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 吉永陽一氏の「空鉄」のなかでも作品性の高いものを多く収録した待望の書。既刊の講談社の2冊がB5判であるのに比べ、今回はA4判、より大きな誌面で楽しめる。

吉永さんの空撮写真のすごさは垂涎のものだ。巻頭のベストセレクションはすばらしい。浜名湖を渡るN700系は書泉グランデでの写真展示で大きなパネルで拝見していて、なぜ講談社の本に収録されなかったのかと憤っていた作品。ようやくここで収録された。

本書は、適切な解説キャプションとともに、このスタイルで延々と続けて欲しかったのだが、全体的に、読者のイマジネーションをかきたてる素晴らしい空撮写真……をスポイルする編集がなされている。非常に残念だ。



前半は、東海道新幹線50周年ということで、それをメインに据えて構成してある。ならば、路線図や、駅・車両の解説などいらないので、その分、写真を大きく見せて欲しかった。写真展で畳1畳分くらいのパネルになっている東京駅の空撮が、わずか左右21cmになっている。全然、目に飛び込んでこない。

後半も「The国鉄遺産」と銘打って「今こそ乗っておきたい旧国鉄車両を空から見た!」というテーマで、つまらないシチサン写真を掲載し、その分、空撮が小さくなっている。185系の来歴とか箱根登山鉄道の概要とか、各社のwebサイトに載っているようなことにスペースを割いてしまっており、せっかくの空撮写真鑑賞の妨げになっている。

本書の編集方針には、まったく共感できない。編集とは、その本でなければできないことだけをさらにギリギリまで絞る行為である。あれもこれも載せることは本全体の輪廓がなくなってしまう。他の本でできること、なされていることは、他の本に任せるべきだ。



空撮写真というのは、大きく見せてこそ、だ。一般に、写真展で大きなパネルで展示する意味合いというのは、鑑賞者が作品から離れて全体を見たり、近寄って細部を読み取ったりできることにあると思っていて、吉永さんの鉄道の空撮写真はまさにそれにふさわしい。離れればその鉄道が日本の国土をどう走っているのかがわかり、近寄ればその鉄道が家々と、道路とどういう関係を持っているのかがわかる。「平等に写り込んでるものを、目を皿のようにして読み解く」ということが読者には大きな喜びになる。空撮写真を見る読者は、無意識に美術作品を鑑賞するのと同じ経験をする。

書籍(厳密には本書はムックであり書籍ではないが)における空撮写真は、そこになにが見えているかを、わかりやすく解説することこそ必要だろう。東海道新幹線の駅ごとの空撮であれば、駅の前後、車窓になにが見えているか。それは空撮ではどう写るか。「難所越え 美しすぎる鉄道空撮」では地図が添えられているのは評価できるが、例えば立野駅の写真、右ページの下半分で大きく目立っている斜めに横断する白いものがなんであるかは書かれていない(黒川第一発電所の水圧管路)。それがくぐる南阿蘇鉄道立野橋梁にも触れられていない。そういうことを細かに文章で解説するのは難しいので、そこに「どう編集するか」のセンスがかかっている。

本書は、鉄道車両の知識がほしくて読む本ではないのに、そういう構成になっている。仮に絵画の写真集が、絵画を小さく掲載し、そこに描いてある橋や建築物、人物を、実物写真やそのスペックを延々解説していたらどうだろうか? 例えばミレーの「落穂拾い」で描かれている穀類の種類、馬の重さ、荷馬車の重さ、人物のスペックだけが、それらの実物参考写真とともに解説されていたら?



