加太駅を西に向かって走り、最初に加太川を渡る橋梁。名称は「屋渕川橋梁」となっている。「屋渕川」とは検索してもこの橋梁しかでてこない。なぜこの名称になったのだろう?
写真右が加太駅。シェルターがちらりと見えている。 ここに3連の鈑桁があり、奥のシェルターの向こうに、加太駅の場内信号機が見える。 橋脚は、隅石を配した煉瓦製。上部がコンクリート製なのは、後から継ぎ足したのか、それとも補強したのか。 プレートガーダーには銘板がある。
大正十三年
大阪鉄工所製作 LIVE LOAD:****-ER* E-** 鉄道省 (以下不明) 塗料が分厚く、判読できない。 この区間が関西鉄道として開通したのは1890年(明治23年)。桁製作の大正13年は1924年だから、開通後、まだ34年しか経っていない。鉄製橋梁、時代的に鋳鉄かもしれないが、それが34年しか使われなかったというのは腑に落ちない。以前の桁はどんなだったのか。 スパン割からして似たような桁が架かっていたのだろう。鉄製か、あるいは木…いやそれはないか。関西本線は官設鉄道に準じた鉄製桁を多数設置していたはずだし。 こうしてまた今日も、なにも解決せず、疑問点だけを提示することしかできない。そうして、こういった課題をどんどん忘れて行っている…。 PR |
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