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かつて、オホーツク海沿いを北上すると、「はたの食堂 ライダー&チャリダー共和国」と書かれた看板が、かなり手前…うっすらとした記憶だけれど、サロマ湖あたりから…建てられていた。それがあったのは渚滑の駅前。



泊まったことはない。初めて北海道に行ったときだけはライダーハウスを当てにしていたので立ち寄ったのだが、のぞいた瞬間の雰囲気で退散してしまった。それは、別に宿が悪いわけではなく、泊まっている客のそぶりだった。

 
2018年8月、ふと看板を見かけたので、向かってみた。これは北側、興部の国道の丁字路の東側にある。

 
ところが、地図を頼りに現地に行ったら、跡形もなかった。どうやら2017年に閉店したらしい。ライダーが激減した現代まで続けていたのはほんとうにすごいことだ。今後はストリートビューのアーカイブが貴重な記録として残っていく。

●関連項目
えさしYOUの思い出



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2年ぶりの北海道ツーリングから帰ってきた。渡道初日にランツァのエンジンから少し異音、翌日には大きな異音と振動となったのでバイクは中止、レンタカーに積んで道内を回った。その顛末は下記にまとめているのでぜひご覧いただきたい。

北海道ツーリング2018

 
今回は、道中に寄った枝幸でふと「えさしYOU」について思い出したので検索していくつかのブログを読みふけったことから、自分の思い出を書き留めることにする。

 
1995年7月28日から8月6日の9泊9日間、初めての北海道ツーリングに行った。バイクはTT250R、写真の左に写っているものだ。

上陸初日は苫小牧から襟裳岬を通って根室まで。2日目、7月31日に納沙布岬から紋別まで走り、ライダーハウスを覗いたのだが、どうも雰囲気がイマイチで枝幸まで行った。そこで泊まったのが「えさしYOU」だ。紋別とは違い、とてもいい感じだったのだ。

写真左のドアから入ると、リヤホイールをはずしてRMXが整備中だった。おそらくここに常駐している、当時盛んだった道内の大きなエンデューロで常に上位入賞している方のものだ。


初日の晩は、5人しかいなかった。

連泊することにして、翌日は右端のアフリカツイン乗りのIさんと宗谷岬を往復することにした。どこかの脇道、草原でアフリカに乗せてもらったが、ゴロリと転がしてしまった。幸い、草地ゆえか、どこも破損はなかった。この体験を元に、限定解除しようと決意した(合格するのは翌年1月である)。


えさしYOUに戻ってくると、前夜とは打って変わって中にはすでにたくさんの人がいた。この日、左から4人目のDR(黄色、ゼブラパターン)の方がマスを4尾釣ってきて、みんなでちゃんちゃん焼きをすることになった。当時のメモには「輪には入れなかった」とある。

実は、この写真は、1回目が終わって風呂に行き、2回目の時のものだ。23歳にして初めての北海道ツーリング、そして超下戸という自分は少し気後れしていたのだろう。なにしろ周りは経験者たちばかりだ。

とにかく、写っている顔が若い。80~90年代のツーリングシーンが描かれたブログは多数あるが、そこに掲載されているどの写真からも、若さゆえの「未来」とか「希望」のようなものがにじみ出ている。そういう時代だった。真ん中辺りの立ち膝が俺。

一通りの宴会が終わった後、有志5人で外に飲みに出た。「八重ちゃん」という店だった。ラーメンも食べて一人1420円だった。えさしYOUに戻り、「BAD BOY CLUB」で少し話した…とメモにあるが、カウンターバーのようなものだっただろうか。BAD BOYはモトクロスライダーのリック・ジョンソンのニックネームからか。

* * *

この北海道ツーリングで知り合った人たちを起点に、その後、いまに至るまで続くバイク仲間たちとどんどん知り合い、どんどん親しくなっていった。そんなこんなで、翌年の北海道ツーリングは、K氏といっしょに苫小牧に上陸し、しかもキャンプツーリングにしたので、もうライダーハウスには泊まらなかった。

