国鉄蒸機に対する高木宏之氏の見解のようなもの、と言うと乱暴に括りすぎだろうか。気動車は、旅好きの人(車両の構造や歴史に興味がない人)には、蒸気機関車と同じく国鉄型マンセーなジャンルなのだけれど、クルマやバイクという身近な存在があるからか、エンジン好き(と、構造や歴史好きを総称しよう)な人には、国鉄型がダメダメだったという認識はある。少なくとも、DMH17を「音がいい」という人はいても、「国内においては最適解だった」などという人は一人もいない。そこが救いである。 本書は、日本の車輌工業史を、他業種との比較で見つめた良書である。自動車工業との比較が多いため、主として工業製品としての観点と、ディーゼルエンジン史の観点で書かれている。ここでは、ディーゼルエンジンについて、著者がいかに憤っているかのフレーズを抜きだそう。 ●戦前の海軍との関連 日本海軍の艦政本部長、渋谷隆太郎が昭和元年から翌年までアメリカを視察し、ウィントン製エンジンに興味を持ったこと、ウィントンの信頼性・堅牢製と国産品は比較にならぬことを挙げたことを引用し、 「本機関が神鋼に技術移転されておれば国鉄DLはよりマシな心臓を得ていたであろう」 ここで述べられるウィントンのエンジンは、ボア8インチ×ストローク10インチの201-A型で、すでにwikipediaに項目としてアップしてあるのでご覧いただきたい。ウィントンは、のちにGMに買収され、GM-EMDとなり、アメリカで長年にわたり最大のディーゼル機関車メーカーとして君臨し続けた。いまはGEに少しだけ劣勢な二番手。 ●終戦から1980年代までの「沈滞期」について 「『新系列』DC機関開発の相次ぐ失敗などは史上最悪の事例に属する」 ●DMF15系を出力ダウンして搭載することについて 「1977年、60系(磯部注:文脈よりキハ66・67)に代わって投入されたのが、悪名高い40系である」 「ほとんど信じ難いことにDML30HSAから-HSHへの、あるいはDMF15HZAから-HASへの定格切下げに際し、国鉄と制式機関メーカーは圧縮比を16.0から14.2へと大幅に落とす手を用いた(略)DE(磯部中:ディーゼルエンジン。以下同)の高効率の根拠である高い圧縮比を低出力・軽過給機関においてここまで引き下げたやり口は自虐行為に等しい(略)基本設計が出鱈目であった」 「悪化した燃費でも悪評高かった(略)真因は排気温度を徒に上昇させ熱効率自体を低下させた圧縮比切下げにある」 等々。ここまでひどい罵倒は、個人的なブログや掲示板以外では見たことがないが、それぞれ納得できる内容である。
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また、本書には、私にとって未見のことがいくつか記されている点が興味深い。本書には詳細な注釈と参考文献があるが、これらにはソレが記載されていない。もしかしたら私の持っている本に記載されているのを忘れているだけかも知れないが…。 ●EH66 「1970年代に入った頃、EH10と同じ手口でEF66の主電動機を8基使用する総出力5,200kWの(仮称)EH66が計画された」 ●DML61-NC(仮称)の開発 「JR貨物は1989年頃からDD51の出力向上を目指し、新潟およびコマツディーゼルに連続定格810kWの機関(仮称DML61-NC)の開発に着手させていた」 これらの根拠(記載されていた文献)が知りたい。 PR 中井さんは、旅の途中、ツイッターやブログ『一日一鉄』で作品をアップしたり、その時々の心境を吐露していた。悲しんでいるときもあれば、感動しているときもあった。それを、私を含むファンは応援しながら眺めていた。アップされた写真のすごさに感動したり、添えられた文章に涙ぐんだり。本書を開くと、そのときの気持ちが蘇ってくる。だから、会社から帰る電車の中でうっかり開いたら、…涙が浮かんできたので、すぐ閉じてしまった。 中井さんの作品がすごいのはもちろんだけれど、まとめたときの展開がまたすごい。CP+などでの講演のスライドを見たことがある方はわかると思う(注)。この『DREAM TRAIN』は、その性格上、旅の順番に作品が並んでいるはずなのに「なんだこの展開は!?」と思ってページをめくる指を止めてばかりいた。 私は、本書のクライマックスはここだと思う。 101ページ。飯山線の虹。
