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年末恒例の「轍のあった道アワード」は、うっかり忘れて四国にロングツーリングに行ってしまい、すでに大晦日の20時を過ぎているので、2021年のGPSログの公開で締めくくろう。

 
1年半前にTENERE700が納車されてからというもの、20代のころのようにバイクに乗るのが楽しく、あちこちでかけた。四国の一部~岡山~東京が鉄道、新潟往復の一部がクルマ、それ以外はほぼバイクだ。

3月、閉塞感が極まり、オーシャン東九フェリーで徒歩乗船で徳島に渡った。そのままJR四国の路線をいくつか乗り、初めてサンライズに乗って帰ってきた。すごく久しぶりに「未乗の路線」をいくつか乗り、乗りつぶしの距離が増えた。
1~6月、近場をちょこちょこ日帰り。
7月、13回目の北海道ツーリング。北海道そのものは38回目。
9月、シルバーウイークは二十数年ぶりの能登半島。
10月、富山。
11月、文化の日から5連休にして紀伊半島。
12月末、四国ツーリング。

 
四国ツーリングは、四国南西部の半島を四つ回ろうと思ったが、案の定かなり時間がかかたたtめ、由良半島と船越半島のみ。大縮尺の地図ではここまでのログが見えないが、外周が丹念に描かれると嬉しい。

 
2010年秋からの11年分とまとめると、こう。東京周辺と新潟が濃いのは当然だ。

2022年は、中国地方と九州、それと岐阜・石川・福井県境あたりに行きたいと思う。あと、ずーっと行っていない沖縄…は行けるかな…。

【過去の記事】
2020年のGPSログ
2019年のGPSログ
2018年のGPSログ
2017年のGPSログ
2016年のGPSログ
2015年『轍のあった道』アワード
2014年のGPSログ
2013年のGPSログ



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愛媛県に「四国中央市」がある。なんとも違和感のある自治体名だが、他の四国3県と接し、高松道・徳島道・高知道・愛媛道のジャンクションもここにあることから、このような命名となった。

このように、「自らが所属する県以外、3県(以上)に接する市町村」は他にあるだろうか。これを「3県接市町村」と呼ぶことにする。いま考えた。

早速だが、
①愛媛県四国中央市(香川/徳島/高知)
に接する
②徳島県三好市(香川/愛媛/高知)
もそうだった(北東に飛地があるが、勘違いさせそうなので塗っていない)。こうした「ペア」は生じやすい。


北から見ていこう。
③★福島県檜枝岐村(栃木/群馬/新潟)
④★群馬県片品村(福島/栃木/新潟)

四国中央市も三好市も「平成の大合併」で3県と接するようになったが、檜枝岐村と片品村はそれとは無関係。どちらも明治22年の町村制以降、ずっと同じ形で3県に接している。以下、そういう市町村に★をつける。



⑤♦栃木県栃木市(茨城/群馬/埼玉)
⑥♦埼玉県加須市(栃木/茨城/群馬)
栃木市はわずかに茨城県古河市に接している。

栃木市の該当部分は「平成の大合併」前は藤岡町だ。その藤岡町は1906年以来の3県接。また、加須市の該当部分は「平成の大合併」前は「昭和の大合併」でできた北川辺町、その前は町村制で成立した川辺村が、やはり初期からの3県接。こういう場合は♦としよう。


⑦♦秩父市(群馬/東京/山梨/長野)
⑧★川上村(群馬/埼玉/山梨)

秩父市はなんと4県接。埼玉県と長野県が接しているのは、あまり知られていない。ここを通じる道路は、埼玉県側が未舗装の中津川林道のみ。近年、災害による通行止めが続き、昨年もまた通行止めになってしまった。

秩父市の西側部分は「平成の大合併」以前は町村制以来の大滝村で3県接なので♦。川上村は町村制以来不変。

 
⑨石川県白山市(富山/岐阜/福井)
⑩岐阜県高山市(富山/長野/石川/福井)

日本一の面積を誇る市・高山市は、なんと4県だ。しかも東西で2県ずつ。白山市はこの県境から海までを占める。松本市の隣の隣の市は海に面していると考えると、ずいぶんでかい市域だなあと感じる。白山市は「平成の大合併」で3県接を獲得

高山市は「平成の大合併」前は他県とは接していない「内陸市町村」だったのに、いきなり4県接を獲得。宝くじが当たって大金持ちになっちゃったみたいな。


⑪三重県伊賀市(滋賀/京都/奈良)
⑫京都府南山城村(三重/滋賀/奈良)

伊賀市は「平成の大合併」での3県接。南山城村は「昭和の大合併」で獲得。


⑬京都府南丹市(福井/滋賀/大阪/兵庫)
こちらも4県接。高山市より先にこちらを見つけて驚いた。なんという接し方。しかし、「平成の大合併」で4町が合併したことによる。


⑭鳥取県日南町(岡山/広島/島根)
⑮広島県庄原市(岡山/鳥取/島根)

日南町は「昭和の大合併」で獲得。庄原市は高山市と同じく「平成の大合併」までは「内陸市町村」だったものが、一気に3県接を獲得した。



以上15市町村。
4県接が3市町村、3県接が12市町村。

作成には「市町村変遷パラパラ地図」と地理院地図(白地図/20万分1土地利用図)、今昔マップを参照しました。いつもありがとう!