だから、えさしYOUには、1995年しか行っていない。しかし、ライダーハウス特有の熱気を体験できたことはとても楽しかったし、貴重だ。

こう書くと、当時のライダーハウスはいつもこんな感じだったと思われるかもしれないが、そうではない。1995年には根室と釧路(2泊)のツーリングトレインと新得駅前のライダーハウスという名の大きなテント(こちらは一人きりだった)に泊まった。根室と釧路では隣り合った人たちと少しは話すし一緒に風呂や食事に行ったりはしたが、その程度だ。えさしYOUでも1泊目は5人しかおらず、ちんまりと話して寝る、という状況だった。

つまり、1枚目の写真のような状況になるには、大きな偶然、幸運がなければならない。俺はうまいタイミングでこれを味わえて、ほんとうに楽しかったし、貴重だ。

* * *

冒頭に書いた、えさしYOUについてのブログはこちらこちらもほとばしっている。

えさしYOUはすでになく、いまはセイコーマートの駐車場になっている。


 
朱鞠内湖にて。









国道425号。1車線だが、ところどころに離合スペースはある。こういう道路が大好きだ。この日は快晴だったが、そぼ降る雨の中をバイクで走るときに最高の表情を見せてくれる。

出自が三菱石油であったことを、いまも。

丸善石油のお膝元だった紀伊半島西部に閉鎖されたコスモ石油があった。防火壁は曲面を描いていて、一部が剥げ落ち、小豆色が見えていた。うっすらと、ツバメの輪廓が見えている。

  丸善石油であったことを。

これに会いに行った。1日かけて。

JR芸備線の高駅(広島県)の駅前には農協がある。その裏手に火の見櫓があった。

垪和(はが)地区は山がちだが、丘をカーブで乗っ越す道路の頂点に、建物と火の見櫓があった。集落を見下ろせる、適切な場所。建物は、荷物窓口のようなものが道路を向いているが、なんの建物だったのだろう?

津山駅前にあった「おにぎり」。普通は三つの標識が縦に串刺しになるところ、ここはおもしろい配置をしていた。

津山駅前のハイウェイバスきっぷ売り場。プレハブの上に意匠を凝らした装飾テント。もしかしたら、以前はプレハブではなく、きちんとした別の建物があったのかもしれない。

津山から吉井川に沿って下っていると、堤防の下に消防倉庫と火の見櫓があった。シャッターには「津山市消防団 福南分団第3部消防機庫」とある。火の見櫓は堤防の上にあったほうがいいのではないかと思った。



一項目として立てるほどでもないが、気になるからこそ写真を撮ったものをまとめて。

鳥取県八東町の南という集落で見かけた火の見櫓と消防倉庫。扉の鍵は閂だ。

その近くにあった木造倉庫。扉は板を普通に使っている。

その近くにあった別の火の見櫓と消防倉庫。シャッターには「中南自警団」。

すこし西にある「東○○消防倉庫」と火の見櫓。脚のひとつは用水路の中にコンクリートで土台を作って建っている。

その近く、岩渕集落で見つけた消防倉庫と、その背後の高台の公園にある火の見櫓。半鐘がある。てっぺんの鳥の巣のような箱は、サイレンの雨除け。

その南、三浦集落の消防倉庫と火の見櫓。足下にはサイレン。


ポンプ格納庫には半鐘が下がっている。

鳥取県道6号は未開通。その行き止まり地点。

この地区では、消火栓に蓋をかぶせている。かわいい。

若桜駅の給水塔。下はC12の動力たるエアのゲージ。単位がMPa(メガパスカル)なので、約10kg/cm^2まで測れるものだ。

余部橋梁のモニュメント化は、思いのほかいいものだった。それでも、橋脚が倒れないよう、アンカーが打たれていた。

国道178号江野トンネル東側の旧道。廃道。

2007年9月の話だ。週半ばの火曜から木曜まで珍しく仕事で道東に出張があり、帰路は釧路空港から羽田の予定だった。ところが、木曜になって台風が来た。私が搭乗するはずだった釧路~羽田便以降、すべて欠航。翌日も満席。釧路市内のホテルは搭乗予定だった人たちがあふれるのと、翌日の飛行機も乗れないことが予想された。

