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20120410_004-1.jpgDREAM TRAIN。以前から、写真家の中井精也さんが取り組んでいる、主に列車内で出会った人たちに夢を聞き、それをポートレートとともに刻む…という作品。本書はその集大成というか、中井さんの原点に還っての鉄道旅というか、そういう気持ちで、2011年11月7日から19日間、稚内から枕崎まで普通列車だけで旅行し、その間に出会った人々と作り上げた作品集だ。その制作過程がかなりオープンであり、その過程を共有できたことで、私たちファンの『DREAM TRAIN』という「書籍」に対する印象は大きく変わったと思う。

中井さんは、旅の途中、ツイッターやブログ『一日一鉄』で作品をアップしたり、その時々の心境を吐露していた。悲しんでいるときもあれば、感動しているときもあった。それを、私を含むファンは応援しながら眺めていた。アップされた写真のすごさに感動したり、添えられた文章に涙ぐんだり。本書を開くと、そのときの気持ちが蘇ってくる。だから、会社から帰る電車の中でうっかり開いたら、…涙が浮かんできたので、すぐ閉じてしまった。

中井さんの作品がすごいのはもちろんだけれど、まとめたときの展開がまたすごい。CP+などでの講演のスライドを見たことがある方はわかると思う(注)。この『DREAM TRAIN』は、その性格上、旅の順番に作品が並んでいるはずなのに「なんだこの展開は!?」と思ってページをめくる指を止めてばかりいた。

私は、本書のクライマックスはここだと思う。

101ページ。飯山線の虹。



このページの作品と文章は『一日一鉄』2011年11月15日にある(あえてリンクは貼らない)。会社でここを読んで、……。いま読んでも涙が出る。コメントの数がものすごい。この作品と添えられた文章は、この旅を共有していた人たちにもっとも強く響いたのではないだろうか。

(注)この『DREAM TRAIN』にはDVDが付属しており、その中にスライドショーが収録されている。そこには、私の友人でもあるオオゼキタクさんによる歌が添えられている。すばらしいスライド、そして歌なので、ぜひDVDもご覧いただきたい。


* * *

自分はどうだろうか。

小学生の頃の漠然とした夢は「ディーゼルカーの運転士になりたい」だった。気動車などだれも趣味的に見向きもしない時代に、田舎の小学生はそう思っていた。新潟は気動車王国だったからな。でも、同時に、国鉄の職制における運転士という位置づけのことも知っていたので、そこそこ勉強のできた私は、このまま進んでも運転士になることはないだろうとも思っていた。

小学校5年の時に、宮脇俊三氏の『時刻表2万キロ』とそれに続く作品に触れた。それ以来、「本をつくる人になって、旅の文章を書きたい」と思うようになった。一方、高校に入って山に登り出すと、それを趣味としながら高校の国語教員ということも考え始めた。そういう先生がいたからね。だから、もし私が小学生~中学生の間に夢を聞かれたら「本をつくる人になる」だし、高校生~大学4年の間だったら、重ねて「国語の教員になって、山に登り続ける!」とか言ったと思う。高校の山岳部は、その先生との出会い(その先生もバイクに乗っていた)、そしてオフロードバイクに乗ってる先輩との出会いがあったから、相当な人生の転換ポイントになった。その頃から10年以上、鉄道趣味から離れることにもなった。

20120410_007.jpg(写真は大雪山。このときは2泊3日で単独でトムラウシ、日帰りで利尻も登った)

結果は?

20120410_002.JPG

いろいろに形を変えて、実現できたと思っている。宮脇さんと同じ頃、愛読していた南正時さんの著書を刊行していた会社に就職し、環境や仲間に恵まれ、好きな本をつくっている。南さんとは一度だけ本の制作でご一緒させていただいき、以来、勤務先にいらっしゃるたびにお声をかけていただいている。(本当に、すてきな、いい方なのだ!)

ひとつは、旅の文章。
20120410_000.JPGオフロードバイクには大学生のころから乗っていたが(そのきっかけは、やはり山だったりする)、会社に入ってから、山に行く時間が皆無になり、毎週末、バイクで出かけるようになった。偶然の巡り合わせで、愛読していた雑誌の編集部に配属になった。そこには、とても厳しい編集長がいて、でもその方のおかげでなんとかいまにつながっている。

私はツーリング記事を比較的多く担当していて、そこで「旅の文章を書く」ということができた。写真は北海道のツーリング記事。丸いライトのバイクが私で、アクションをしているのは北海道在住のライターかつライダーさんだ。私はこんなことはできない。このときには1週間同行したHカメラマンに大変にお世話になった。

20120410_001.JPGまだタウシュベツ橋梁が自由に出入りできた頃。取材は6月中旬。

まったくの余談だが、翌年の北海道取材では、真島満秀さんの作品で見た、音別付近で根室本線と並走するダートを狙って取材で訪れている。丘の上から700mmで狙った、あの作品の舞台。その後、自分でも鉄道撮影のために何度も訪れた。

もうひとつは、山。
ApnBhN-CEAAboV4.jpg完全に私の企画になるのが、『東京近郊ゆる登山』とその続編『もっと行きたい!東京近郊ゆる登山』。後者は来週の4月11日配本。ほかにも、山岳ガイドの大先輩からひきついだタイトルがたくさんある。

いまは膝を壊したために山には行けないが、歩くのは大好きだ。

ほか、鉄道の本もいくつか刊行し、幸いに大変売れ、他社にも非常に大きな影響を与えることもできた(アレオレ詐欺というなかれ、100万部超えた本をつくった方が私に直接そうおっしゃったのだ)。















* * *

『DREAM TRAIN』に導かれて、飯山線に乗ってきた。20年ぶりくらいだと思う。

1a4529e1.jpeg3月下旬の平日の夕方。長野を出てしばらくすると、強烈な光が差し込んできた。西から東に走るのだから、よく考えれば条件は好都合だ。

559da0d5.jpeg青空と雪景色と光るレール。ガラガラのキハ112から後ろを見ていると、列車が左右に曲がるたびにレールに反射する光の表情が変わり、目が離せない。飯山線は、私にも奇跡を与えてくれたのか?

シャッターを切り続けた。一度、一瞬だけ信濃川の穏やかな川面がギラリと光ったが、うまくは組み合わせられなかった。



ところが。















2d4c7d3c.jpeg新潟県に入ると、これだ。猛烈に吹雪いている。太陽など見えるべくもない。しかし、私が慣れ親しんだ「冬」は、これでいいと思う。

* * *

20年前に飯山線に乗ったときに抱いていた夢は、幸いにして実現できている。それは本当に幸運なことだと思う。

もし、いままた夢を聞かれたら?

間髪を入れず、「すべての人が健康でありますように」
と答える。

夢じゃないように見えるなら、これでどうだ。

「すべての人が健康である世界に住みたい」


まじないは嫌いだが、10年ほど前から、なにかお祈りやお願いする機会があると、これを唱えている。すべての人が健康でありますように。


<関連リンク>
DREAM TRAIN 実況ムービー
・一日一鉄!
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