本書は前半32ページとそれ以降で紙が変わる。なのに、その境となるページで見開き写真が掲載されている。後半の写真、特にシチサン写真の色味はCMYK変換に失敗したように見えるものが多く、編集者は写真や紙のことを知らないのではないか。

冒頭の繰り返しになるが、垂涎のもののベストセレクションを、作品集として延々楽しませて欲しかった。


●関連項目
『空鉄』(吉永陽一著/講談社)
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『空白の五分間』を読んで三河島事故を思う
というブログを読み、この本を知った。三河島事故は
(1)下り貨物列車の信号冒進、下り電車線支障
(2)併走していた下り電車がそれに衝突、上り電車線支障
(3)その5~6分後(何分後かは正確には測れていない)、上り電車が現場に突っ込む
という三つの列車が絡んだ事故で、本書は(2)の運転士の記録である。三河島事故の客観的事実(とされているもの)と結果についてはwikipediaはじめ多くの資料があるのでここでは述べない。

本書は、どうやって調べたのかはわからないが、証言集である。多くの乗客および(2)の運転士、その周辺の証言。ただし、これは強く言いたいのだが、おそらくは多くが脚色してあるだろうし、著者は「ドキュメント小説」のつもりで書いている可能性が高い。そのあたりを含んで読む必要があるだろう。

著者がなにか主張したいことがあって(例えば運転士を応援したくて)書いている…というのではなく、中立の視点のつもりになってドラマ仕立にして悦に入っている、散漫で何を言いたいのかがわからない、という印象を持った。「運転士が悪い」と決めつけている人に「そうじゃないかも…?」と思わせるほどの切り込みほしかった。

* * *

例を出すまでもなく、現代に至っても大きな事故が時々起こる。そうしたとき、当事者だけを罰する風潮はどうかということがよく話題になるが、それはこの50年前の事故の時にすらあった論調だと知る。労働科学研究所の狩野広之が「たとえ乗務員が居眠りをしようと、ミスの起こらぬ手をうつべきだ」と注文をつける一方で、当時らしいというか、こんな記述もある。
評論家小汀利得(磯部注:おばまとしえ)は、また別な批判を下した。一番の原因は人間が無責任で、でたらめになったことだ。昔は先輩がきびしく後輩をしかりつけたものだが、今は年上の者が若い者をしつけられない(磯部注:「しかりつけ」ではない。誤記?)。警報設備の不足も考えられるが、何よりも大事なのは人間の正心だ。

恐ろしい記述である。現代においてこんな発言が許容されなくなったことは喜ばしいことだ。

* * *

本としての仕上がりの質は、非常に低い。一番の原因は、著者の悪文である。言葉の使い方もおかしなものが多い。校閲が入ったら、全文書き換えられるだろう。こんな本を平野甲賀装丁で文藝春秋が出していることが信じられない。本書の1ページ目6行目からしてこうである。
 鉄の動輪をまわす烈しい運動エネルギーは、シリンダー内部で蒸気のふきだし力から転換される。火室で帰化された蒸気は、パイプを通じてシリンダーへ送られる。パイプを流れる蒸気の量は、レギュレーターで調節される。蒸気はいわば荒くれ男のようなもので、絶えず精力を発散して水に変化しようとする。だからレギュレーターの役目はかなり重要で、一定の蒸気を列車の速度に応じてシリンダーに運ぶのだ。ただしレギュレーターにすべてをまかせることはできず、もちろんおとずから限度がある。火室の石炭を無制限に燃やし続ければ、水は大量の蒸気を発生し、レギュレーターやバイパス弁の限度を越えて、シリンダーに連打をあびせるだろう。または石炭の不完全燃焼で、短い煙突からふきあげる黒煙の量を増すばかりである。いまでは原始的に近い蒸気機関の構造が、そのときまだデゴイチの鈍重な鉄の塊のなかに、影をひそめていた。
ぜひ読んでみて欲しい。質と無関係なはずの乗客や周辺住民の証言についても、万事この調子である。あなたは読み終えることができるだろうか。




一見、同じテーマの書籍はいくつもあるし、ムックやパートワークもある、と思う人も多いだろう。でも、この本がおもしろいのは、貴重な写真を大きく見せることを意識していることと、雑誌的な作りになっている点だ。

