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現代においても、山間部の奥の奥、あるいは岬の先などに、「どうやって生活しているのだろう」と思ってしまう集落は無数にある。「ポツンと一軒家」のところもよく見る。自給自足に近い形で暮らしているところもあれば、街で暮らす私のような者には想像できない形の産業や経済が成り立っている場合もある。

本書の帯に躍るのは「昭和三十年代の日本奥地紀行」という文字。現代よりはるかにインフラの整備もなかった時代の、そういう場所はどんな様子だったのだろうか。都市でも観光地でもない、記録に残りづらい場所を記録している本書は、大変貴重な存在だ。戦後開拓者が入植して10年程度の地域の開拓民の感覚を載せていたりする。

とはいえ、本書を読むのは難しい。昭和30年代の鉄道や利用者を想像するのは、過去に刊行されている膨大な資料から、比較的簡単だろう。しかし、当時の、ものすごい速さで変化していく社会の感覚を想像することは、とても難しい。それでもなんとか想像をしながら読まないと、描かれている地域の住民の意識も、著者の意識も誤読してしまいかねない。また、現代の観点では「偏見」「思い込み」としかいいようのない描写も散見される。それも「そういう偏見があった、という歴史」として読んでいくしかない。



現代では当たり前のようにほぼすべての公共交通機関の情報、時刻表が瞬時に入手できるし、地形図も手元で即座に参照できるが、当時は「行ってみないとわからない」時代。著者は日本交通社の『旅』の編集者という、特権的に情報へのアクセスができる環境だったにも拘わらず、入手できる情報はわずかだった。電話で確認しようにも、電話もない。情報は、現地在住の知人に手紙で尋ねるという方法で入手している。まさに冒険であり、旅行者からしたら、そのような場所は「秘境」に見えた。

そんな場所でも、旅館はあった。すべて飛び込みでの宿泊だっただろう。当時はそういうことが機能していた。いまでも、「なんでこんな場所に旅館(の跡)が?」と思うことは、よくある。

本書の観点は「都会の旅人」である。旅人といっても、あの時代の登山をみっちり経験した旅人だ。だからかもしれない、「秘境」に夢を見て現地で近代化に失望する、という描写が散見される。読んでいて、鼻持ちならない表現も頻出する。

地域に優劣をつける。
自分が気にくわない場所をこき下ろす。田沢湖がもっともひどい。
蔑視、決めつけ。
「貧しい」という表現が頻出。
田舎は慎ましくあるべきという思想。
村人は素朴であるべきという思想。
「鄙には稀な」という表現。
ダムが地域を破壊する。地域にはお金も利便性も落ちてこない。

探訪した地域を「貧しい」と決めつける著者は、地域にどうあってほしかったのか。おそらくその言葉の裏には「戦後の近代以前の姿を見たかったが、間に合わなかった」という意識があるのではないか。そのためか、執筆は約10年間に及ぶため、立ち位置の揺れも見られる。

しかし、東京のど真ん中だろうと、東京から3昼夜かけないとたどり着けないところだろうと、そこに済む人は、等しく近代化を、経済的な豊かさを欲する権利がある。著者の視点はあくまで「旅人」の上から目線であり、地域の気持ちになってものを考えるということはない。自分が尋ねる場所には、明治時代のような生活をしている人たちがいるべきで、そこには電気やガスが来てはならず、鉄道もバスも来てはならない、と思っているように見える。図らずも、戦前に東北大学に進学できるような都会人の意識という「歴史」の一つが、本書には埋め込まれている。

紀行文そのものは、いい。これくらいの主観が入った紀行文はなかなかない。肩肘を張りすぎて少しこなれていない宮脇俊三といったところだ。



本書が取り上げる地域はこうだ。そのほとんどの地域を90年代に訪ねたことがあるが、その40年前にはここに描写されているような地域だったことを考えると、その変化はものすごいものだ。それから30年が立つが、光景としての変化は「1960年くらいから2000年くらいまで」の40年の変化に比べれば微々たるものだろう。