このページの作品と文章は『一日一鉄』2011年11月15日にある(あえてリンクは貼らない)。会社でここを読んで、……。いま読んでも涙が出る。コメントの数がものすごい。この作品と添えられた文章は、この旅を共有していた人たちにもっとも強く響いたのではないだろうか。 (注)この『DREAM TRAIN』にはDVDが付属しており、その中にスライドショーが収録されている。そこには、私の友人でもあるオオゼキタクさんによる歌が添えられている。すばらしいスライド、そして歌なので、ぜひDVDもご覧いただきたい。
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自分はどうだろうか。 小学生の頃の漠然とした夢は「ディーゼルカーの運転士になりたい」だった。気動車などだれも趣味的に見向きもしない時代に、田舎の小学生はそう思っていた。新潟は気動車王国だったからな。でも、同時に、国鉄の職制における運転士という位置づけのことも知っていたので、そこそこ勉強のできた私は、このまま進んでも運転士になることはないだろうとも思っていた。 小学校5年の時に、宮脇俊三氏の『時刻表2万キロ』とそれに続く作品に触れた。それ以来、「本をつくる人になって、旅の文章を書きたい」と思うようになった。一方、高校に入って山に登り出すと、それを趣味としながら高校の国語教員ということも考え始めた。そういう先生がいたからね。だから、もし私が小学生~中学生の間に夢を聞かれたら「本をつくる人になる」だし、高校生~大学4年の間だったら、重ねて「国語の教員になって、山に登り続ける!」とか言ったと思う。高校の山岳部は、その先生との出会い(その先生もバイクに乗っていた)、そしてオフロードバイクに乗ってる先輩との出会いがあったから、相当な人生の転換ポイントになった。その頃から10年以上、鉄道趣味から離れることにもなった。 結果は? いろいろに形を変えて、実現できたと思っている。宮脇さんと同じ頃、愛読していた南正時さんの著書を刊行していた会社に就職し、環境や仲間に恵まれ、好きな本をつくっている。南さんとは一度だけ本の制作でご一緒させていただいき、以来、勤務先にいらっしゃるたびにお声をかけていただいている。(本当に、すてきな、いい方なのだ!) ひとつは、旅の文章。 私はツーリング記事を比較的多く担当していて、そこで「旅の文章を書く」ということができた。写真は北海道のツーリング記事。丸いライトのバイクが私で、アクションをしているのは北海道在住のライターかつライダーさんだ。私はこんなことはできない。このときには1週間同行したHカメラマンに大変にお世話になった。 まったくの余談だが、翌年の北海道取材では、真島満秀さんの作品で見た、音別付近で根室本線と並走するダートを狙って取材で訪れている。丘の上から700mmで狙った、あの作品の舞台。その後、自分でも鉄道撮影のために何度も訪れた。 もうひとつは、山。 いまは膝を壊したために山には行けないが、歩くのは大好きだ。 ほか、鉄道の本もいくつか刊行し、幸いに大変売れ、他社にも非常に大きな影響を与えることもできた(アレオレ詐欺というなかれ、100万部超えた本をつくった方が私に直接そうおっしゃったのだ)。
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『DREAM TRAIN』に導かれて、飯山線に乗ってきた。20年ぶりくらいだと思う。 シャッターを切り続けた。一度、一瞬だけ信濃川の穏やかな川面がギラリと光ったが、うまくは組み合わせられなかった。 ところが。
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20年前に飯山線に乗ったときに抱いていた夢は、幸いにして実現できている。それは本当に幸運なことだと思う。 もし、いままた夢を聞かれたら? 間髪を入れず、「すべての人が健康でありますように」 と答える。 夢じゃないように見えるなら、これでどうだ。 「すべての人が健康である世界に住みたい」 まじないは嫌いだが、10年ほど前から、なにかお祈りやお願いする機会があると、これを唱えている。すべての人が健康でありますように。 <関連リンク> ・DREAM TRAIN 実況ムービー ・一日一鉄!
