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ノーマークだったのだけれど、JR可部線の車窓に見えたので途中下車。カンチレバートラスのうち、碇着桁の上凸の部分(何か名称があると思うのだが)に下凸レンズ状の部材が入る形式。

神奈川県の旧大師橋がこの形式だった。現存しているものってほかにあったっけ?

かながわの橋100選より)

 
リズミカルな上凸。シルバーの塗装が美しい。

 
落橋防止材も付加されている。「その部分」が分離する構造であることがわかる。この上凸部分でいえば、碇着桁は写真右側であり、写真左側は吊り桁。




吊り桁の上部はピンで結合されている。左が碇着桁、右が吊り桁。

 
下側は見えないが、外観からしてピン結合と思われる。

 
碇着桁を内側から。

 
左岸側。親柱左は「おおたがわはし」。右には銘板はない。

 
左岸、右側に銘板がある。

1956年12月
建設省建造
道示(1955)一等橋
製作●● 新三菱重工業神戸造船所
材質 SS41

「歴史的鋼橋集覧」によれば「1956年示方書」とあるが、銘板は「1955」に見える。


 
すぐ下流のJR可部線太田川橋梁。


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長安口貯水池にかかるカンチレバートラス。といってもキャメルバック型とでも言おうか、通常は支承の上部が突き出すが、吊り桁の上弦の高さがそこと同じ高さになっている。シチサンないし真横から撮れる位置がないので、なかなかわかりづらいのだが。(この日は上流側、国道193号が通行止めだった)

左岸川(北側)の親柱は、左が「であいはし」、右が「那賀川」。

 
手前に見える|X|X|X|X|という橋門構のような部分の垂直材の真下が支承・橋脚。その一つ奥の上横構はよく見ると2本あり、そこが接合部で、その向こうが吊り桁。

 
 
接合部。上弦はピンで接合されている。

 
橋を渡るとそのまま出合トンネルに吸い込まれる。信号機のあるトンネルだ。

 

右岸側(南側)の親柱。左が「出合橋」、右が「徳島市へ八二粁」

 
銘板がある。

昭和29年(1954)
徳島県建造
内示(昭和14年)一等橋
製作株式会社宮地鉄工所

 
隣接して上流側に仮称出合大橋が建造中だ。ニールセンローゼになる。




静岡県富士市の山中にあるカンチレバートラス。といっても、横から眺めることがまったくできず、カンチレバートラスの特徴である「ツノ」を写真におさめることができていない。現地ではそのように思っていたが、こうして写真を見ると、その向こう…県道25号からこの県道10号に降りてくる接続路…から見下ろせば、きちんと見えたはずだ。ストリートビューでいま確認した。かように現地では気づかないものである。これは南東側(富士市街側)。

橋長200mで、碇着桁のスパン各42.7、吊り桁のスパン70.8m。その両側に16.2mのプレートガーダーがつく。

  親柱。向かって左は「富原橋」。その上の橋名には「富士川町」とあるが、既に富士市と合併している。そして向かって右は「完工 昭和31年3月31日」。このような銘板は不憫だ。

 カンチレバーたるゆえんの接合部。左が碇着桁のツノ、右は吊り桁である。写真中央、上弦にピンが二つ見える。

 このように、一見華奢である。

 下部のピン。

   北西側。親柱向かって左は「とみはらばし」と「ば」が濁っている。右は「昭和三十一年三月竣工」。南東側は「完工」およびアラビア数字での記載となっている。なぜ異なるのかはわからない。こちらがわ、左の端柱に銘板が見えるのだが、現地ではうっかり写真に撮っていない。

富士市のサイトに、開業時の写真がある。
いまはここに人家が建ち、見えない。付け加えると、その人家の犬は非常によい番犬の働きをする。


歴史的鋼橋集覧はこちら。
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/T11-025.htm

直上の写真にも見えているが、この上流に廃橋脚がある。それは次回に。
大橋 または大石田大橋(山形県/最上川)の下流、直線距離で12kmくらいのところにかかる3径間のカンチレバートラス。 これは左岸(南側)から上流側(東側)を撮ったもの。

左岸側橋門構と親柱。左は「堀内橋」、電柱に隠れた右は銘板が剥がされている。

銘板がある。

昭和31年(1958)
山形県建造
内示(昭和14年)一等橋
製作 瀧上工業株式会社

さて、橋を渡る。
写真左側が、カンチレバートラスたる、吊桁の左岸側/東側。写真は上流を向いている。上弦のピンから落ちる垂直材の途中にもピンがある。

垂直材と、ピン部分のガセットとがピンで結合されている。下弦部分も写真を撮ったが、見えない。

そのまま左に平行移動していったもの。写真左が右岸側の碇着桁。こちらはピンの下に垂直材が入らない。ということは、先の部分で気温による伸縮を受け止めるのか。

右岸側橋門構と親柱。左は「ほりうちはし」、右は「最上川」。

左岸側から桁の裏。下弦のガセット部分に横桁を渡し、横桁上部に細い縦桁を通して(横桁にリベット留めして)床版を貼ったものだ。


大石田の大橋とセットで見て欲しい。このとき大橋も再訪したが、相変わらず美しかった。

山形新聞に掲載された堀内橋の記事はこちら


十勝川にかかる巨大なカンチレバートラス。中央径間は108m、側径間は各63mで、カンチレバートラス部分だけで橋長332.4m。さらに外側に支間48mのワーレントラスがかかる。ここだけで428.4mにもなる。

しかし、この広大な高水敷を見よ。高水敷には径間34mのカンチレバープレートガーダーがそれぞれ9桁架かり、全長は945.7mにもなる。恐るべき十勝川の幅。

とはいえ、ここは十勝川の改良で開削された部分である。その工事の詳細は『十勝の森林鉄道』(小林実著/森林舎)に掲載されている。

この橋は、着工こそ戦前の昭和10年(1935年)だが、中断を経て戦後に再着工、昭和28年(1953年)に完成している。十勝毎日新聞によれば、その後、取り付け部の道路が流されるなどしたため高水敷を作り直し、その際に長大なカンチレバープレートガーダー34連という光景ができあがった。1961年、再開通。

上流側には歩道が添加されている。

カンチレバープレートガーダー。

1948年の空中写真
を見ると、形はだいぶできているようだ。


<関連項目>
豊頃の「新日本石油」(北海道)





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