ぼくの場合は、ライターさんには大変失礼なのだが、この種の本に書いてあることはたいて読むまでもない既知のことだ。だから、写真を中心に読んでいく。写真は、鉄道博物館をはじめ、米屋こうじさんや金盛正樹さんのモノクロ写真、吉永陽一さんのクワイ川橋梁の写真などが、時に見開き、時に1ページ大で迫ってくる。写真って大きくプリントしたものを見てなんぼ、と思っているのだけれど、それを「743円+税」で鑑賞できるのは、安い。

おもしろいのは、ムックなのに中綴じだということ。文字ばかりの書籍とも、コート紙の鉄道誌とも、よくある平綴じのムックとも違う、とても不思議な印象になっている。こうした本のほうが「鉄道好きが作った一般向けの本」よりも、鉄道好き含めて万人に親しみやすいだろうなと思う。

「編集人」はかつての同僚(といっても同じ部署ではなく、姉妹誌)、栗原紀行さん。当時もそうだったけれど、その仕事っぷりはFBで拝見してても、いかにも雑誌編集者ぽくて、わくわくする。『時空旅人』はいろいろなテーマで刊行されているが、鉄道においても、もっといろいろなアプローチもできると思う。というか、大変なのは承知で、自分がやりたい。もしアレがアレしたら申し出よう。


小学生の頃、南正時さんの「ケイブンシャの大百科シリーズ」をたくさん持っていた。確か、初めて入手下のは『特急・急行大百科』。小学校2年の頃、同級生からもらったような気がする。以後、『蒸気機関車大百科』『機関車・電車大百科』『特急大百科』『ブルートレイン大百科』『特急もの知り大百科』『鉄道模型大百科』等々、たくさん持っていた中でも『鉄道写真大百科』は本当に熟読した。

もちろん小学館のコロタン文庫、実業之日本社のこどもポケット百科も多数持っていた。個人的には、南さん+えがしら剛さんコンビのケイブンシャと実業之日本社のシリーズが好きだった。ベストはケイブンシャなら『蒸気機関車大百科』、実業之日本社なら『国鉄全線大百科』だ。えがしらさんのイラストはずいぶん真似して描いた。いまでも鉄道車両を擬人化するときはえがしらさんの描き方以外は「違う」と思ってしまう。それほど好きだ。コロタン文庫は詳しいけれど、子供心がなかった。

いまの勤務先である実業之日本社の社名は南さんの本で知った。入社後すぐ、縁あって南さんと仕事関係の会合でお目にかかることができ、そこから十数年を経てついにお仕事をご一緒させていただいたのは感激の一言だ。

恐ろしいのは時の経つ早さで、南さんの本を熟読した年齢からお目にかかるまでが12年くらいとすると、お目にかかってから現在が19年近く経っているということだ。

前置きはここまで。


「日鉄連」こと「社団同人 日本鉄道研究団体連合会」による『台湾鉄道大百科』。見ての通り、かつての「ケイブンシャの大百科シリーズ」のパロディだ。パロディらしく、見た目も中身も本気だ。ケイブンシャを踏襲している。カバーのピンクと紫の縞縞部分、「ケイブンシャの」に替わり「ニッテツレンの」となっている。

紙はケイブンシャのものに似ている、ボール紙に近いというか少し灰色がかった厚い紙。本文はすべてにルビが振ってあり、基本的にはタイトルが丸ゴシックである以外は本文が明朝、キャプションがゴシックとなっていて、写植書体すら不自由していた時代の雰囲気を十分に再現している。

版面(はんづら)の外側の地紋も、いかにもである。カラー32ページ+モノクロ224ページ、堂々の1000円(安い!)。ここまでやってこそのパロディである。この本は2013年末のコミケ等で販売された。巻末には、南さんのシリーズへの謝辞が書いてある。


* * *

偶然か必然か、翌2014年1月の『週刊大衆EX』に「80年代のカルチャーを牽引した分厚い浪漫の塊!ケイブンシャの大百科の大百科」という記事が掲載された。
当時の編集者へのインタビューも入っていて、貴重な証言が多々ある。私も勤務先で「こどもポケット百科」を量産していた大先輩に話を聞いていたのだが、ほぼそれと合致している。この記事に「少なくとも3~5万部は刷って」いたと描いてあるが、逆に言えば、それくらいのスケールメリットがないと子供でも買える価格が実現できなかったのだ。

