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旧・越路橋(1)
旧・越路橋(2)
ハンディサイド/岩田橋(新潟県)の続き。

岩田橋のすぐ上流にあるのが、この不動沢橋である。
岩田橋とともに旧越路橋から転用されたトラス桁である。
当たり前だが、見れば見るほどそっくり。
残念なのは、シチサン写真を撮れる環境ではないのである。
20091125-2.jpg

真横から20091125-1.jpg見ると、この華奢な感じがよくわかろう。

それにしても、川幅といい水面高さといい、あまりに唐突な気もします。


20091125-3.jpg20091125-4.jpg

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旧・越路橋(1)
旧・越路橋(2)の続き。


20091124-7.jpg
前述の越路橋の兄弟橋である。
かつての信越本線信濃川橋梁の6連のうち、端部の1連が
この越後岩塚駅からほど近い場所に道路橋として転用された。
架けられているのは、渋海川という信濃川の支流である。

いかにも鉄道橋然とした細身。
前述の、拡幅された旧越路橋のトラスと比べてほしい。

20091124-2.jpg



































20091124-3.jpg縦桁には、なにかを鋲接していたような跡がある。

プラットトラスの斜材の実測寸は(括弧内インチは推測)、
第1パネル:圧縮材 幅304mm(12インチ) 厚さ40mm(1と9/16インチ)
第2パネル:圧縮材 幅256mm(10インチ) 厚さ40mm(1と9/16インチ)
第3パネル:圧縮材 幅232mm(9と1/8インチ) 厚さ30mm(1と3/16インチ)
引張材 幅103mm(4インチ) 厚さ18.5mm(11/16~3/4インチ)
第4パネル:圧縮材 幅205mm(8インチ) 厚さ25.4mm(1インチ)
引張材 幅154mm(6インチ) 厚さ18mm(11/16インチ)

そして、圧縮材(上写真)と引張材(下写真)の下弦との接合部分はこうであった。
20091124-6.jpg20091124-5.jpg








































(関連情報)ハンディサイド/不動沢橋(新潟県)

旧・越路橋(1)の続き)
20091123-1.jpg20091123-2.jpgさて、これが移設・保存された旧越路橋のトラスである。
8パネルであったものが3パネルに短縮されている。
注目していただきたのは中央パネルである。

この写真でいうと\の斜材の幅は304mm(1フィート)、厚さは40mm(1と9/16インチ)、
/の斜材の幅は153mm(6インチ)、厚さは18mm(11/16インチ)。

・・・というのはメモを見て書いているのだが、後日報告する
不動沢橋・岩田橋の部材の寸法や、写真(リベットの打ち方)から判断すると
\の斜材の幅は205mm(8インチ)でなければおかしい。
謎だ。

薄い斜材は軽く叩くとゴイーーーーーン・・・と振動する。
本来は、中央パネルの引張方向の荷重を受け持つ部材である。


なお、橋台・橋脚は、原型を望むべくもない。
なんでこんなに何カ所にも橋脚をかましてあるんだろう・・・。


20091123-3.jpg20091123-4.jpg20091123-5.jpg橋門部の延長改造を施した部分がよくわかる。
なんとも美しい。

ハンディサイドの銘板はレプリカだろうか。



(関連事項)
ハンディサイド/不動沢橋(新潟県)
ハンディサイド/岩田橋(新潟県)



越路橋。
こしじばし。
いい響きだ。

越後国を「越路」と呼ぶことがある。
越前、越中を前にして遠慮はないのか、と思わなくもない。
その「越路」を冠した町名が、ちょっと前まで存在していた。
これも新潟県全体を前にして・・・(ry
JR信越本線来迎寺駅や塚山駅付近を町域としており、いまは長岡市に編入されてしまった。

この越路町民が、国鉄が使わなくなった橋げたを利用して、自分たちのための橋梁とした。
1950年代のことである。

ココに、1947年の航空写真がある。
複線化工事中である。
ページのソースを見れば画像を抜き取ることができるが、
あえてせずにおくのでリンクをたどっていただきたい。

そして、ここに1975年度撮影の航空写真がある。
20091123ccb-75-11_c26_33.jpg

見事に旧線が道路橋となっているように見えるが、
ちょっとまった。
話はそう簡単ではない。


旧橋梁はハンディサイド製の1897年製200ftプラットトラス6連。
ここに見えているのは、そのうち4連である。
中央部4連がソレで、端部の各1連は新造の桁である。
これは、スパンが変わることかららしい。
画面左端は長く、右端は短い。

また、単線鉄道橋から道路橋への転用であるから、拡幅を必要とした。
253cmの拡幅がなされ、その痕跡は橋門に見ることができる。

1952年に鉄道橋としての使命を終えたこのトラス桁は、それらの改造を経て
1959年から越路橋として供用を開始した。

とはいえ、なんで半端に道路幅員6mでやめちまったのか、
この狭さがネックとなり、また老朽化も手伝って、
越路橋として生まれ変わってから約40年後の1998年には
新たな越路橋が架橋された。
そして、旧桁の一部は2002年に付近の河川公園に保存された。


(2011年4月17日追記)
越路橋は当初、有料道路として利用されていたが、工事開始時は「十日町来迎寺道路」だったらしい。
昭和32年11月28日の官報(9281号)に、こうある。

○十日町来迎寺道路工事開始公告
県道柏崎高浜(?)堀之内線(十日町来迎寺道路)の改築工事を本公団において下記の通り実施しますので、道路整備特別措置法第10条第1項の既定により公告します。
昭和32年11月28日
日本道路公団
総裁 岸 道三
路線名 県道柏崎高浜堀之内線
工事区間 新潟県三島郡越路町来迎寺から同県長岡市十日町まで
工事の種類 改築(道路改良及び橋梁架設)工事
工事開始の日 昭和32年11月30日

以上、革洋同さんの情報によった。

~~チラ裏~~
最初、誤って泰平橋の河川公園に行った。
そのため、いくら探してもトラスはない。
そこで管理事務所のおっさんに「越路橋のトラスが・・・」と訪ねてみたら、
「ハァ?」
「あんた、どこの人?」

「どこの人?」などという質問が飛んでくることに驚きだった。

説明しても無駄だと思って引き返し、地図を見たら
越路橋のたもとにも(地図上では)同じ名称の「河川公園」があった。
即、そちらへ向かった。





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