須田寛氏(正しくは「、」のある「寛」)は、国鉄時代からなにかと表に出ていた方で、現代においては、JR東海元社長、JR東海のリニア・鉄道館収蔵車両を保存していた張本人だとか、そういう捉え方がされる方である。本書は「鉄道営業近代化への挑戦」というサブタイトルが付与されており、須田氏が取り組んできたことをたどりながら、その裏話をインタビュー形式で開陳するものである。
内容は大変におもしろい。須田氏の著書を読んだのは初めてなので既出かもしれないが、多少は内部的な話に詳しいつもりの私でも初めて聞く話がいくつもあった。鉄道史に詳しくない人でも、すんなりと読める良書だと思う。 しかし、私はこう思う。本書は国鉄の「表」の歴史書であるから、本書を読んだら「裏」の歴史も学んでほしい、と。 本書は、国鉄の表裏の「流れ」と、時代性を正しく認識する目を持つと、なお深く想像しながら読むことができるだろう。聞き手の福原俊一氏は、折に触れ、裏の部分についても質問しているので、須田氏も労組との絡みや国鉄自身が抱える問題についても言及してはいるのだが、いかんせん、本来は営業史を語る本なので、まったく深く言及できない。読者は、少なくとも公共企業体として独立した時点から昭和50年代の歴史と、そこから国鉄改革至る猛烈な展開の基本的な流れを把握して、本書を読んでほしい。そういう観点に立つと、須田氏は「表」を歩んできたことを、否応なく感じさせられることだろう。 (参考) 『戦後史のなかの国鉄労使』(升田嘉夫著/明石書店) 『さらば国有鉄道』(三塚博) など *** 国鉄改革に関する本を読んでも、須田氏の名前は出てこない。須田氏の次の社長、葛西敬之氏は国鉄改革を語るときには絶対に外せない人物であり、著書もあるほどなのに、である。そもそも須田氏は国鉄常務時代、分割には反対だった。葛西ほか改革の中の人物の著書には、分割反対派の理事たちの暗躍が繰り返し描かれている。そこに須田氏が含まれるのかそうでないのかはわからないが、反対していたことは確かである。 JR化直後の社長/会長は、こういう布陣だった。 東日本:住田正二(運輸官僚、国鉄再建監理委員)/山下勇(三井造船社長) 東海 :須田寛(国鉄常務理事)/三宅重光(日本銀行出身、東海銀行頭取) 西日本:角田達郎(運輸官僚)/村井勉(住友銀行出身、アサヒビール社長) 初代社長は、看板的な布陣だったはずである。住田氏、角田氏のような改革派と並べると、須田氏の浮きっぷりはどうだ。須田氏は、国鉄改革時になにをしていたか、まったく聞こえてこないのが、私にはとても奇妙なのだ。そして、それなのに社長に据えられたこともまた奇妙だ。 なお、葛西氏はじめ改革の実働部隊は、JR各社に取締役や副社長などの形で入り、後日、社長の座を射止めた。そして、改革時のことを積極的に発言する人もいれば、あえて沈黙を守っている人もいる。 (2013年1月12日追記) [『巨大組織腐敗の法則 国鉄に何を学ぶか』(屋山太郎著/文藝春秋)に、須田の名前が出てきた。
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その流れで補足。151ページ、スト権ストについての記述について。 「盛岡と新潟と九州の一部地区(略)輸送を守らなくてはいけないという使命感を持っている人もいたことだけは申し上げておきたいですね」という須田氏に対して、福原氏は「労使関係が荒廃した時代であっても、鉄道魂をもつ職員も残っていたということですね」と返しているが、これは勉強不足ではなかろうか。 新潟は、労使協調路線の鉄労発祥の地といってよく、その勢力が強く、国労を上回っていた。それを「鉄道魂」などという言葉で安っぽく括ってほしくはない。盛岡は不勉強でわからないが、仙台も鉄労が強かった。 191ページ、分割の方法について。 「千葉を分けるという議論もありました」。これは初耳だが、これも労組がらみではないだろうか。千葉には、動 労 千 葉という、過激敵だった動労から分離してさらに先鋭化したような組合がある。この分離の内容については『戦後史のなかの国鉄労使』(升田嘉夫著/明石書店)を参照されたい。 *** 最後に、「本」として。 本書は読み物なのに、なぜこの造本なのだろう? 本文用紙は厚くて読みづらいし、定価もモノクロ224ページで1890円と、高い。もっと普通の書籍用本文用紙を使って、四六判1365円程度で売ればいいのに、と思った。また、写真がひどい。「リニア鉄道館」は本当にひどい。。。 でも、読むと楽しい。久々に、一気に読める本に出会った。 編集長敬白:お薦めの新刊『十勝の森林鉄道』 本書は、よくあるように資料をかき集めてそこから作ったものではない。著者が丹念に、いろいろな人を介しながら直接ご当人に会い、お話を聞く…というスタイルを貫いている。だから、「○○さんがこう言っていた」「△△さんがこう」「文書による記録によれば□□」それぞれが矛盾していることもある。その場合、適宜推測も入れてはいるが、基本的には写真や痕跡が見つからない限りは断定はせず、潔く「今後の課題だ」としている。非常に慎重な、適切な記述となっている。 もともとは郷土研究誌『トカプチ』に連載していたもの。だからなのかタイトルは『十勝の森林鉄道』だが、いわゆる「森林鉄道」に括ることもせず、馬鉄(馬車軌道)や河川工事で使用された作業線まで網羅しようとしているあたりがまたすばらしい。
