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新真谷トンネルを抜けると新鬼ヶ城トンネルにつながるが、ここでも谷側に旧道がある。上記の地図は2009年のうおっ地図で、赤い線を載せたところが旧道だ。その一つ目が索道平隧道。

 
このシンプルな西口坑口の向こうには、驚くべき光景が広がっていた。

 
索道平隧道には覆道がつながっているが、とりあえず振り替える。こちらが東口坑口。

 
 
 
片側交互通行用の信号機がうち捨てられていた。2灯式が一つ、3灯式が二つ。

 
信号待ち約5分。

 
平成6年(1994年)小糸工業製造のA形プログラム「多段」式交通信号制御器。


平成3年(1991年)足立電材製造の交通信号機用接続端子函。新鬼ヶ島トンネルの完成は平成12年(2000年)3月なので、10年も使われずに放棄されたということだ。高価なものだろうが、再利用できない理由があるに違いない。知りたい。

 
先走って信号機の写真を挙げたが、トンネルを出るとこう見える。

 
覆道を出たところ(西口)。覆道に「索道平隧道」と掲げられている。

この「索道平」というのは有峰第一発電所工事にちなんだものと思われる。和田川左岸の工事のために、右岸の有峰林道から合計4個所にケーブルクレーンやロープウェイが架設された。その索道のなにかしらの施設があったのだろう。



●関連項目
・埋められた大萩隧道(有峰林道)
・イタドリ隧道(有峰林道)
・信号があった真谷トンネル(有峰林道)と和田川第一発電所
・ニンニク隧道








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有峰林道の半四郎トンネルと新真谷(まだに)トンネルに沿って旧道があり(赤く塗った部分)、いくつかの隧道が残されている。イタドリ隧道に続いて真谷隧道。

 
西口坑口。右が谷側、和田川第一発電所に至る道。行っても施設は見えない。

 
真谷隧道に入ると、天井で蛍光灯が赤く明滅していた。かつては常時点灯していたのだろうか。内部はかなりの急勾配で、真正面は開口部。

 



開口部。発電所方向からこの隧道に乗り入れる向きに、信号が取り付けられている。いまはこれと対になる信号機はないが、この真谷隧道の前後にも信号があったのかもしれない。

冒頭に貼った2009年当時の「ウォッちず」からキャプチャした地図では、このあたりでトンネルがいったん途切れ、橋で川を渡ってまたトンネルに入るように描かれているが、実際はそんなものはない。現在(2019年)の地理院地図では、連続したトンネルとして描かれている。

 
もう1個所の開口部。「あぶない!」と書かれている。和田川第二発電所へのルートだろうか。

 
真谷隧道東側坑口。信号機をつけていたと思われるステーや電線がある。坑門は、起拱線より上に、アーチを表す意匠がある。左に見えるのが和田川第二発電所。

 
標識。


さらに行くと、ゲートが降りており、新真谷トンネルの東側坑口に出た。ゲート前にはクルマが泊まっていた。北陸電力の関係者だろうか。


●関連項目
・埋められた大萩隧道(有峰林道)
・イタドリ隧道(有峰林道)
・ニンニク隧道




有峰林道の半四郎トンネルと新真谷(まだに)トンネルに沿って旧道があり(赤く塗った部分)、いくつかの隧道が残されている。旧道には和田川第一発電所と和田川第二発電所があるため、特に西側からのアプローチが残されているのだと思われる。

 
写真1。イタドリ隧道西口坑口。イタドリが多いのかどうかはまったくわからない。いまならスマホで画像検索すれば同定できるだろうが、取材時は2009年。

 
写真2。入ってすぐ振り向くと、右(山側)に冬季用通路への入口がある。

 
写真3。東に向かうと、衝撃的な光景。隧道内分岐だ。西口と同じ断面積に見えるのは、向かって左、素掘りのほう。右は、改良工事で新しく掘られたルートだと思われる。

 
写真4。右を進むとシェッドがかかっており、シェッド越しに大量の水が滝となって落ちている。路面は桟橋のようだ。左のコンクリートの向こうには、先の素掘りの隧道がある。

 
写真5。シェッドを抜け、その先の隧道に入って振り替えると、右に素掘りの隧道の東側坑口。つまり、こういうことだ。




 
写真6。シェッドの「外」、山側に残された部分。谷側は破壊されたままで、山側に、片洞門のように覆工が残る。しかし、隧道と「片洞門」の境目、坑門の断面はきれいだ。ここが覆工の継ぎ目だとしても、ここまできれいになるものだろうか。カッターで切ったようにも思えない。