◎山
山頂の湿原美と秘湯 赤湯から苗場山へ
九州山脈を横断する 五家荘から椎葉へ
乳頭山から裏岩手へ 秘話ある山越え
◎谷
神流川源流をゆく 西上州から奥信州へ
大杉谷峡谷をさぐる 秘瀑の宝庫
アスパラガスを生む羊蹄山麓 地場産業の創出
◎湯
中宮温泉の二夜 白山山麓の動物譚
酸ヶ湯の三十年 冬の秘話
夏油という湯治場へ 奥羽山中の秘湯
◎岬
陸の孤島・佐多岬 四国の最西端
日高路の果て・襟裳岬 開拓民の連帯感
四国の果て・足摺岬 憧憬者の心境
◎海
千島の見える入江 早春の野付岬へ
四国東海岸をゆく 橘湾から室戸岬へ
離島・隠岐の明日 新航路への期待
◎湖
氷河の遺跡・神秘な小湖群 津軽・十二湖
木曾御岳のふもと 開田高原から三浦貯水地へ
長老湖と高冷地 南蔵王に生きる人々





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先日、凱風社の『バイク林道ツーリングマップ』3冊を譲り受けた。バイク好きでベイスターズファンだった方が、若くして亡くなった。その形見分けとしていただいたものだ。80年代の林道事情は、まとまった資料が乏しい。オフロードバイク雑誌かクロカン四駆誌の連載記事などを丹念にあたるしかない。

…と書いたが、オフロードバイクと対極にありそうな『ミスターバイク』に、佐藤信哉さんが「ファイヤーロードクラブ」という連載をしていた。90年代半ばは、2台のDT200Rでシンヤさんが走りに行き、シンヤさん手書きの地図とともに掲載していた。シンヤさんの軽妙な文章は、「路面の説明」でも「マシンのスペック」でもなく、とても楽しそうな旅の記述だった。この凱風社の本は、その連載の前身だったと思う。


 
この本がどれだけ優れ、どれだけの資料性があるかというのは、これをご覧いただければわかると思う。

 
GPSなどない当時、『二輪車ツーリングマップ』(マップル、でもいいが)の縮尺では、とても林道の入口はわからない。ところがこのマップの細かさといったら、Googleのストリートビューレベルの細かさだ。そして、舗装と未舗装が描き分けられている。

これらを誌面そのまま掲載するのは著作権的にアウトだとは思うが、掲載しなければ本書のすごさは絶対に伝わらないので著者のお二方にはどうかご容赦いただきたい。


この地図を描いているのは、酒の漫画で超有名なラズウェル細木さんだ。本書は「窪田京一・画」となっているが、これはラズウェルさんの本名。私も最初は気づかなかったが、唐突に『信州編パート1』にラズウェル細木さんの漫画が掲載されていて、「あれ?」と思ったのだ。右上、二筒がスポークホイール+ブロックタイヤ…(笑)

私は仕事でラズウェル細木さんのコミックエッセイの文庫化を担当したのだけれど、外部編集者(OB)にすべてをお願いしていたので、直接の面識はない。

 
 
私が今回入手したのは
(1)丹沢編 改訂版 1986年7月15日 改訂版第1刷発行
(4)奥多摩編 1986年4月30日 初版第1刷発行
(5)信州編パートⅠ 1987年6月15日 初版第1刷発行
だ。掲載している林道群は、上記を見て欲しい。「信州編」は、甲府北部など山梨県も多く含む。
ただ、ここに掲載している大多数の林道は、現在では舗装されたか、通行止めとなっており、往時のままなのは、川上牧丘林道ほか数えるくらいしかなさそうだ。とはいえ、これを眺めていると、舗装路でいいから走りに行ってみたくなる。

未入手のものは、
(2)富士山編パートⅠ
(3)富士山編パートⅡ
だ。これら「BIKEの本」シリーズは、自社広告によれば「ビニールカバー付」とある。私の手元に来た3冊はそれがないので、元の所有者が取り外したのだろう。ビニールカバーは、10年もすれば収縮して割れてしまう。そういうものだ。


* * *

 
同時に、この1冊も譲り受けた。『ザ・ベーシック・モトクロス』(石井正美著/山海堂)。1990年初版発行。レジェンド・石井さんによる、モトクロスの入門書。石井さんには『月刊ガルル』時代に大変お世話になった。当時、多くのテクニック本を手掛けている。


この本に、この未使用ステッカーが挟まっていた。このステッカーこそ、元所有者の青春なのだろう。本4冊も大切だが、このステッカーこそ、このままそっと私の手元で大切にしていきたい。

