ボーストリングトラスってかっこいいよね。そして、この微妙な色合い、群青色と言えばいいのだろうか、この色が、かっこよさを引き立ててるよね。六ツ見橋。岐阜県の下呂にある、2連のボーストリングトラス。表記方法はいくつかあるが、ここでは説明看板や地元の幟にあった「六ツ見橋」を採用する。
幟。 「歴史的鋼橋集覧」の記事はこちら。 下呂駅の南、JR高山本線の車窓から見える位置にこの橋はある。渡っているのは飛騨川。飛騨川は木曽川の支流であり、はるか下流、美濃加茂市の川合というそのままの地名のところで木曽川に合流する。 飛騨川の右岸・西側を走る県道88号からこの六ツ見橋を渡ろうとすると、直角に折れ、JR高山本線を踏み切りで渡る形になる。なにしろこの位置関係だ。 下呂駅付近では川幅が広い飛騨川が、この六ツ見橋のあたりでは狭くなっている。ここに架橋したのも、それが理由か。 踏切付近からみると、こんな感じ。 時速30km制限、対面通行、重量制限は8トン。幅員が狭いため、歩道は別。右のみ親柱があり、そこには「飛騨川」と書かれている。 歩道は下路鈑桁。これについては、説明看板を引用する。 六ツ見橋の由来 帯雲橋より約3キロメートル、塚田の渡しより上流の地に六ツ見橋が架橋されて、渡橋式が行われたのは大正12年(1923)3月16日である。最初、吊橋形式のものであった。この橋は、昭和6年4月に、鉄骨板橋として改築、当時、3万3401円37銭の経費を要した。時は、高山線下呂駅開業直後のことである。下呂駅へ降りた客を、湯之島温泉街へ運ぶ唯一の橋として、おおいに利用された。昭和39年10月の下呂大橋の完成により、昔日の重要性は減少したが、昭和49年5月には工費3000万円をもって歩道橋も付設された。 名前の由来 六ツ見橋と名付けられたのは「下呂六景」を見渡すことができるところから名付けられたそうです。下呂六景というのは… 弘法山(信貴山)・湯ヶ峰の夕映え・下呂大杉・湯ヶ淵の湯煙・中根山(下呂富士)・温泉寺の桜 (下線磯部。以下略) 銘板。 株式会社
大阪鉄工所製作 昭和六年 このとおり、このボーストリングトラスの桁が製造されたのは昭和6年。ということは、上記の下線を付した部分、「鉄骨板橋」は、解説看板の誤り。 ……もしかしたら、トラス橋を「鉄骨板橋」と称したのだろうか。でも、検索すると「鉄骨/板橋」に切れてしまうので、どうにもわからない。 橋脚の上。歩道橋から撮っているので、左が東側で固定沓、右が西側で可動沓。 対岸に渡ってしまう。 狭いなあ…。 こちら側にも右の親柱が残り、そこには「竣功昭和六年」という石の銘板がはめ込まれている。 戻りがてら、塗装標記。下弦に貼ってあった。 塗装年月 2001年3月
塗装会社 株式会社大装 塗装材料 下塗 鉛系さび止めペイント JIS-K-5623=1種 中塗 長油性フタル酸樹脂塗料 JIS-K-5516-2種 上塗 長油性フタル酸樹脂塗料 JIS-K-5516-2種 塗料製造会社 大日本塗料株式会社 戻り終え、踏切を見たら、そこには「六見橋踏切」という表記があった。 さらに引く。 4月末、既に葉桜。もし満開なら、六ツ見橋の群青色ととてもマッチすることだろう。 PR |
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