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自力で行ける日本の東西南北端…納沙布岬、宗谷岬、波照間島、与那国島西崎は1995年にすべてバイクで到達した。それ以外も、いろいろな「○○端」がある。本州最北・東・南端は行ったけれど、本州最西端・毘沙ノ鼻は、たぶん行ったことがない。何度かすぐ横を通過してはいる。


平戸島を後にして、東松浦半島を海沿いに走っていたら、「本土最西端」とあったので寄ってみた。とてもいい場所だった。


ここに着いたのは17時15分くらい。西日本、それも最西端の日の入りは遅い。夏の九州ツーリングは初めてだったのだけれど、驚いたのは、とにかく日の長さだった。いままで九州ツーリングはGWにしか来たことがなかった。

神崎鼻には誰もいない。盛夏の太陽が照りつけるけれど、海風も吹いている。波の音しか聞こえない。


ガーミンDakota20で緯度経度を見る。北緯33度13.052分、東経129度33.163分。


ここ、なにがいいかって、タイドプールなんだ。取り残された「池」の中には、魚も蟹も貝もいる。「池」の海水はゆだるような熱さで、大丈夫なのかと思うほど。ここでキャンプは禁止だろうけれど、ここで一晩過ごしたいと強く思った。でも今回はテントないしな。


いろんな生物が生き、死んでいる。


採って食おうとは思わないけれど、原始時代ならここは常に食糧が供給される場所なのかも。

すいぶんと長くいた気がしたけれど、20分くらいの滞在だった。翌日の行程を考えて、やむなくこのあとは高速で佐賀市街に移動した。旅先で高速に乗るのはなんだかもったいないけれど、でも、別の考え方をすれば、それでは永遠に旅先の高速の風情を味わうことはできない。ありがたく時間の恩恵を受けた。それでも、ここから2時間半ほどはかかってしまい、佐賀市街についたときにはとっぷり日が沈んでいた。



 
冒頭に述べた与那国島の西崎(いりざき)。日本の最西端。正確には北西沖数百メートルの岩礁が最西端とされているが、岩礁だし。自由に行き来できるのは東西南北端のうち、ここだけ。1995年12月。いまは那覇~石垣の航路がないのでバイクとともに渡ることはできない。










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中国地方ツーリング2019晩夏 落ち穂拾い(1)のつづき。

●浜田運動公園キャンプ場

北海道や東北と違って、中国地方でテントを張ったことは1回しかなく、キャンプ場の「アタリ」もわからない。今晩の寝床が決まらないというのは相当なストレスである。とはいえ、行ってみないとその日、どこまで行けるかわからない。難しい。


ここ浜田運動公園は、きちんと管理されているのに無料というとても素晴らしいキャンプ場だった。温泉までバイクで5分。バイクの乗り入れはできない。平日ということもあり、キャンプは私のほか2組のみだった。

 
海まですぐ。

●角島

これは確かに道路の真ん中で写真を撮りたくなるわ。

二十数年前、会社に離島巡りが好きでトカラの本を出しているような年配者がいたが(相当な人で、仕事を一切しない、できない、そういう人なので以下略)、その人が「特牛から船で角島に渡ったことがある」と言っていた。橋が架かったのはその話を聞いてから数年後である。


●大津島

中国地方ツーリングに来たかったのは、山陰の海沿いを走りたかったのと、大津島に来たかったからだ。

 
「人間魚雷」回天の訓練場があった島。トンネル内には、当時、トロッコの線路があった。いまは地面が整備され、なんとなく線路があったように見える。少し広くなったここは複線部分。分岐器の位置もなんとなくわかる。

 
トンネルを抜けると訓練基地。

 
訓練基地跡は、いまは釣り場に。

 
きれいに保存されている。

 
回天を吊り下ろしたクレーンの土台の跡。

 
これが回天(レプリカ)。

 
 
内部模型。映画『出口のない海』で使われたもので、主演の体格に合わせて少し大きめに作られている。

●周防大島

思っていたよりもはるかに大きかった。ぐるりと一周したが、特に南側は海岸線を丹念にトレースする細いルートで時間がかかった。ここで、海辺の駐車場でキャンプしようと思ったが、入った食堂で天気予報をみると今晩から雨。もうここで切り上げて東京に一気帰りしようか本気で迷い、一時はそう決断したものの、やっぱり雨の中を走ることにした。結果、翌日夜まで大丈夫だった。


陸奥記念館の屋外展示。館内展示は見なくてもよかったかな…。

●ホテル泊

本来、すべてテント泊のつもりだった。しかし、中国地方のキャンプ場の少なさに加え、ルートの都合上、あるいは大津島に行きたいなどというと、もうキャンプや野宿などできない。しかも天気予報は雨。


