はっきり言って、安い。地方版元の刊行物は、往々にして安い。その理由はいくつかあるのだが、憶測で書くのもなんなので控える。 この写真集は、「買い」だ。刊行する意義がある本である。そして、あらゆる点で、私の編集コンセプトと大きく異なっているので、いろいろと考えるきっかけになった。 ここには、昭和60年前後の鉄道ファンの関心とその姿が色濃く掲載されている。 同じようなカットが続く。私の考える編集作業では、当然どれか1点に絞るべきところを、まったく絞っていない。なにしろ400ページ以上に1200カットだ。ホームで撮った列車の写真、写っているのは同じ形式、とくれば、自然と同じようなカットになる。それでも、その日その場所で記録されたものが発表されることには大変な意義があると考える。いや、これこそが編集方針なのだろう。私が作る場合とはコンセプトが異なるというだけのことだ。 この本は、写真集というにはあまりに製版と色が悪い。しかし、そこに掲載されている写真は、印刷とか色とかを吹き飛ばす、非常に貴重な記録である。いや、 欲を言えば、それらも完璧なものがあったらそのほうがいいのだが、この印刷や色は著者が満足しているのだろうから「好み」の問題と言うことにしておく。
いままで実際の商業印刷で試した結果から言うと、コンデジのデジタルズームを使用した画像やひと世代前の携帯電話のカメラで撮影したフルサイズの画像を使うとこんな品質になる。あるいは、2000年頃にネガプリントを家庭用のフラットベッドスキャナでスキャンし、自分でCMYKに変換して印刷原稿にして入稿すると、こんな色になった。2000年代前半の製版技術では、35mm判ポジをA4見開きにしてまったく問題ないくらいにはなっていたので、いまなぜこんな、という思いは大きい。著者の原版はもっときちんとしていて、製版・印刷に問題があったのか。著者は他の全国媒体でも仕事をしているのだから、この印刷が、その水準には達しないことは承知の上だと思うのだが…。
掲載内容は、サブタイトルの通り、北海道の廃止されたローカル線のスナップ集である。「車両をかっこよく撮った写真」ではない。たくさんの駅の、駅舎、ホーム、駅で働く人、鉄道で働く人の姿が収められている。たまに、鉄道ファンの姿も収められている。 雪景色も多い。私の郷里・新潟のかつての風景にも重なる。木造の建造物と気動車、雪景色。また、草いきれがにおってくるような夏景色。それらも、あくまでスナップだ。 本書に掲載されたようなものが、紙媒体として刊行されたことを嬉しく思う。掲載されている内容も、いつまでも、何度でも眺めていたくなるものだ。この本は、買いだ。 PR 著者は業界誌『建設業界』において「日本の土木を歩く」という連載を長年続けてきた人である(ブラウザで閲覧できたはずだが、いまはリンク切れになっている。後身の『ACE建設業界』のリンクを張っておく。「バックナンバー」はリンク切れ)。 私がこの本で「いいな」と思ったのは、この言葉だ。 この見方は、道路ファンの、道路に対する見方に重なる。そして、その理由をこう述べる。 300年、500年という数字がどうかはわからないが、すべての建設費を受益者負担にするのはおかしいというような見方は、インフラについて考えたことのある人にはなじみのあるものだろう。3ルートある是非については各論あろうが、インフラの作り方については正しいと感じる。そして、そういう方法で、一般の人がまったく関心を持たない分野(例えば河川管理など、都会の誰が感心を持っていよう?)においても、さまざまにインフラ整備は進められているということも認識しておきたい。 なお、本書のメインコンテンツである丹那トンネルと鍋立山トンネルの物語は、簡潔でわかりやすいものである。ただし、多少の、隧道工事に対する知識が必要かもしれない。 一つは、いままでにこうしたテーマの書物がなかったジャンルに、いきなりアラのない、極めて完成度の高い本が出たこと。もうひとつは、それが、本来の意味の新書であること。ただし、本来の意味の新書であるならば、書店の鉄道書コーナーにしか置かれない交通新聞社新書ではなくて、ちくまや文春、新潮あたりの新書に入ったほうがよかったんじゃないかな、とも思う(しかしあとがきによれば企画は交通新聞社によるものとのことなので、それは無理)。 