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私にとってもっとも興味深かったのは、音更森林鉄道だ。「音更」といいながら、十勝三股よりさらに先まで敷設された鉄道だ。まあ、音更森林鉄道にとっては、音更川の最上流に達するのだから「音更森林鉄道」で文句を言われる筋合いはないだろう。その音更森林鉄道、かつてはこれだけ張り巡らされていた。 著者・小林実氏はすでに85歳。いつまでもお元気で、調査が続けられますことを。304ページ、頒価2200円。都心では書泉グランデが特別に取り扱っている。ただし、誤字や誤記、単位系の誤りが多数あるので、読むときは一字一句を吟味しながらぜひ。 一言で言うと、予想とまったく異なる内容である。いや、タイトルに偽りはない。私が抱いていた白井昭氏や大井川鉄道のイメージが誤っていた、というだけの話である。おそらく、多くの読者がそう感じるのではないだろうか。 大井川鉄道といえば、子どもの頃から「C11227が運転されている私鉄」として知っていた。そこに、古い名鉄や近鉄の車両が走っていることも知っていた。私にとっては、ただそれだけの存在だった。そのため、私が大井川鉄道初めて乗ったのは比較的最近の2001年頃だ。トラストトレインのことや、C5644、C11190のことを知ってはいても、ただそれだけの存在だった。 「地域再生の鍵がここにある。」 かなり控えめなアピールであるが、このキャッチは帯の表1側に大きくあったほうがいいのではないかと思うほどに、本書の内容はこれに即している。 いま、地域の鉄道について真剣に考えてる人やグループはたくさんある。地元が主体となって行動しているところ、その鉄道のファンが主体となって鉄道会社とともに増収策を考えているところ、「公募社長」という仕組みで従来の枠では考えられなかった取組をしているところ。うまく歯車が噛み合ってないところもあるにせよ、とどのつまりは、関係する誰もが「鉄道をきっかけに、地域の衰退を食い止めたい。あわよくば、鉄道が地域の象徴のように愛され、利用され、鉄道の収益も向上すればよい」ということを願っているはずだ。 「地域再生の鍵」とは何か。本書に解答が書いてあるわけではない。白井昭の思想と、40年以上かけて実践してきたことを系統立てて書いてあるだけだ。しかし、地域再生のリーダーたちが本書を読めば、自らや自らの地域をそれと比較し、なにができるか、なにが欠けているか、改めて見直すことができるのではないだろうか。 その土川のエピソードが、実に興味深い。時は昭和35年(1960年)、いまから52年前である。土川と、友人の建築家・谷口吉郎の会話である。 「文明開化を担った明治時代の建物が、いま取り壊しの憂き目に遭っている。六〇年代のいま、新しいもの、モダンなものが無条件にもてはやされ、明治のものは顧みられることがない。何とかならないだろうか。」(本書より転載) この意識が明治村やモンキーパークを生むのだが、これは、その30年後の会話としても十分成り立つ。30年間(なのかもっと前後に長いのか)、世間の意識はこうだったのだ。しかし、52年後の今ではどうだろうか。私のブログの主要なテーマのひとつである「廃道」では、まだ成り立つ言い分かもしれない。しかし、成り立たなくなる場合も確実にでてきた。さまざまな「廃」に目を向けた人々は「それは廃れさせていいものなのだろうか?」という自問自答を始めた。白井が意識せず作り上げてきた価値観と同じものを、急速に作り上げつつあるのだ。 最後にもう一度。地方鉄道の活性化を考えている人は本書を読み、考えよ。白井と対等に会話できるくらいに思考を進め、かつ周辺にもそれを理解させることができれば、きっと地方鉄道は回り出すし、公募社長にもなれるに違いない。 注)著者名「髙瀬文人」氏はハシゴ高。「大井川鉄道」は「~鐵道」が正式表記。検索性を高めるために、それぞれ標準的な字体とした。 |
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