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長安口貯水池にかかるカンチレバートラス。といってもキャメルバック型とでも言おうか、通常は支承の上部が突き出すが、吊り桁の上弦の高さがそこと同じ高さになっている。シチサンないし真横から撮れる位置がないので、なかなかわかりづらいのだが。(この日は上流側、国道193号が通行止めだった)

左岸川(北側)の親柱は、左が「であいはし」、右が「那賀川」。

 
手前に見える|X|X|X|X|という橋門構のような部分の垂直材の真下が支承・橋脚。その一つ奥の上横構はよく見ると2本あり、そこが接合部で、その向こうが吊り桁。

 
 
接合部。上弦はピンで接合されている。

 
橋を渡るとそのまま出合トンネルに吸い込まれる。信号機のあるトンネルだ。

 

右岸側(南側)の親柱。左が「出合橋」、右が「徳島市へ八二粁」

 
銘板がある。

昭和29年(1954)
徳島県建造
内示(昭和14年)一等橋
製作株式会社宮地鉄工所

 
隣接して上流側に仮称出合大橋が建造中だ。ニールセンローゼになる。




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静岡県富士市の山中にあるカンチレバートラス。といっても、横から眺めることがまったくできず、カンチレバートラスの特徴である「ツノ」を写真におさめることができていない。現地ではそのように思っていたが、こうして写真を見ると、その向こう…県道25号からこの県道10号に降りてくる接続路…から見下ろせば、きちんと見えたはずだ。ストリートビューでいま確認した。かように現地では気づかないものである。これは南東側(富士市街側)。

橋長200mで、碇着桁のスパン各42.7、吊り桁のスパン70.8m。その両側に16.2mのプレートガーダーがつく。

  親柱。向かって左は「富原橋」。その上の橋名には「富士川町」とあるが、既に富士市と合併している。そして向かって右は「完工 昭和31年3月31日」。このような銘板は不憫だ。

 カンチレバーたるゆえんの接合部。左が碇着桁のツノ、右は吊り桁である。写真中央、上弦にピンが二つ見える。

 このように、一見華奢である。

 下部のピン。

   北西側。親柱向かって左は「とみはらばし」と「ば」が濁っている。右は「昭和三十一年三月竣工」。南東側は「完工」およびアラビア数字での記載となっている。なぜ異なるのかはわからない。こちらがわ、左の端柱に銘板が見えるのだが、現地ではうっかり写真に撮っていない。

富士市のサイトに、開業時の写真がある。
いまはここに人家が建ち、見えない。付け加えると、その人家の犬は非常によい番犬の働きをする。


歴史的鋼橋集覧はこちら。
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/T11-025.htm

直上の写真にも見えているが、この上流に廃橋脚がある。それは次回に。
大橋 または大石田大橋(山形県/最上川)の下流、直線距離で12kmくらいのところにかかる3径間のカンチレバートラス。 これは左岸(南側)から上流側(東側)を撮ったもの。

左岸側橋門構と親柱。左は「堀内橋」、電柱に隠れた右は銘板が剥がされている。

銘板がある。

昭和31年(1958)
山形県建造
内示(昭和14年)一等橋
製作 瀧上工業株式会社

さて、橋を渡る。
写真左側が、カンチレバートラスたる、吊桁の左岸側/東側。写真は上流を向いている。上弦のピンから落ちる垂直材の途中にもピンがある。

垂直材と、ピン部分のガセットとがピンで結合されている。下弦部分も写真を撮ったが、見えない。

そのまま左に平行移動していったもの。写真左が右岸側の碇着桁。こちらはピンの下に垂直材が入らない。ということは、先の部分で気温による伸縮を受け止めるのか。

右岸側橋門構と親柱。左は「ほりうちはし」、右は「最上川」。

左岸側から桁の裏。下弦のガセット部分に横桁を渡し、横桁上部に細い縦桁を通して(横桁にリベット留めして)床版を貼ったものだ。


大石田の大橋とセットで見て欲しい。このとき大橋も再訪したが、相変わらず美しかった。

山形新聞に掲載された堀内橋の記事はこちら


十勝川にかかる巨大なカンチレバートラス。中央径間は108m、側径間は各63mで、カンチレバートラス部分だけで橋長332.4m。さらに外側に支間48mのワーレントラスがかかる。ここだけで428.4mにもなる。

しかし、この広大な高水敷を見よ。高水敷には径間34mのカンチレバープレートガーダーがそれぞれ9桁架かり、全長は945.7mにもなる。恐るべき十勝川の幅。

とはいえ、ここは十勝川の改良で開削された部分である。その工事の詳細は『十勝の森林鉄道』(小林実著/森林舎)に掲載されている。

この橋は、着工こそ戦前の昭和10年(1935年)だが、中断を経て戦後に再着工、昭和28年(1953年)に完成している。十勝毎日新聞によれば、その後、取り付け部の道路が流されるなどしたため高水敷を作り直し、その際に長大なカンチレバープレートガーダー34連という光景ができあがった。1961年、再開通。

上流側には歩道が添加されている。

カンチレバープレートガーダー。

1948年の空中写真
を見ると、形はだいぶできているようだ。


<関連項目>
豊頃の「新日本石油」(北海道)



岡山城のお堀(「濠」かもしれない)にカンチレバートラスが架かっている。それも、トンガリがひとつの、まるで斜張橋のようなものが。

歩道橋であるため、非常に細身。スパンが長いのにポニートラスであるため、トラス桁の高さがある。こういう、背の高いポニートラスは大好きだ。

左右のトラスを天で結んで箱状にする通常のトラス橋ならここまでの高さは必要なくなると思うが、そうすると人が通れないし強い圧迫感も出る。そのあたりのバランスの上で成り立つ(と思う)背の高いポニートラスはかっこいい。

トンガリ部分がひとつしかないので、それを挟んで両側が吊り桁かと思いきや、お城の内側(北側)が碇着桁で、外側(南側)が吊り桁だ。家の写真はお城方向を見た者で、上弦にピンが見える。トンガリの向こう側にはピンはない。

下弦のピン。

お城の内側から。


うっかり桁裏を撮り忘れた。





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