本書を書くに当たって著者が渉猟した膨大な資料と、関係者への取材で得た見聞に思いを馳せる。しかも著者は三十代後半、鉄道公安制度が消滅した時点では中学生だ。同時代に生き、当時から関心を寄せていたわけではない。あとがきによれば、どうやら、関心をもったのは、本書刊行の、ほんの1年ほど前だったようだ。それでいてこの内容には舌を巻く。 鉄道公安官と聞いて誰もがイメージするのは、「警察みたいな存在」というものだろう。子供の頃、鉄道公安し職員と接点のあった私もそうだった。また一般的に、こうした本は、刑事ドラマみたいなエピソード集になりがちだ。本書にも、「刑事とスリ常習者の間の情」みたいな話は散りばめられている。そういう場合、職業や職制についての解説は一切なく、たとえば刑事ドラマではなんの解説もなしに警察における階級が使われていて、視聴者はそんなことは気にも留めない。 しかし、本書はそうではない。その誕生のエピソードから鉄道公安制度というものを説き起こし、存在意義と、その狭間で揺れ動く職員たちを考察する。犯人と絡むエピソードで読者サービスをしつつ、職制や職業を解説していく。ここが、すばらしい。個人的にはエピソードは不要だし、やや過剰な気もするけれど、なじみやすくするためにはある程度は必要だろうから、マイナス評価にはつなげない。 おそらく、本書は関係者への深い取材をベースに、そこから資料にたどりつき、取材内容を補強し、客観性を持たせていったのではないかと思う。そして改めて記事内容が重複・前後しないように注意しながら時系列で構成しなおしたのではないか。構成も見事で、第1章は、ツカミ。第2章は、誕生。そこから時系列で、最終章は昭和62年3月31日、すなわち鉄道公安制度の終焉の日と後日談である。この構成が著者主導なのか、編集主導なのかはわからない。 著者の立ち位置を示す部分がある。関心のない人は読み流してしまうだろうが、私はここで止まった。182ページ。鉄道公安職員と労働運動に関する記述なのだが、そこに、こうある。 あらゆる人に聞かせたい。よく、「現代の感覚」で過去を語ることがある。労働運動は、その時代背景と空気を知らない限り理解できない。昭和50年代の、国鉄のシステム、職員などあらゆるものが置かれた状況を理解せずに物言う人がなんと多いことか。鉄道の記事を書く人にすら、こうした視点を持った人がどれほどいるだろうか。この一文で、本書への信頼感は確固たるものになった。 一点だけ、「?」と感じる部分があった。198ページ、成田空港へのタンカー列車の警備を行っていたヘリが墜落した記述である。これは「エンジントラブル」であるから、鉄道公安職員が、過激派に殺されたわけではない。いや、もちろん、この著者のことであるからそんなふうにも書いていないのだが、文章の流れは、成田空港開設に伴う過激派の活動にまつわる話につながっている。誤読を招く恐れがある。 本書の帯には、「軽~く読んで、長~く本棚へ」「鉄道犯罪を阻止するプロ対プロのドラマがあった!」とあるが、そんな安っぽいキャッチはまるで本書の内容を言い表していない。ひとつの取材を引き延ばして引き延ばして1冊にしてしまったようなもの(交通新聞社新書にある)と一緒にするな、と言いたい。「しっかり読めて、長く本棚へ」「国鉄は国家であるとともに、国民でもあった。両者の面を持つがゆえに時代に翻弄された鉄道公安制度のすべて」くらいでいい。「軽すぎる」交通新聞社新書の中の、珠玉。パーフェクト。 ひさびさにすばらしい本に出会って、気分がいい。著者の濱田研吾氏と交通新聞社に最大の賛辞をお贈りする。 祖父君が国鉄職員であった@souitohさんのご自宅にあったということで、お借りして読んだ。 高木文雄は大蔵次官から国鉄総裁になった人物である。前任は藤井松太郎、このブログでもたびたび採り上げるエンジニアで、マル生運動のために任期半ばに辞職してしまったことを受けての後任である。本書は高木が話すことをインタビュアーがまとめる形で著作としているが、収録時期は就任後1年半ほどのようである。初版は昭和52年12月、翌年2月には第7刷というから、相当売れたに違いない。当時は鉄道ファンというよりも、版元が東洋経済新報社ということもあり、経済的な視点で読む人に受けたのかもしれない。 