよ、趣味ってものは」みたいなふうに捉えていたのだと、今になって思う。

最近、写真表現について考えることが多く、「自分探し」については捉え方が変わった。とくに何をする必要もない、自分がしていることを集め、俯瞰してみると、「ある傾向」があることに気づく。自分はこれが好きだったのか、と気づく。それは「自分発見」であり、振り返る行為なんだけれども、それに積極性と将来性を加えれば「自分探し」だ。

このブログで例えれば、鋼製トラス橋や鋼製プレートガーダー橋の記事は多いが、鋼製アーチ橋、RC製の各橋はほとんどない。レインボーブリッジのような巨大な橋についてはもっとない。そして、鋼製トラス橋でも、ピントラスが多く、H型鋼を使用した近代的なものは少ない。自分がわざわざ写真を撮るか撮らないか、そこに傾向が出てくる。



本書は藤岡氏が書いてきた文章のアンソロジーでもあるのだが、その中で、藤岡氏は何度となく明言している。「旅に出て発見するのは畢竟自分だ、言うなればDISCOVER MYSELFが旅の極意だ」。

イメージ先行の、その時代の大人のアタマでは理解できない写真で若者を旅に誘うDISCOVER JAPANのポスター。時を同じくしてananとnonnoがブレークしていた。アンノン族の誕生だ。世の中の潮流を作る圧倒的な世代と、DISCOVER MYSELFの同時代性。旅に出た彼女たちは、あるいはDISCOVER MYSELFに成功し、あるいはそんなことをまったく意識せずに適当な旅を終えただろう。彼女たちが何度も旅に出て、自分の嗜好を知っていく。DISCOVER JAPANは、目的を果たした。

キャンペーン第1号ポスターは、日光の牧場で撮影された被写体ブレの写真である。これは強いメッセージ性を持っている。お節介というか、押しつけがましいとも思う。でも、これが選ばれているのも、時代なのだろう。そういうことに気づけたのも、本書を読んだからだ。



もっと、こうしたポスターやキャンぺーンの裏方の様子を見せて欲しかった。なお、本書は前半半分が藤岡氏のアンソロジー、後半は「絶滅のおそれのある懐かしい日本の風景」の話である。前半だけあればいい。

20110515-999.JPG気になっていた、大木茂氏の写真集『汽罐車』を買った。本の詳細はこちら

この写真集を知ったのはどこだったか。どなたかのツイートだったと思う。まだ刊行前の頃だ。この写真を見て、吸い込まれた。買う!


ビニールにくるまれていた本を、深夜、心してテーブルの上で開封する。まずはカバー回りをなめるように見る。美しい。帯には、多くの作品を共にした、俳優・香川照之氏の言葉がある。まず、その帯を外してみる。
20110515_001.JPG.

そして、カバーをはずし、本体表紙。
20110515_003.JPG本体表紙は、もっとも自由奔放なページだ。商業的なもくろみもなく、デザイナーがいちばん遊べるページ。本体表紙については、かつてこちらに書いた。→丸田祥三『棄景V』『棄景origin』


カバーを戻し、表紙をめくる。そこには見返し。見返しは手触りを楽しむ。本扉は…前述のリンク先。この本扉だけでもうお腹いっぱいになる。氏、23歳のときの作品。

ページをめくる。いちいち、次のページに行くのに躊躇する。なんというか、次々にページを繰ることが、作品を消費してしまうような気がしてためらうのだ。次にどんなすごい作品が来るのか、どう裏切られるのか。

写真は144ページ、153点。私が見入る作品の傾向は、黒が美しいもの。撮影した時代が感じられるもの。これを、香川氏は「匂う」と表現している。的確だと思う。なので、C62重連ニセコの銀山峠などは、失礼ながら、あまり興味をそそられない。


もっとも美しいと思った作品は、128番浜小清水の流氷の朝。これは、本文(モノクロ20ページ)で大木氏自身の印象も強いそうで、私の、作品を見る目もそう変な方向を向いているわけではないと思う。

もっとも匂いを感じた作品は、49番野辺山。C56が未舗装の道路をバックで横切る作品(←リンク先の3枚目)。未舗装の道路が若い時代の光景のひとつだった私にとっては、こうした作品にグッと来る。なにより、夏の匂いを感じる。広田尚敬氏の作品にも、9600が北海道の未舗装路(遮断機なし)を横切る作品があるが、それも好きだ。

もっとも旅情を書き立てられた作品は、67番の抜海。

明るさと広さを感じた作品は、82番の香月と、133番沼ノ端。

人物を主題とした作品も多いが、あまりに完成されすぎていて、別の言い方をすれば本当に映画のスチル写真なんじゃないかと思うほど完璧なので、私の「引き込まれる度」でいえば上の作品たちに一歩譲る。



いま、「映画のスチル写真なんじゃないか」と書いたが、大木氏はスチル写真家である。とはいえ、大木氏のお名前はほうぼうで目にしてはいたが、映画のキャメラマン・木村大作氏と組むスチル・キャメラマンだとは知らなかった。目にしていたのは、こうした写真だ。
20110515_000.JPG(RailMagazine1991年6月号表紙)

大木氏といえば、この「ズーム流し」。露光中にズーミングする手法で、大木氏オリジナルとのこと。被写体が止まっているものに対する露光間ズームとは違い、走行中の列車に対してズーミングすることで流し撮りに見せるわけだ。もっとも、偶然にも広田尚敬氏も、広田泉氏も、それぞれ独自にその手法を使っていたというから、機材に対する研究心の塊のような人ならば到達する技術なのかもしれない。

また、この写真集に収録された作品は、1963年から1972年の間に撮影されたもの。大木氏は1947年生まれなので、16歳から25歳の間に撮影されたものだ。その撮影行は本文に詳しく紹介されているが、若くしてこの作品はほんとうにすごいと思う。



これだけの写真集が、3990円。鑑賞後、感じたのは「安い」。買うべし。


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