そこで、ついに宿に泊まってしまった。乾燥がイマイチだったテント等も乾かせる。5000~6000円で、この快適さを入手してしまうのは危険だ…。


結局、船中1泊・野宿1泊・テント1泊・ホテル3泊・実家1泊、となった。


こんなことならキャンプ道具を持ってこなければ、もっと軽い装備になったのに…。

●GPSログ

帰路、福井県や新潟県の海岸部を走りたかったので、となると勢い新潟の実家まで行ったほうが便利だ。なにより、福井から東京に向かうとすべてが「帰り道」となるが、新潟まで行くならそこまでは「ツーリング」であり、「帰り道」は300kmになる。気分的には全然違う。

というわけで、中国地方ツーリングなのに新潟出入りという奇妙なことになった。総走行距離約3000kmだった。






遅い夏休みで中国地方ツーリングに行ってきた。その様子は下記にまとめたが、それでももう少し書きたいことがあるのでここに。

中国地方ツーリング2019晩夏+新日本海フェリー新潟~敦賀


●新日本海フェリー 新潟~敦賀航路


 
新潟~秋田~苫小牧東の航路が、週一だけ敦賀を往復する。日曜新潟発、月曜敦賀発だ。なかなか乗る機会がない航路だが、西に向かうのに東名高速じゃあな…と思っていたところ、この航路を思い出した。GPSログをとるために、あえて2等の雑魚寝部屋に。寝台の部屋は船の内側になってしまう…と思ってそうしのただけれど、よく見たら違った…。

16時30分出港で、規定では「1時間前には乗船手続き済ませておくこと」。余裕を持って15時すぎに行くと、「乗船開始は16時15分ころからです」。それはそうだ、苫小牧東から来る便の新潟着は15時30分。それから荷役、つまりほとんどの車両を下ろして、それからの積み込みだ。

16時15分ころから乗船し、荷物まとめて部屋に入り、甲板に出たらもう出港していた。早い!


新潟沖を西へ。この光景は初めてだ! と思ったのだけれど、佐渡航路も、もう少し沖合からだけれど、こう見えることをGPSログを見て気がついた。


天気はよろしくない。乗船するころから降り始めた。甲板に出るとゴンゴンゴンゴン……と大型フェリー特有の振動。こんな天気だが、揺れることはなく、ぐっすり眠れた。


敦賀港、5時30分着。敦賀港はタグボートがつくんだな。

●ドライブイン日本海

越野弘之さん(@jihankimania)さんの『懐かしの昭和ドライブイン』で知ってメモっておいた自販機のドライブイン。


先客がお一人いたけれど、ぼくと入れ替わるように食べ終わり、貸し切り状態に。




天ぷらうどんを食べたのだけれど、せっかくなので肉そばも。

●神子畑鋳鉄橋と選鉱場と明延の「一円電車」






見てみたかった神子畑の鋳鉄橋。そしてその本体というべき選鉱場。周辺は1日では見学しきれないくらいなのだけれど、慌ただしく見学。選鉱場の模型がとても精巧。制作は1958年。

●美保関
 
境港から島根半島に渡り、そのまま西へ向かおうと思っていたが、境水道大橋から見下ろす海沿いの道が美しく、美保関まで行くことにした。すばらしかった。上の写真は美保関漁港。干満差がないのか、海面と陸地はわずか50cmの差。

 
長浜の港。

 
海崎港の舟屋。

●雲津


北側の雲津に回った。下の写真が雲津の集落。こうした行き止まりの集落に行くのが好きだ。道路の末端を見るのが好きだ。上の写真は雲津大橋から見下ろす集落。

●島根半島

江島、大根島と、海の上の道路(一部を除いて橋ではない)を走る。意外に「両側が海」と感じられる場所は少ないが、陸地と海面の高さがあまり変わらない。境は大潮でも干満差が20cmくらいしかない。

●海に突き当たる道路
 
海に突き当たる道路が好きだ。これは島根半島を西に向かってきた国道431号が、半島が尽きて左に曲がるところ。

 
太田市の近く、久手。この盛り上がりは砂丘。この向こうは海。


●関連項目
中国地方ツーリング2019晩夏 落ち穂拾い(2)



かつて、オホーツク海沿いを北上すると、「はたの食堂 ライダー&チャリダー共和国」と書かれた看板が、かなり手前…うっすらとした記憶だけれど、サロマ湖あたりから…建てられていた。それがあったのは渚滑の駅前。



泊まったことはない。初めて北海道に行ったときだけはライダーハウスを当てにしていたので立ち寄ったのだが、のぞいた瞬間の雰囲気で退散してしまった。それは、別に宿が悪いわけではなく、泊まっている客のそぶりだった。