書いてある内容は、現在の観点で見ると、かなりどうしようもないものである。なんともグズグズしていて、結論を出さずにいるように見える。しかし、現在の観点で見てはならぬ、とも思う。当時の空気というものがある。国鉄の赤字がさまざまな問題をはらみながら転がり続け、ついに分割・民営化に至るのだが、それまでの十数年間、高木のような人物が、少しずつ下地を作り続けていたからこそ、分割・民営化の三羽烏が活躍できたと言える面も多々あろうからだ。そう思いながら、本書を読んでの感想を少し。 ●あまりにも官僚的、貴族的な高木 ほぼ大卒しかいない民間企業に勤めているとよくわからない感覚がある。「キャリア」と「現場」の差だ。本書には、国鉄の採用の仕組みとしてあからさまにこう書いてある。 自分が属する階層を「エリート」と自称してはばからない。今なら大問題となりそうな発言も、当時の空気では問題視されない。役所というのは、上意下達の命令系統がなければならないので、そういうものなのだろう。 この「大卒=幹部、高卒=現場」という意識は、現JR東海会長の葛西敬之の著書『未完の国鉄改革』を読んで初めて知ったことだ。そんな世界があるのだな…とそのとき感じたことを覚えている。 ●この頃からようやく国鉄の特殊性が理解され始めた? 昭和50年代前半、世間における国鉄への理解度がどのようだったのかはわからない。しかし、高木は再三、次のようなことを述べる(要旨)。 つまり、「経営」の自由がなく、なにをやるにも国会の承認が必要だったりするから、時間ばかりかかって挙げ句の果てに実現できなかったりする。…というのは、現代では国鉄が身動きを取れなかった大きな理由として周知の事実だが、それを再三述べると言うことは、当時、これらのことが知られていなかったのではないか。だから、私は先に「現在の観点で見てはならぬ、とも思う」と書いた。 前任の藤井が「国鉄(わたくし)は話したい」という意見広告(これは藤岡和賀夫氏の作品とのこと)を新聞で展開したように、このころから、ようやく国民に向かって説明しはじめたのかもしれない。時間をかけて世間に理解させたうえ、いろいろな施策を実施する。高木が就任して1年半の頃は、まだ、国鉄再建への胎動期だったのかもしれない。 ●数字の感覚が麻痺している 当時の就業人口は43万人である。全国民は1億1400万人だから、全国民の300人に1人は国鉄職員だったわけだ。収入は2兆円、経費は3兆円、差引1兆円の赤字。よく物価水準の比較対象となる大卒初任給で考えると、現在でいうとそれぞれその倍以上、ということになる。これだけの数字を扱っているので、高木はいろいろ麻痺している。副業収入に対する感想だ。 現代に換算すると約700億円。1000人規模の会社の年間売上に相当する。それだけの金額を、「たったこれだけ」のように扱う。麻痺している。いや、もしかしたら、大蔵官僚だったので、現実離れしているのかもしれない。 現在、JR東日本の広告部門であるJR東日本企画だけで、年商912億円である。民営化のおかげでさまざまな展開ができるようなったことが大きかろう。 ●現代に通じる考え方もある 今となってはおとぎ話の世界の住人の考え方の持ち主に見えてしまう高木だが、鋭い面もいくつか見せている。その代表的なものがこれと、女性の社会進出だ。 「ヤードの仕事だとか、運転の仕事だとか、駅の仕事だとか、ブルーカラーの仕事が多いから、そう大学出をとっても仕方がない。(略)」(略)私はこれからの高学歴社会では、大卒の切符切りや運転士がいて結構ではないか、世の中はだんだんそう変わっていくと思っているのだが……。 相変わらずブルーカラーだなんだと言っているが、1990年代から、徐々にその流れはできている。JR北海道が大卒運転士コースを設置したのは何年前からだったか。現在、ごく一般的には、学歴は知識を期待するものではなく、ものの考え方や人間としての教育の度合いを証明する程度の役割しかないように思う。その流れならば、高木が予言したとおりにものごとは進む気がする。 高木は7年以上、国鉄総裁の座に座り続けたが、結局は、本書で述べている通りの考え方で、煮え切らないというか、思い切った施策を打つことができずに、それが元で任期途中で辞任した。