追記:山下メロ氏に1点ご指摘いただきまして修正しました、ありがとう!



 
兵庫県には因幡の国を含むのかを書いたら、このようなコメントをいただいた。


たしかに、ボカした地図画像だけれども、そのように見える。確実にするために、実物を入手した。


20万分の1地勢図の「姫路」(明治43年製版・昭和23年修正)だ(以下「旧版」とする)。例の国界・県界が表示されている。この形をよく覚えておいてほしい。戸倉峠はまだトンネルがない旧旧道だ。戦時中にここにトンネルを穿とうとした跡を、nagajisさんが発見し、畏怖すべきことが描かれている。これはぜひ読んで欲しい。(『日本の廃道』2008年9月号。紹介文は超軽いが…)

この地図は、20万図なのに「ボカシ(陰影)表現」がない。スミ、等高線の茶、水系の青の3色刷だ。ボカシをなくしたのはコストダウンか。

国土地理院の図歴によれば「くんせん抜きの地図」とある。「くんせん」とは初めて聞いた。漢字で書くと「暈渲」であり、デジタル大辞泉によれば「色をぼかして表すこと」。本来は「うんせん」と読むらしい。Wiktionaryにも読みは「ウン」しかない。「渲」はWiktionaryにもない。Wikipediaには「暈渲」の項目がある。

話が逸れるが、地図の用語は、やたら難しいことがある。山名は縦の右斜体(文字を右上に垂直方向に引っ張る)、河川名は縦の左斜体(同じく左上に)がかかるが、これを「しょう肩体」という。漢字にすると「聳肩体」だ。


話を戻して、上記の地図を、20万分の1地勢図と同等の「数値地図200000」(以下「現代の版」とする)をカシミール3Dで切り出してphotoshopで合成した。全体的に描き方のズレがあるのは仕方がない。旧版は明治43年製版なので、実際は初版である明治27年以前の測量だろうから、相当に「適当」であることが推測される。そのため、現代の地図とは大きなズレがあるのだ。図歴では、「修正版」の明治27年測量版が最古だが、それとて「修正」である。

現代のレベルになるのは、昭和59年「編集」になってからだ。「編集」とは、2万5000図や5万図を元に20万図を作り直すこと。当然ながら、より正確になる。直前の昭和57年「要修」は、旧版を着色した昭和34年「修正」と同等のボカシ表現だが、昭和59年「編集」は、稜線の形や等高線が大きく変わっている。それと同時に、「謎の、国界と県界のズレ」が発生している。


わかりやすくするために、現代の版に、旧版にあった「国界+県界」を黄色で載せる。ズレは前記のとおり測量の精度によるものだ。注目したいのは、氷ノ山の左下の、県界と国界がズレている部分。やはり、@every_road氏の推測に近く、「『編集』時に県界などを正確に描き直したのに、国界は旧版のものをそのまま使ってしまった」ために、兵庫県に因幡の国が含まれてしまうようなことが起きてしまったに違いない。現代の図版製作でいえば、「国界のレイヤーだけ更新するのを忘れていた」ということになる。

地形図において、単なる誤字や体裁の誤り、道路・鉄道の属性間違いや更新漏れなどはときどきあるが、こうした部分の誤りは初めて見た。20万分の1地勢図や数値地図200000を更新することはもうないだろうから、ここは永久にこのままだろう。

【関連項目】
数値地図に残る鉄道の亡霊と誤記







『あるある兵庫5国』という本が出るそうで、「備前と美作を入れて7国では?」と思って20万図を見返していたら、氷ノ山の南に気になる部分が出てきた。

 
数値地図200000(2008年刊)をカシミール3Dで表示したもの。イコール20万分1地勢図だ。赤い線が国界。これが正しいなら、黄色い部分は因幡の国であり、それが現・兵庫県宍粟市だということになる。

県界未定地でもない。これは地勢図の表記のミスなのか。そんなことはなさそうだ。ご存知の方、ご教示ください。

なお、兵庫県に含まれる美作国、備前国はこのとおり。
 
数値地図200000(2008年刊)をカシミール3Dで表示

1963年に岡山県から編入された部分。備前福河駅と「備前」を含む駅名が兵庫県なので、ここはわかりやすい。数値地図200000でも、国界が引かれている。

 
数値地図200000(2008年刊)をカシミール3Dで表示

こちらは1896年に岡山県からの越境合併で佐用町に含まれることになった美作国。区域がわからないので南部を曖昧に書いている。ここには数値地図200000では国界は引かれていない、というか、知られている国界と異なる。手元の20万図「姫路」(昭和55年要部修正)も同じ。1902年までは令制国の範囲改定が行われていたとのことなので、越境合併の際に国界も修正されたということだろうか。

