1995年~1996年の年末年始 八重山への旅(2)の続き。
大晦日は竹富島と黒島に、バイクを持ち込まずに行った。竹富島では原付を、黒島では自転車を借りた。 石垣に戻り、市場でグルクンやシャコガイの刺身などを2000円分も買った。そして、夜。 サザンゲートブリッジの下で宴会をしていたら、地元のオジイが三線と「八重泉」を手にやってきた。大城さんといって、船をもっていた。ラジオで紅白を聞きながら、オジイの話を聞いた。「1月4日に乗せてやる」と言ってくれた。 三線に聴き入った。沖縄に惚れると三線を買ってしまう人は多い。でも、オジイの三線は、石垣に暮らす者としてのたしなみであるかのように、自然だった。アメリカ統治下の話などもしてくれた。「あのころはよかったなあ」という言葉に、世間知らずな二十代前半のぼくらは声も出ない。 刺身はとても食べきれない量だったので、翌日、寄ってきた猫にあげた。
* * *
翌2日は、闘牛を見て過ごした。1時間近く、角を突き合わせたまま動かないこともあり、いささか退屈なときもあったが、全部見た。 そして、ついに1月4日。こんな格好で飛行機に乗った。写真はZZ-R氏からいただいたもの。 バイクはその日の朝、大半の荷物はくくりつけたまま、有村のターミナルに預けた。自分のために買い込んだ大量の缶詰…TULIPのポーク340g缶1ケース、ルートビア1ケース、キャンベルスープ1ケースなどは、小包で1月7日(日)着指定で送った。 飛行機には、デイパックとタンクバッグだけで乗り込んだ。まさかこんなことになると思っていなかったので、靴も持っていないから、オフロードバイクのブーツだ。上着はバイク用の、肩パッドの入ったゴアのジャケットだ。頭は…三が日は銭湯が休業だったので、4泊、風呂に入っていないことをなんとかバンダナで隠している。荷物にくくりつけてあるのはトレーナーだ。 12時45分、石垣発。那覇で乗り継ぎ、17時5分、羽田着。行きは77時間かかったが、帰りは4時間20分。なんというあっけなさだ。東京の家に戻ったら、留守電に、現地でずっといっしょに過ごした3人から「おかえりなさーい」と入っていた。約2週間、バイクの走行距離はわずか300kmだった。後日、3人から受け取った手紙には、私を空港に送った後、約束通り大城さんは船に乗せてくれたという。その写真も送ってくれた。 翌週、1月8日(月)午前中は半休を取り、有明でバイクを受け取ってそのまま鮫洲の運転免許試験場に向かった。そこで受けた限定解除の試験で合格した。
* * *
切符類。波照間のフェリーは、こんな領収証を手書きしていた。要求したわけではない。 サザンゲートブリッジ。元旦、初日の出は橋の上から見た。日の出は7時30分。さすがの西側だ。髪が赤く見えるのは褪色補正の結果。 銭湯、濱の湯。「日本最西端の銭湯」。230円。トイレはなかなか…な汲み取り。お湯は熱い。シャワーはない。八重山毎日新聞のサイトによると、1998年頃に廃業したという。いまは石垣島に、こうした銭湯はない。 こうした旅が、17年前にはあった。大城さんが飛び入りしてくれた大晦日があった。ただ、懐かしい。 PR |
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