17th 学二連 FESTIVAL ENDURO
3, May, 1987, in S.P Saitama

S.Pさいたまというのはオフロードコースだろうかのちのオケガワ、HARP。「学二連」は学生二輪倶楽部連盟、関東・中部・関西などでそれぞれまとまって活動していたようだ。




















「暗渠マニアックス」のお二人による、すごい本が出た。タイトルがいい。『水路上観察入門』。かの『路上観察入門』に1文字加えただけで、こんなに意味が変わるとは。実はタイトルは著者それぞれで意味が異なる。吉村さんは「"水路上"観察」であり、髙山さんは「"水"路上観察入門」。それぞれが「第1部」「第2部」となり、本書はそれらが半分ずつで構成されている。

書きたいことは山ほどあるが、個々の内容の紹介はきっと他の方々もすると思うので、「路上観察」の観点から書く。


※私は『片手袋研究入門』の石井公二さんと、いわゆる「路上観察」界隈のお話を聞く「都市のラス・メニーナス」という配信をしているのだけれど、その流れです。

※私自身は「路上観察」というと、初出から40年近くが経って当時の社会情勢を前提としない解釈がほとんどとなり輪廓がぼやけてきたこと、また「路上」に限らないものへも同じまなざしを送ることから、内海慶一さん提唱の「都市鑑賞」と言っています。しかし、本書の書名からして、ここでは「路上観察」と書きます。


まず、本書を手に取った方は、吉村さんの「はじめに」と髙山さんの「おわりに」を読んでほしい。本書のコンセプトは、林丈二さんの慧眼から発している。林さんは(きっと)すでに何十年も前に、「暗渠と路上観察」を一言で言い表す答えを用意していたのだ。日々、いろいろなものを見て、それについて考察している我々が掴めていない、はるかな高みからの視点を与えてくださった。



お二人に限らず、たぶん、好きなものに夢中になり、それをアウトプットしている方々は、それが、外から見たらどう定義されるものなのかというのは考えない。考える必要がない。他人に説明する義理もない。でも、林さんの言葉をきっかけに、吉村さんは自身の関心が「"水路上"観察」であることに気づき、髙山さんは「"水"路上観察入門」だと気づいた。その気づきをもって、お二人がご自身の活動を「路上観察」の観点で捉え直したものが本書だ。

いままでのお二人の活動は、私が見てきた範囲では、外部からは地図・地理系の視点で見られることが多かったと思う。東京カルチャーカルチャーに登壇されたのは「地図ナイト」であり「スリバチナイト」だったし、雑誌『東京人』での特集もその系統だった。

* * *

吉村さんの「"水路上"観察」と、髙山さんの「"水"路上観察入門」。乱暴にまとめれば、吉村さんの視線は、人の介入を含んだ歴史であり、水路ありきだ。一方、髙山さんのはそれらをいったん捨象してパーツにバラしたあとで整理したものだ。



吉村さんは、一定の基準で集めはするけれど、その個々を定義づけて分類したり分類の基準を語ったりはあまりしない。「どうぞ」と一斉に公開する。鑑賞に委ねる。村田あやこさんの「路上園芸」と似たスタンス。


端的なのが「自前階段」。あまりに「ありもの」を現物合わせで置かれているものなので、そもそも規格も基準もない。でも、そこに惹かれるのが、吉村さん。
 

髙山さんは、イベントでのプレゼンでもそうだが、マトリクスやフレームワークを多用する。見たものをどこかに分類する。人為は鑑賞の添え書きとはならず、人為までもがいったん数値化される。これは、石井公二さんの「片手袋研究」と似たスタンスだと感じる。



そのスタンスでいえば、髙山さんの「誰もが心の中に暗渠を抱えている」という言い回しは、石井さんの「あらゆるものは片手袋である」という考察結果と共通するものを感じるし、一見、分類しやすそうな「暗橋」(あんきょう=暗渠に残る、かつて水路に架かっていた橋の痕跡)でさえ、フレームワークからはみだすものが多いと書いているのは、石井さんが、片手袋で分類できるのは2割くらいだと言っているのと共通する。

マニアは、ものごとを知れば知るほど「知らない」ことを認識する。いろいろな「無意識による顕れ」を定義づけようとすると「定義できないことのほうが多い」という点に収斂していくのは、考察の深さの結果だ。


