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毎年末恒例、GPSログを振り返る。


(kashmir3d+SRTM30)

今年は、むりやり仕事を作って四国・九州に行った。また、今年も北海道ツーリングに行くことができた。それくらいか。

 
四国と九州、どちらもしばらく行っていなかった。目的は『林道ツーリングガイドブック』の取材で、GWを利用しての仕事だ。行きたかった大隅半島の林道群を走ってきた。
 
役得というなかれ、節約のために経費は交通費(クルマに積んで行った)のみで、宿泊は全部車中泊だ。GWをすべてつぶし、以降は原稿書きだ。非常にキツイ仕事だったが、秋以降の仕事量に比べれば…。岩手秋田青森あたりもその取材の一環だ。


 
こちらは北海道バイクツーリング。新冠ダム周辺は、月刊ガルル2002年9月号の取材以来だ。


これはペンケニコロベツ林道。やはりそのとき以来。今年は道東のダートを堪能した。

もっともっと出かけたい。休みと旅費がほしい。さて、では、仕事を作るか…!


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長年、トイレの壁にダイソーの県別の大判地図を貼っている。1週間で取り替えることもあれば、数ヶ月同じものを貼っていることもある。このサイズの地図を眺めていても、気づくことはたくさんある。「ここに行ってみたい」と思う発見も多々ある。

もう5カ月くらい宮崎県の地図を貼っている。肥薩線が九州山地を越えるあたりは県界と分水界とが一致しないのはしっていたが、その西、桑木津流というどん詰まりの集落のあたりもそうかと気づき、この集落に行ってみたいな…と思って視線を東に移すと、そこも県界と分水界が異なるのに気づいた。下記に青で示したのが分水界である。その下、-<・>-の繰り返し、または赤い線が県界。


(Kashmir3D+スーパー地形セット Lv12)

 
(Kashmir3D+スーパー地形セット Lv15に加筆)

下の図で青と赤に囲まれた地域は、熊本県錦町とあさぎり町に属しながらも、水系は宮崎県えびの市と小林市に流れていく。東側は岩瀬川となり、大淀川に注いで宮崎市に向かう。西側は川内川となり、鹿児島県川内市に向かう。

このエリアは無人のようで、なぜここに県界が来ているのだろうか。入会地の関係だろうか。

 
宮崎市から国道10号を北上し、佐土原、日向新富と過ぎ、左手の崖に沿うようになったところで、右手(海側)にJR日豊本線が見えるはず…と目を向けると、田んぼとビニールハウスの向こうに高台が続いていた。砂丘だ。

カシミール3DLスーパー地形で見てみよう。

左の地図の下方に沼が見える。その左上、「野中」という文字のあたりで撮ったのが冒頭の写真だ。海側を見れば、すこし高くなっている。

カシミール3Dとスーパー地形セットで標高を読み取れば、この砂丘間低地の標高は7~9m程度。対して砂丘は高いところで15~16mほどある。地図記号は針葉樹林、現地では松林だ。

陸地側は見るからに台地。頂部の標高は65~70m程度、遺跡も多く見つかっており、その調査から、この台地はかつて海底だったようだ。



新潟の海里標柱(マイルポスト)の追記。

 
20年近くその近くに住みながらも、そして写真を撮りにいきながらも「1本しかない」などというまったくお恥ずかしい記事をアップし、すぐに「もう1本あるみたいだよ」とご指摘をいただいた海里標柱を再訪した。ご覧の通り、すぐ後ろにあるじゃないか…。

大きさは同じようだ。


保安林内土地変更許可証は、まったく同じだ。というよりも、番地の枝番が二つあることから、併記していて、許可面積は2箇所の合計だろう。

許可年月日及び番号 平成24年4月1日 新潟県指令 新林第457号
保安林種 飛砂防備兼保健保安林
所在場所 新潟市西船見町字浜浦5932番644 732
許可面積 56.5平方米
行為の目的 船舶試運転用標柱の設置
許可期間 平成24年4月1日から平成26年3月31日まで
申請者住所氏名 新潟造船(株)工場長





(kashmir3D+地理院地図(空中写真1974-1978)+スーパー地形に加筆)

国鉄末期に廃止になった羽幌線。もちろん、ぼくは乗ったことはないが、深川-留萠-羽幌方面のルートを見ると、留萌川を2回、渡っていることに気づいた。えてして鉄道はこうした大きな川を渡ることを嫌うものだ。もちろん、無理して渡った方がメリットは大きい。

これに気づいたのは、『蒸気機関車EX』23号で椎橋俊之さんが『留萠本線・羽幌線 黒ダイヤの通う道』と題して留萠機関支区乗務員の話を書いておられ、そこに東留萠信号場の話が出てきたことによる。東留萠信号場はどこにあったのかな…と地図と空中写真で見て、なぜそこに信号場が設けられ、そこから(のちの:以下略)羽幌線が分岐したか、合点がいった。

上の空中写真をご覧いただくと一目瞭然だが、これは、留萌川を渡らずに羽幌方面に向かおうとしている。1948年の空中写真にも、すでに廃止されて6年が経っているが、その痕跡が見て取れる。これは、鉄道を簡便に敷設する術としては納得できる。

しかし、これでは羽幌方面から来た列車は東留萠信号場でスイッチバックして留萠駅に入り、さらにその先の石炭桟橋まで行かなければならない。その際、東留萠信号場―留萠間を支障する。旅客列車も同様だ。それを解消するために、1941年に留萠―三泊間を新ルートに切り替えた。年表にするとこうなる。

・1927(昭和2)年 留萠線支線 東留萠信号場―三泊―大椴間開業
・1931(昭和6)年 留萠線支線を羽幌線に改称
・1932(昭和7)年 留萠に高価桟橋完成
・1941(昭和16)年12月9日 羽幌線築別延伸。留萠―三泊間新線に切り替え。東留萠信号場廃止
         12月16日 羽幌炭礦鉄道築別―築別炭礦間開業

ということで、築別炭礦からの石炭は、この旧ルートは通っていない。


新線切り替えは、鉄道誌にあるような概念図だけでは意味を理解できない。地形を立体的に表現した地形図や空中写真を参照してこそ。鉄道誌は、そのあたりをぜひ考慮して欲しい。図版の制作は承りますよ。

* * *

同日追記

@Tempoku2000さんから、下記のようなコメントをいただいた。

『国鉄全線各駅停車1 北海道』(1983年)掲載の配線図を見ると、たしかに手前から分岐している。そして、留萠本線用のホームに入るルートからは、そちらに抜けられない。ご指摘ありがとうございました。

* * *

なお、大河川を2回渡ってまで作られた駅としては、東海道本線大阪駅がある。逆に、大河川を渡るのを諦めた路線としては、越後鉄道長岡線が、長岡駅ではなく来迎寺駅につなげた例がある。


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