* * *

「地理院地図」はすごく便利だけれども、5万図と20万図を失ってしまった。しかし、『カシミール3D』解説本シリーズを入手すれば、それらをパソコンに取り込んでおける。おかげでこうしてすぐ検証できる。

解説本は、2010年から2012年にかけて改訂版が刊行されてから10年前後が経ち、刊行以後、対応するオンライン地図データが爆発的に増え、付属の地図データが古くなったので、「品切」のままだが、そこには、当時入手できた日本全国の最新の数値地図(紙地図と同じ体裁)が3冊に分けて付属している。

また、改訂新版でない、2001年から2003年にかけて刊行された解説本は、やはり当時入手できた最新の数値地図(こちらは20万図と5万図のみ)が付属している。地理院地図は、常に最新に更新されてしまう。ちょっと前の地形図を参照したい場合には、この解説本の地図がとても便利だ。

【続編を書きました】
兵庫県には因幡の国を含むのか・続


 
(Kashmir3D+スーパー地形セット+地理院地図)

蟹ヶ谷の「谷」に関して。凸凹地図を見ると、なぜ東横線が日吉台地を突っ切っているのか、ちょっと疑問に感じる。

 
(Kashmir3D+スーパー地形セット+今昔マップ首都圏1896-1909。地図画像が欠けている部分はなぜか画像の取得ができなかったところ)

東横線ができる前の地形図。低地部を通らない理由は、地形図からはわからない。

 
(Kashmir3D+スーパー地形セット+今昔マップ首都圏1896-1909に加筆)

青が東横線。これを赤のようなルートにしなかったのはなぜだろう。日吉の台地上に顕著な集落があったわけでなし。矢上川は台地を開削してしまうような流れだから、地盤が…というにも、台地の南北は同じだし。

不思議。

【同日追記】
アップ後、いろいろとご教示いただきた。手老善さんからは「日吉台田園分譲地のためではないか」。なるほど、開業時から日吉台として田園都市会社が噛んで宅地開発をしたのか。その後、駅東側に慶應義塾を誘致するのに成功したのか。
●参考:港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

馬場宇久さんからは「日吉の丘陵地を切り崩し、その土砂を新丸子駅~日吉駅間の低地に埋めた」「日吉は東急電鉄発祥の地とされている」と。周辺は田んぼなので地盤を固める必要があった。

土屋武之さんからは「東横線建設に当たって、土取場として真っ先に買収した土地です。こういう石碑があります。 電車運転前提の鉄道なら、日吉付近の丘陵地形は問題にならないはず」と。
●参考:東急電鉄発祥の地

 
いま、日吉周辺は航空写真で見てもすべて宅地なので地形が見えない。駅も南側が堀割で、上は覆われているのでよくわからない。しかし、上記『東京時層地図 昭和戦前期』を見ると、元住吉駅付近から築堤があり、高さを稼いで矢上川を渡り、対岸の高台(赤い丸)に着地している。その高台も線路西側は切り取った跡があり、東側のほうが高いようだ。しかし、現在の地形図を見ると線路の東側もだいぶ切り取られたようだ。

前後は25‰だと思うので、確かに最初から電車運転なら関係ないのだけれど、とはいえ経済性からは平坦に越したことはないはず…という疑問もちょっと残る。駅をそこに設置したのは「元住吉から築堤にする必要はあるが、どうせ矢上川部分も嵩上げしなきゃいけないし、ならばそのまま台地に上げれば(開業時は地平ホーム)西側の宅地と東側の大学誘致(開業時は未定ですが)に合理的だった」という感じだろうか。

【同日追記2】
 
さらに、彩葉さんのご教示によると、「当初の武蔵電鉄の免許ルートは上述赤のルートに近い。構想時はさらに南」という。合わせてご教示いただいた『東京横浜電鉄沿革史』には変更した経路として「中原村上丸子-住吉村字市ノ坪、字木月、字苅宿-日吉村字矢上、字箕輪-大綱村字綱島」とある。これを『東京時層地図』の「文明開化期」(迅速測図)にプロットしてみるとこうなる。赤線がその地名。
 
青線が現在の東横線。「苅宿村」が外れている。これは、現在の川崎市苅宿も同じで、はずれている。もしかしたらかつては苅宿村が文字の位置よりも西にずっと延びていたのかもしれないが、ちょっと恣意的な憶測に過ぎるか。であればググッと丘陵を迂回する計画だったのか、と思わなくもないが、箕輪の位置と合わなくなる。

また「沿革誌の多摩川-神奈川間開通時の記述を見ると、切取量より盛土量の方がかなり多いので、土砂の要求が高かったようではあります」とのこと。なるほど、少しでも切り取りたかったのかもしれない。別の場所から土を買うよりも自社の用地でまかなうほうがよい。

もちろん、鉄道の経路選択には複数の要因があるはずで、一概に結論は出せないが、このような経緯だったのではないか…ということでまとめておく。


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