(石井公二「かたてブログ」より)

* * *



先に「お二人の活動は、私が見てきた範囲では、外部からは地図・地理系の視点で見られることが多かった」と書いたが、「暗渠」は、地図・地形ファンにも、路上観察ファンにも強い訴求力を持つ。暗渠は「境界をつくるもの」ではあるが、境界は、両側から必要とされるものでもある。私がいま思いついていないだけで、また別のものとの境界になっているかもしれない。そうしたことを考えるのはおもしろいし、自分や界隈の視点そのものをさらに俯瞰する視点を与えてくれる。

そういえば、私が「ドボクファン注目の30橋」という記事で参加した『東京人』2020年7月号「特集:橋とドボク」に、髙山さんの「 『暗橋』探訪 かつての橋の欠片たち」の記事があり、驚いた。驚いたというのは、この特集はドボク界隈の視点(+人文系)だとばかり思っていたからだ。そこに、地図・地形界隈と思っていた、暗渠からのアプローチ。こういうまとめ方があったか!と楽しく拝読した。

また、同じく『東京人』2021年3月号「特集:階段で歩く東京の凸凹」に、吉村さんの「暗渠にくっついた、愛しき階段」がある。これらは『東京人』編集者のTさんの発案だと思うが、Tさんもまた、『東京人』各号の特集を通じて、こうした境界を認識し、乗り越えさせてくれる重要な役割をいつも担ってくれていると改めて尊敬の念を抱く。

* * *

本書のサブタイトルは「まち歩きが楽しくなる」である。暗渠そのものの情報ではなく、暗渠に散らばっているいろいろなこと・ものをまとめたものだ。だから、いままでは地図・地形に興味がなくて暗渠は「ああ、あるね」くらいのスタンスだった、路上観察が好きな方にこそ見て欲しい。そこにはきっと、「あ、そのまなざし!」と自分と同じものを感じ、自分で言葉を継ぎたくなる記述が山のように見つかるはずだ。


* * *

おまけ。


古戸越橋は、たまたま撮っていた。2014年の撮影。この橋は2016年にしながわ中央公園に移設されたとのこと。

 
新潟市の万国橋のすぐ西にある暗橋。たしか銘板はなかった気がする。

 
鶴瀬の扇田橋。

あと、「唐突にある謎の池」、思い当たることがある。髙山さんもブログ「暗渠ハンター 練馬の谷一気攻め①羽沢支流のトタン塀」で書いている羽沢支流。

この羽沢支流の暗渠道を、亀が這っていたことがある。このあたりのおうちのお庭に池があり、亀がたくさんいて、たぶんそれが逃げ出したもの。そこのお宅を訪ね、無事に返すことができた。吉村さんの「謎の池」は、それが裏付けのある論かとかそういう話ではなくて、とてもおもしろい見方だと思うし、実際にそう感じてくる。きっとそれも、ものすごくたくさんの暗渠を見たからこその顕れだし、そういう直感は、たいていの場合は正しい。今後、暗渠に入り込んだときは、この観点が必ず脳裏に浮かぶことになるだろう。











「ウズベキスタンのタシケントの地下鉄」と言われても、タシケントはおろか、ウズベキスタンの位置もうまく思い浮かべられない。「…スタン」だから、パキスタンから北に連なるあのへんかな…。北緯41度、東経61度あたり。内陸も内陸、ウルムチとジョージアの間あたり…。


タシケントはウズベキスタンの首都。旧ソ連。いま、旧ソ連の都市への旅が増えている気がする。そういう書籍や同人誌も増えている。本書は、ウズベキスタンの、それも地下鉄駅の意匠に限った本である。


タシケントの3本の地下鉄路線。そのすべての駅を掲載している。旧ソ連独特のテイストがグッと詰まっているに違いない。


「地下鉄駅が好きだったらウズベキスタンがいいよ」こんなセリフを言えるほど、多くの都市を知りたい。


駅の野暮な解説はない。鉄道ファン向けの知識もない。ただひたすら鑑賞する。ボドムゾール駅。


こんな駅が自宅最寄り駅だったらいいな。でも、やっぱり飽きるのかな。コスモナウトラル駅。


ドームが連なる。アリシェール・ナヴォイ駅。


いろんな意匠。


駅名標も、可読性など置いてけぼり。パフタコール駅。


帯の表4側には「宝石箱のような」とある。「宝石箱」を見たことはないが、TIFFANYのネックレスが入った箱なら見たことがある(ぼくが買ったりもらったりしたものではなく)。ちょうど、コスモナウトラル駅のような色合いの、美しい小箱だった。「宝石箱のような」という形容で、思い浮かべるもの、つながる誌面は人によって異なるだろうけれど、だからこそ「宝石箱のような」なんだろうな。