後任はエンジニアの仁杉巌、彼も国鉄の体質を抜本的に修正することができずに辞任、最後は杉浦喬也が中曽根康弘の意を受けて国鉄を解体し、民営化したのは、葛西の著書にある通りである。 本書から、おもしろいエピソードをひとつ。 当時、日本でもっとも土地を持っていたのは王子製紙とのこと。国鉄はそれに継ぐ二番手。6万7000ヘクタール、換算すれば670平方km。琵琶湖と同じ大きさである。うち、線路が47.5%、保安林が23.8%、駅や駅前の土地23.6%だ。保安林の面積の大きさに驚く。そして、そこに国鉄100年の歴史が込められていることも思う。 高木の考え方、当時の空気がわかる、読みやすい本であった。
ディスカバー・ジャパン。物心ついたときには、このキャンペーンの後半である「いい日旅立ち」も終わりかけ、「エキゾチック・ジャパン」が始まる頃だった。そのため、DISCOVER JAPANは「ひと世代前の、ちょっと古いキャンペーン」という印象を持っていた。会社に入ってからは、一回り以上上の旅好き上司のDISCOVER JAPANへの思い入れを何度か聞かされ、徐々にそれがどういうものだったかを、「旅のスタイル史」という文脈の中で位置づけるようになった。
本書は、DISCOVER JAPANの綜合プロデューサーだった藤岡和賀夫氏が語る「DISCOVER JAPANとはなんだったのか」という本である。氏によれば、DISCOVER JAPANは、DISCOVER MYSELF、つまり「自分発見」、広い意味での「自分探し」である。 私は「自分探し」という言葉が嫌いだった。しかし、それは多趣味な人間が嵌る陥穽だったかもしれない。「自分探し」とは、趣味性(ヲタ気質と言ってもいい)を持たない人が、むりやり趣味(らしいこと)を見つけるようなニュアンスに感じていた。それを、多趣味かつその方面に徹底して突っ込んでいく私は、「そんなんじゃないよ、趣味ってものは」みたいなふうに捉えていたのだと、今になって思う。 最近、写真表現について考えることが多く、「自分探し」については捉え方が変わった。とくに何をする必要もない、自分がしていることを集め、俯瞰してみると、「ある傾向」があることに気づく。自分はこれが好きだったのか、と気づく。それは「自分発見」であり、振り返る行為なんだけれども、それに積極性と将来性を加えれば「自分探し」だ。 このブログで例えれば、鋼製トラス橋や鋼製プレートガーダー橋の記事は多いが、鋼製アーチ橋、RC製の各橋はほとんどない。レインボーブリッジのような巨大な橋についてはもっとない。そして、鋼製トラス橋でも、ピントラスが多く、H型鋼を使用した近代的なものは少ない。自分がわざわざ写真を撮るか撮らないか、そこに傾向が出てくる。 本書は藤岡氏が書いてきた文章のアンソロジーでもあるのだが、その中で、藤岡氏は何度となく明言している。「旅に出て発見するのは畢竟自分だ、言うなればDISCOVER MYSELFが旅の極意だ」。 イメージ先行の、その時代の大人のアタマでは理解できない写真で若者を旅に誘うDISCOVER JAPANのポスター。時を同じくしてananとnonnoがブレークしていた。アンノン族の誕生だ。世の中の潮流を作る圧倒的な世代と、DISCOVER MYSELFの同時代性。旅に出た彼女たちは、あるいはDISCOVER MYSELFに成功し、あるいはそんなことをまったく意識せずに適当な旅を終えただろう。彼女たちが何度も旅に出て、自分の嗜好を知っていく。DISCOVER JAPANは、目的を果たした。 キャンペーン第1号ポスターは、日光の牧場で撮影された被写体ブレの写真である。これは強いメッセージ性を持っている。お節介というか、押しつけがましいとも思う。でも、これが選ばれているのも、時代なのだろう。そういうことに気づけたのも、本書を読んだからだ。 もっと、こうしたポスターやキャンぺーンの裏方の様子を見せて欲しかった。なお、本書は前半半分が藤岡氏のアンソロジー、後半は「絶滅のおそれのある懐かしい日本の風景」の話である。前半だけあればいい。 |
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