1980年前後には、どの書店にもこの手のシリーズの書棚があった。新潟の北光社で言えば、1階の、文庫本等の部屋の先端、出入り口付近のレジの手前下が売り場だった。背を上に向けてぎっしりと箱詰めされたように並んでいたと思う。子供はそこにしゃがみ込み、どの本にしようか手にとって選んだ。

どの本も熟読した。『国鉄全線大百科』(実業之日本社)などは痛んでしまったので買い直した。しかし小学校4年生の冬から『鉄道ファン』を読み始め、そちらにどっぷり漬かっていく。相変わらずえがしらさんの真似をした絵は描いていたが、少年向けの本は読まなくなる。その何年か後、駄菓子屋兼文房具店(副業)をしていた実家で、大百科シリーズは、店に来る子供たちにすべてあげてしまった。今思えばなんと思ったいないことだろう。前述の大先輩は、つい最近まで数百冊、各社の本を持っていたが家に本が増えすぎたために処分してしまったという。これまたなんともったいないことか!

* * *

2001年頃か、ケイブンシャが南さんの本を2タイトル(3かな?)復刻した。そしていま、各社の本が古書では高値で取引されている。でも、いまもし電子書籍で500円くらいであれば、私は買う。どうだろう、そんな需要は3桁の単位であるだろうか?

spcl thnx @team185

●関連項目
天北線 飛行場前仮乗降場
『駅名おもしろ大辞典』(夏攸吾著/日地出版)

「別冊宝島」の58番、まだ会社名がJICC出版の時代のもの。昭和61年11月発行。この本は知らなかったのだが、『国鉄時代』はじめ趣味誌でおなじみの村樫四郎さんからご教示いただいた。

内容は、破綻している論理や職業倫理をベースに、現場の声を聞け…というもの。小卒、中卒の「(資本家に対する)労働者」の声を集めたものだ。その合間合間に、今となっては語る人も稀な現場の姿が活写されているのが貴重だ。

現場の姿としては、大井工場、志免炭鉱、戦時中の女子駅員、石炭ボイラ時代の青函連絡船、大船工場、有楽町駅、保線、電力工手、職員の妻たちといったもの。本書の中で展開されている主張は、いまとなってはあまりに幼稚、わがままな論理で組み立てられているのだが、その主張はそのまま受け取るのではなく「当時はそんな働き方でも許されていた時代だった」という認識をする程度に止めておくほうがいいだろう。論理の是非ではなく、時代というものを感じ取ればいいのだ。

私に取っては、時代を感じ取るというよりも、「当時の(資本家に対する)労働者の姿」がやっと少しリアリティを持って見えるものに出会ったというほうが適切か。戦後の労働運動を牽引してきた官公庁労組…だの国鉄の分割・民営化だのの話は、大卒キャリアや頭脳明晰なトップが書いたものはたくさん読んできたが、彼らの話、「職員は仕事の効率を上げることを否定する」ということが本当だったことがわかる。

「メンテナンスフリーの新型車両が入るのは職員が不要になるから拒否する」という理屈、「不要になった職員は別の職務を与えられるために転勤を命じられる、これを拒否する」という考え方、これらが通じていた時代。それを許容していた世間。

いまどき鉄道会社がストをやってこんなことをしていたら、全部写真に撮られてネットにアップされて嘲笑されるか、利用者たちから罵詈雑言を投げつけられ続け、精神的にストを続けられなくなるほどになると思う。こういうことが、官公庁の労組が労働運動を牽引してくれるからということもあり、許容されていた時代。

* * *

国鉄には文芸趣味を持つ「労働者」はたくさんいた。本書に登場するのもそういう人々だ。彼らの文章にはひとつのパターンがある。古典や文豪の作品を引き合いに出すのだ。そしてその登場人物や物語に、なにかをなぞらえる。ふと気づいた。これは厨二病じゃないか。そうか、そうだったのか。ひとつ、彼らのことがわかった。




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