私は釧路駅で「スーパーおおぞら12号」が「通常通り」運転されるのを確認すると、空港返却の予定だったレンタカーを釧路駅で乗り捨て、飛び乗った。札幌に行けばなんとかなるだろう--。

しばらくはおとなしくすわっていた。闇の中を突き進むキハ283系。遮音された床下から感じるエンジンの響き。車窓は横殴りの雨。前面展望を見に行った。

吹き付ける嵐の中、キハ283系は突っ走る。新得を過ぎればあとはほぼ無人の山中、闇の中を9灯のヘッドライトが切り裂いていく、という表現がぴったりだった。

感じたのは、運転士の孤独感。台風による強風と大雨の中、視線を前方に集中し、ひたすら決められた速度で走っているに違いない。真っ暗な運転台で一人、速度の恐怖と戦う孤独感はいかばかりか。それに対して、乗客は完全に安心し、心地よい移動を楽しむことができている。

20120224X.jpg闇が続くと、人工の光がとても愛おしくなる。それがたとえ、鉄道信号の光であったとしてもだ。

進路は開かれている。進める。その安心感(違うんだけれど)。とにかく、進んでくれる頼もしさがあった。

時折、線路脇に鹿が見える。鹿は、こんな台風の夜でも、エサを求めて歩き回っているものなのか。


















20120220_002.JPG東オサワで、とかち11号と交換。とかちが待避線に入って、こちらを待っている。きっと、あちらの乗客は、帯広に帰る人たちを乗せている。台風の中、自宅に向かう列車の居心地は暖かいだろう。

20120220_003.JPGオサワでは、先行する2092レを追い抜く。かつてはDD51牽引の列車として、音別などで何度も撮影した列車だ。

20120220_004.JPGこのときはすでにDF200牽引になっていた(同じ日に新富士駅でDF200-6を撮っているので、おそらくそれ)。2092レは、ここオサワで約30分間停車し、先に交換したとかち11号と、このスーパーおおぞら12号を先行させる。

20120220_005.JPG信号所は暗いが、駅は明るい。おそらく滝上を通過。

20120220_006.JPG東追分で、DD51が引く2093レと交換。この2093レは、新富士まで行く2本のうちの1本で、早朝の音別などでやはりよく撮影していた列車だ。

20120220_007.JPG再び、闇の中へ。南千歳が近づけば、もう町だ。道東では大雨と強風だったが、このあたりではすっかり止んでいる。ここでようやく座席に戻った。



JR北海道の確実な運行のおかげで、札幌に着いた。しかし、新千歳空港発の飛行機も相当数が欠航になったらしく、市内のホテルはまったく予約がとれない。イエローページを片っ端から電話し、ほぼ1ページかけ終わる最後の最後で「トリプルの部屋なら開いていますよ。いまキャンセルが出ました」。そこにシングル扱いで止めてもらえることになった。ラッキーだ。

札幌駅内を移動していると、やはり宿にあぶれた女性が、ホテルの状況を私に聞きに来た。私は事情を説明したら、あきらめ顔で公衆電話に向かった。こちらの部屋はトリプル、でもまさか一緒に泊まりませんかとは言えない。

翌金曜日、混乱の中、スーパー北斗とスーパー白鳥、はやてを乗り継いで東京に帰った。スーパー白鳥が1本運休になった気がする。そのため、会社に行ける時刻には東京にはつかなかった。

そうなるならば、翌日は土曜日であるし、いっそ、北海道に私費でとどまっていた方が、個人的に土日を北海道で過ごせてよかったかもしれない。などと考えても後の祭り。どうしようもない。なんだかとてももったいないことをした気分になった。


(20120225 写真のファイル名のつけ間違いで写真がおかしくなっていたものを修正。一部削除)


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