 
写真7。イタドリ隧道東側坑口。土手っ腹に穴が開き、シェッドで覆われていたが、かつてはきちんと1本の隧道だったはずだ。


●関連項目
・埋められた大萩隧道(有峰林道)
・ニンニク隧道










 
2009年6月、有峰林道をツーリングしていたときに、この、口にモノを詰め込まれたような廃隧道を見つけた。道中、いくつもの新しいトンネル・古いトンネル、明らかな付け替え跡を見ていたが、20人くらいで走っていたこともあり、スルーしていた。しかし、このインパクトの強さに、ここだけは停まってメモ。後日、改めて訪れた。この大萩隧道がなかったら、再訪はしなかったかもしれない。

有峰林道の廃隧道等のことは『日本の廃道』43号(2009年11月号)に寄稿したが、時間も経ったことでもあり、このブログではそこに記載した隧道等について掲載していく。すべて取材は2009年7月である。その後、新しい付け替え道路が誕生した部分もある。

この大萩隧道は、上の写真の通り、谷側に桟道と橋をかけ、隧道を廃止している。橋は「大萩橋」といい、平成17年(2005年)12月竣功である。

 
石塊の上に立って、坑門を真正面から、迫力ある写真を撮りたかったのだが、それはとても無理だった。登れないというか、グズグズだった。


このとおり、要するに不要土砂を、隧道封鎖を兼ねて旧道に置いてある。これは、他の付け替え部分でも見られる。

 
反対側の坑門。写真中央、カマボコ型のコンクリートがわかるだろうか。大萩隧道のヴォールトの跡である。半分は開削され、その開削された法面もコンクリートで固められている。

 
写真右端に、直方体のコンクリートが斜めに突き刺さっているように見える部分がある。これは冬季用通路で、道路を横断して谷側に繋がっている。入ろうとしたが、内部は水が溜まっていて歩ける状態ではなかった。

推測だが、冬季用通路は旧道の山側に人道トンネルがあり、大萩隧道内部に通じているのではないかと思われる。

また、この大萩隧道には、さらに旧隧道があったようだが、現地ではわからなかった。

●関連項目
 

ニンニク隧道
 
丸田祥三さんの廃線跡撮影で、中央本線の東塩尻信号場跡に連れて行っていただいたときに出会った隧道。丸田さんは、子供の頃、友人と3人でここを訪れたことがあり、水の流れるトンネルをくぐって線路の向こう側に行ったら、当時は現役だった信号場があったとのこと。そんなお話をうかがいながら、轍のある雪道を行くと、5枚巻きの煉瓦の坑門があった。内部には水路があるのがうかがえる。

 
流れているのは雪解け水だろうか。丸田さんが子供の頃は、トンネル内はコンクリート細腕はなかったようだが、いまはこうなっている。そして、水が道路側にあふれ出ないように「堤防」がある。

 
坑門に向かって右側は、ちょっと傷んでいる。クルマをぶつけるにしては位置が低い。

 
 
トンネル内は、入り口付近は煉瓦巻きだが、途中からはコンクリート巻きに改修されている。

 
トンネル内は両側に水路がある。後述する沢の水を流す水路として作られているのは向かって左。右はおそらく湧水を流すのみ。そして、内部は向こうに向かって登っている。「堤防」が段違いになり、そして角度がついていることからもわかる。

 
 
向こう側の入り口付近もコンクリート巻き。そして坑門はコンクリート製だ。両端で煉瓦・コンクリートと異なることが、本来の姿だとは考えにくいので、おそらくこちらは改修されたものだろう。

水路はこのとおり。写真右下のように、コーナーは、さらに改修されている。この上は築堤であり、中央本線と、東塩尻信号場の引き上げ線がある。

* * *

さて、現地はこうだ。東塩尻信号場は描かれていないが、もっと拡大すると、引き上げ線は図示されている。

これを、右から左へと見てきた。

 
写真右が引き上げ線、その右に本線。右下にあたる部分に、善知鳥トンネルがある。左の谷に流れる水が、先のトンネル内の水路に流れ込む。このトンネルを抜ければ、本線を横断せずに信号場跡にたどりつける。

spcl thnx to 丸田祥三さん。いま、廃線の本を一緒に作っているのでお楽しみに!





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