オールカラー、表2・3までカラー印刷、144ページ。これで本体1800円は安すぎる。

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「カストリ雑誌」という言葉は、高校の日本史で習ったような気がする。カストリ焼酎の「3合でつぶれる」にひっかけて「3号でつぶれる、粗悪な紙に印刷された、エログロ雑誌」というような形で。

そんな「カストリ雑誌」の創刊号(出版業界では「創刊」は雑誌コードを取ったものに使うので、「創刊」にはいくつもの意味があることにご留意いただきたい)の表紙を116冊分掲載し、分析を試みたのが、本書である。購入はカストリ書房およびサイトより可能
 

「表紙だけを集めても、中身がないと…」とか「資料性はあると思うが…」などと思うことなかれ。多くを集め、同じ距離感で眺めることで、見えてくるものがある。それは『街角図鑑』しかり、私が尊敬する方々の収集(具体的にモノを集めるという意味ではなく、同じカテゴリを見続けるという意味)で、私たちは十分に感じている。

まずは、116冊におよぶ表紙を眺めて欲しい。私がそこで気づいたのは「昭和23年5月創刊が、やたら多くないか?」ということだ。

次いで、タイトルや表紙に謳われた惹句を眺めて、ああ、この時代にはこの単語がそういうイメージで使われているのか、ということも大いに感じ取ることができた。当たり前だが、性に関する意識、行為ともに、現代とは比較にならないほど「幼い」とでもいおうか、そういう時代である。

これは、イラストやデザインの知識がある人はそちらが気になるなど、各人の素養に大きく左右される部分があるだろうが、とにかく一通り眺めることで、カストリ雑誌の表の意図と裏の意図、あるいは志まで感じることができる。



巻末には、編集・発行者であるカストリ出版の渡辺豪氏による「カストリ雑誌小研究」と題された付録がある。創刊タイトル数、価格分布、ページ数分布の推移がグラフになっており、前述の感想は、まさにそのとおりだった。我ながら、直観がなかなかいいところを突いていた。


その付録の資料性は高く、収録された創刊号のタイトル、版元、創刊号の目次などが詳細に記されている。大日本印刷、共同印刷という、日本を代表する印刷会社も関わっている。

また、私はこれまでカストリ雑誌について解説された記事すら読んでいなかったが、付録を読み進めるにつれ、冒頭に書いたようなイメージがすべて誤りだったことを知る。

巻末に、渡辺氏による「カストリ雑誌とは何か」という解説がある。私は先に、116冊の表紙を眺めることで「カストリ雑誌の表の意図と裏の意図、あるいは志まで感じることができる」と書いた。私にとってはこの解説は、私の感想をもっと高みから俯瞰して分析し、考察し、定義し、あるキーワードとともに、現代の我々の感覚に直接呼びかけてくるものにしてくれた。ものすごく腑に落ちる解説だった。そのキーワードは、他の芸術界隈でも、時に、いや、よく耳にする言葉である。

* * *



2015年9月、東京・池袋の東京芸術劇場ギャラリー1にて「戦後池袋 ヤミ市から自由文化都市へ」という展示が開催された。そこで多くのカストリ雑誌が並べられ、自由に手にとって見ることができた。こういう場所と、カストリ書房に出入りする人たちが結びつくといいなと思う。芸術劇場に行った人でも、カストリ書房を知らない人、『カストリ雑誌創刊号表紙コレクション』を知らない人はものすごく多いだろう。そこが結びつきますように。


●関連項目
『秋田県の遊郭跡を歩く』(文・小松和彦/写真・渡辺豪)
『遊郭を行く1976』(遠藤ケイ)
『御手洗遊郭ものがたり 女は沖を漕ぐ』(黒川十蔵/カストリ出版)





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