 
2018年8月、ふと看板を見かけたので、向かってみた。これは北側、興部の国道の丁字路の東側にある。

 
ところが、地図を頼りに現地に行ったら、跡形もなかった。どうやら2017年に閉店したらしい。ライダーが激減した現代まで続けていたのはほんとうにすごいことだ。今後はストリートビューのアーカイブが貴重な記録として残っていく。

●関連項目
えさしYOUの思い出



2年ぶりの北海道ツーリングから帰ってきた。渡道初日にランツァのエンジンから少し異音、翌日には大きな異音と振動となったのでバイクは中止、レンタカーに積んで道内を回った。その顛末は下記にまとめているのでぜひご覧いただきたい。

北海道ツーリング2018

 
今回は、道中に寄った枝幸でふと「えさしYOU」について思い出したので検索していくつかのブログを読みふけったことから、自分の思い出を書き留めることにする。

 
1995年7月28日から8月6日の9泊9日間、初めての北海道ツーリングに行った。バイクはTT250R、写真の左に写っているものだ。

上陸初日は苫小牧から襟裳岬を通って根室まで。2日目、7月31日に納沙布岬から紋別まで走り、ライダーハウスを覗いたのだが、どうも雰囲気がイマイチで枝幸まで行った。そこで泊まったのが「えさしYOU」だ。紋別とは違い、とてもいい感じだったのだ。

写真左のドアから入ると、リヤホイールをはずしてRMXが整備中だった。おそらくここに常駐している、当時盛んだった道内の大きなエンデューロで常に上位入賞している方のものだ。


初日の晩は、5人しかいなかった。

連泊することにして、翌日は右端のアフリカツイン乗りのIさんと宗谷岬を往復することにした。どこかの脇道、草原でアフリカに乗せてもらったが、ゴロリと転がしてしまった。幸い、草地ゆえか、どこも破損はなかった。この体験を元に、限定解除しようと決意した(合格するのは翌年1月である)。


えさしYOUに戻ってくると、前夜とは打って変わって中にはすでにたくさんの人がいた。この日、左から4人目のDR(黄色、ゼブラパターン)の方がマスを4尾釣ってきて、みんなでちゃんちゃん焼きをすることになった。当時のメモには「輪には入れなかった」とある。

実は、この写真は、1回目が終わって風呂に行き、2回目の時のものだ。23歳にして初めての北海道ツーリング、そして超下戸という自分は少し気後れしていたのだろう。なにしろ周りは経験者たちばかりだ。

とにかく、写っている顔が若い。80~90年代のツーリングシーンが描かれたブログは多数あるが、そこに掲載されているどの写真からも、若さゆえの「未来」とか「希望」のようなものがにじみ出ている。そういう時代だった。真ん中辺りの立ち膝が俺。

一通りの宴会が終わった後、有志5人で外に飲みに出た。「八重ちゃん」という店だった。ラーメンも食べて一人1420円だった。えさしYOUに戻り、「BAD BOY CLUB」で少し話した…とメモにあるが、カウンターバーのようなものだっただろうか。BAD BOYはモトクロスライダーのリック・ジョンソンのニックネームからか。

* * *

この北海道ツーリングで知り合った人たちを起点に、その後、いまに至るまで続くバイク仲間たちとどんどん知り合い、どんどん親しくなっていった。そんなこんなで、翌年の北海道ツーリングは、K氏といっしょに苫小牧に上陸し、しかもキャンプツーリングにしたので、もうライダーハウスには泊まらなかった。

だから、えさしYOUには、1995年しか行っていない。しかし、ライダーハウス特有の熱気を体験できたことはとても楽しかったし、貴重だ。

こう書くと、当時のライダーハウスはいつもこんな感じだったと思われるかもしれないが、そうではない。1995年には根室と釧路(2泊)のツーリングトレインと新得駅前のライダーハウスという名の大きなテント(こちらは一人きりだった)に泊まった。根室と釧路では隣り合った人たちと少しは話すし一緒に風呂や食事に行ったりはしたが、その程度だ。えさしYOUでも1泊目は5人しかおらず、ちんまりと話して寝る、という状況だった。

つまり、1枚目の写真のような状況になるには、大きな偶然、幸運がなければならない。俺はうまいタイミングでこれを味わえて、ほんとうに楽しかったし、貴重だ。

* * *

冒頭に書いた、えさしYOUについてのブログはこちらこちらもほとばしっている。

えさしYOUはすでになく、いまはセイコーマートの駐車場になっている。


 
朱鞠内湖にて。











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