第8代国鉄総裁、髙木文雄(以下、常用漢字を使用し高木文雄とする)の考えをまとめたものである。サブタイトルの『”赤字の王様”のひとりごと』というのがぴったりあった内容。
祖父君が国鉄職員であった@souitohさんのご自宅にあったということで、お借りして読んだ。 高木文雄は大蔵次官から国鉄総裁になった人物である。前任は藤井松太郎、このブログでもたびたび採り上げるエンジニアで、マル生運動のために任期半ばに辞職してしまったことを受けての後任である。本書は高木が話すことをインタビュアーがまとめる形で著作としているが、収録時期は就任後1年半ほどのようである。初版は昭和52年12月、翌年2月には第7刷というから、相当売れたに違いない。当時は鉄道ファンというよりも、版元が東洋経済新報社ということもあり、経済的な視点で読む人に受けたのかもしれない。 書いてある内容は、現在の観点で見ると、かなりどうしようもないものである。なんともグズグズしていて、結論を出さずにいるように見える。しかし、現在の観点で見てはならぬ、とも思う。当時の空気というものがある。国鉄の赤字がさまざまな問題をはらみながら転がり続け、ついに分割・民営化に至るのだが、それまでの十数年間、高木のような人物が、少しずつ下地を作り続けていたからこそ、分割・民営化の三羽烏が活躍できたと言える面も多々あろうからだ。そう思いながら、本書を読んでの感想を少し。 ●あまりにも官僚的、貴族的な高木 ほぼ大卒しかいない民間企業に勤めているとよくわからない感覚がある。「キャリア」と「現場」の差だ。本書には、国鉄の採用の仕組みとしてあからさまにこう書いてある。 自分が属する階層を「エリート」と自称してはばからない。今なら大問題となりそうな発言も、当時の空気では問題視されない。役所というのは、上意下達の命令系統がなければならないので、そういうものなのだろう。 この「大卒=幹部、高卒=現場」という意識は、現JR東海会長の葛西敬之の著書『未完の国鉄改革』を読んで初めて知ったことだ。そんな世界があるのだな…とそのとき感じたことを覚えている。 ●この頃からようやく国鉄の特殊性が理解され始めた? 昭和50年代前半、世間における国鉄への理解度がどのようだったのかはわからない。しかし、高木は再三、次のようなことを述べる(要旨)。 つまり、「経営」の自由がなく、なにをやるにも国会の承認が必要だったりするから、時間ばかりかかって挙げ句の果てに実現できなかったりする。…というのは、現代では国鉄が身動きを取れなかった大きな理由として周知の事実だが、それを再三述べると言うことは、当時、これらのことが知られていなかったのではないか。だから、私は先に「現在の観点で見てはならぬ、とも思う」と書いた。 前任の藤井が「国鉄(わたくし)は話したい」という意見広告(これは藤岡和賀夫氏の作品とのこと)を新聞で展開したように、このころから、ようやく国民に向かって説明しはじめたのかもしれない。時間をかけて世間に理解させたうえ、いろいろな施策を実施する。高木が就任して1年半の頃は、まだ、国鉄再建への胎動期だったのかもしれない。 ●数字の感覚が麻痺している 当時の就業人口は43万人である。全国民は1億1400万人だから、全国民の300人に1人は国鉄職員だったわけだ。収入は2兆円、経費は3兆円、差引1兆円の赤字。よく物価水準の比較対象となる大卒初任給で考えると、現在でいうとそれぞれその倍以上、ということになる。これだけの数字を扱っているので、高木はいろいろ麻痺している。副業収入に対する感想だ。 現代に換算すると約700億円。1000人規模の会社の年間売上に相当する。それだけの金額を、「たったこれだけ」のように扱う。麻痺している。いや、もしかしたら、大蔵官僚だったので、現実離れしているのかもしれない。 現在、JR東日本の広告部門であるJR東日本企画だけで、年商912億円である。民営化のおかげでさまざまな展開ができるようなったことが大きかろう。 ●現代に通じる考え方もある 今となってはおとぎ話の世界の住人の考え方の持ち主に見えてしまう高木だが、鋭い面もいくつか見せている。その代表的なものがこれと、女性の社会進出だ。 「ヤードの仕事だとか、運転の仕事だとか、駅の仕事だとか、ブルーカラーの仕事が多いから、そう大学出をとっても仕方がない。(略)」(略)私はこれからの高学歴社会では、大卒の切符切りや運転士がいて結構ではないか、世の中はだんだんそう変わっていくと思っているのだが……。 相変わらずブルーカラーだなんだと言っているが、1990年代から、徐々にその流れはできている。JR北海道が大卒運転士コースを設置したのは何年前からだったか。現在、ごく一般的には、学歴は知識を期待するものではなく、ものの考え方や人間としての教育の度合いを証明する程度の役割しかないように思う。その流れならば、高木が予言したとおりにものごとは進む気がする。 高木は7年以上、国鉄総裁の座に座り続けたが、結局は、本書で述べている通りの考え方で、煮え切らないというか、思い切った施策を打つことができずに、それが元で任期途中で辞任した。後任はエンジニアの仁杉巌、彼も国鉄の体質を抜本的に修正することができずに辞任、最後は杉浦喬也が中曽根康弘の意を受けて国鉄を解体し、民営化したのは、葛西の著書にある通りである。 本書から、おもしろいエピソードをひとつ。 当時、日本でもっとも土地を持っていたのは王子製紙とのこと。国鉄はそれに継ぐ二番手。6万7000ヘクタール、換算すれば670平方km。琵琶湖と同じ大きさである。うち、線路が47.5%、保安林が23.8%、駅や駅前の土地23.6%だ。保安林の面積の大きさに驚く。そして、そこに国鉄100年の歴史が込められていることも思う。 高木の考え方、当時の空気がわかる、読みやすい本であった。 PR |
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