忍者ブログ
[181] [180] [179] [178] [177] [176] [175] [174] [173] [172] [171]


越路橋。
こしじばし。
いい響きだ。

越後国を「越路」と呼ぶことがある。
越前、越中を前にして遠慮はないのか、と思わなくもない。
その「越路」を冠した町名が、ちょっと前まで存在していた。
これも新潟県全体を前にして・・・(ry
JR信越本線来迎寺駅や塚山駅付近を町域としており、いまは長岡市に編入されてしまった。

この越路町民が、国鉄が使わなくなった橋げたを利用して、自分たちのための橋梁とした。
1950年代のことである。

ココに、1947年の航空写真がある。
複線化工事中である。
ページのソースを見れば画像を抜き取ることができるが、
あえてせずにおくのでリンクをたどっていただきたい。

そして、ここに1975年度撮影の航空写真がある。
20091123ccb-75-11_c26_33.jpg

見事に旧線が道路橋となっているように見えるが、
ちょっとまった。
話はそう簡単ではない。


旧橋梁はハンディサイド製の1897年製200ftプラットトラス6連。
ここに見えているのは、そのうち4連である。
中央部4連がソレで、端部の各1連は新造の桁である。
これは、スパンが変わることかららしい。
画面左端は長く、右端は短い。

また、単線鉄道橋から道路橋への転用であるから、拡幅を必要とした。
253cmの拡幅がなされ、その痕跡は橋門に見ることができる。

1952年に鉄道橋としての使命を終えたこのトラス桁は、それらの改造を経て
1959年から越路橋として供用を開始した。

とはいえ、なんで半端に道路幅員6mでやめちまったのか、
この狭さがネックとなり、また老朽化も手伝って、
越路橋として生まれ変わってから約40年後の1998年には
新たな越路橋が架橋された。
そして、旧桁の一部は2002年に付近の河川公園に保存された。


(2011年4月17日追記)
越路橋は当初、有料道路として利用されていたが、工事開始時は「十日町来迎寺道路」だったらしい。
昭和32年11月28日の官報(9281号)に、こうある。

○十日町来迎寺道路工事開始公告
県道柏崎高浜(?)堀之内線(十日町来迎寺道路)の改築工事を本公団において下記の通り実施しますので、道路整備特別措置法第10条第1項の既定により公告します。
昭和32年11月28日
日本道路公団
総裁 岸 道三
路線名 県道柏崎高浜堀之内線
工事区間 新潟県三島郡越路町来迎寺から同県長岡市十日町まで
工事の種類 改築(道路改良及び橋梁架設)工事
工事開始の日 昭和32年11月30日

以上、革洋同さんの情報によった。

~~チラ裏~~
最初、誤って泰平橋の河川公園に行った。
そのため、いくら探してもトラスはない。
そこで管理事務所のおっさんに「越路橋のトラスが・・・」と訪ねてみたら、
「ハァ?」
「あんた、どこの人?」

「どこの人?」などという質問が飛んでくることに驚きだった。

説明しても無駄だと思って引き返し、地図を見たら
越路橋のたもとにも(地図上では)同じ名称の「河川公園」があった。
即、そちらへ向かった。



PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12
14 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア