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※2016年1月、『されど鉄道文字』を読んで改稿。下線部は『されど鉄道文字』で判明した、私の誤認だが、そのままにしてある。後述の(C)(D)(E)は私は分けるべきと思うし、それを同じ「スミ丸ゴシック」として記述してしまうことには反対する。それは『されど鉄道文字 駅名標から広がる世界』(中西あきこ著)で述べる。

「鉄道文字のおはなし」という記事があるのを知ったので、パラパラとチラ見してそれなりにページ数があったから買った。ところが、体系だった記述になっておらず、多くのミスリードを招きそうだ。

「スミ丸ゴシック」という言葉と「書体」の概念を知ったばかりの人が、なんでもかんでもそれにあてはめようとしている、という印象。国鉄の書体を策定した方へのインタビューもあるのだが、「なぜその書体が制定されることになったか」という話がいっさいない。国鉄の書体はおろか、世の中の書体を誰が作っているか、看板のペンキ文字を誰が書いているか、そういう前提の知識がない、特に若い読者は、この記事で大きな誤解をしてしまうだろう。基礎と俯瞰を織り交ぜながら記事は書かれるべきで、編集者は、それが不足していたら指摘し、再構成すべきだ。



国鉄は、いくつかのオリジナル書体を持っていた。官庁(ではなく「公共企業体」ではあるが)らしく、ゼロからすべて自分たちでまかなおうとしたからではないかと勝手に思っているのだが、たとえば国鉄時代にはこんな書体があったのは、鉄道を知る人なら漠然と知っていると思う。

(A)車両の文字表記書体(1)機関車の形式記号等 例)「C62」「EF65」「DD51」という書体
(B)車両の文字表記書体(2)客車・貨車の形式記号等 例)「クモハ101」「ワム80000」という書体
(C)現在「国鉄方向幕フォント」として知られる書体
(D)行灯色の駅名標やホーム上屋柱(現在のJR東海の駅名標の平仮名書体に近い)
(E)Π型の駅名標に使われていた書体(こちらのサイトの「神足」


・ほか
(縦書きホーロー看板の駅名標の書体には(C)(D)どちらもある)

上記のうち、(C)が1967年に最初に制定されたスミ丸ゴシック、(D)が後年追加された(新たに追記された?)スミ丸ゴシックである。「スミ丸ゴシック」または「スミ丸角ゴシック」というのは書体のセットの名称なので、これ以外のものをそう呼んではならないと思う。これらの書体にも図面があった。その図面は鉄道ジャーナルやRailMagazine等で何度も公開されており、広く知られている。

現在は各社独自に書体を規定しており、駅名表記も車体標記もバラバラである。

なお、国鉄だけでなく、郵政省も独自の書体を持っていたし、引き継いだ日本郵政も独自の書体を改めて定めている。出版社では、写植時代、大手版元は独自の書体を持っていた。書体とは、そういうものである。



さて、以下は過去に読んだ本と自身の経験による記述である。私の思い込みによる誤りもあるかもしれないので、それを含んでご覧いただきたいし、誤りがあればぜひご指摘およびご教示いただきたい。なにしろこの手の話題はとても少ない。いきおい独自研究になってしまう。

本書の記事が恐ろしいのは、なんでも「スミ丸ゴシック」だと考えてしまうことである。そして、(C)(D)を区別していない。また、端部が丸い文字はすべて「丸ゴシック」に分類してしまう。写研の書体である「ナール体」は、たしかに丸ゴシックの派生なのだが、これを単に「丸ゴシック」と称するのは書体の話の記事ならば、ありえない。ナールは、ゴシックの端部を丸めただけの書体ではなく、総合的にデザインされた、とても優れた書体である。いまでも道路標識で多用されている。
この駅名標の写真がいつの時代のものであるか、それがとても重要だと思うのだが、仮に国鉄時代だとしたら、私がキャプションをつけるなら「稀に写研書体の駅名標もあった。これはナール体といい…」。JR化以降なら「JR化以降、写研の標準的な書体を使用するようになった。これはナール体といい…」。

国鉄時代の駅名標は、地域ごとに非常に強い個性があった。地元の看板書きが書いたのではないかと思っているのだが、非常に大きな地域的な偏りがある。ごくごく一般的に言って、町の看板屋が書く文字といういうのは角を丸めた太い文字がほとんど。なのに、そうした個性溢れる文字をすべて上の(C)(D)でいう「スミ丸ゴシック」を基準にして語り、「それ以前は丸ゴシック」と結論づけるのは暴論に過ぎる。私が30年ほど前に撮った狭い地域での数十の駅名標の写真をご覧になっただけでも、いかに個性に富むか、またいかに偏りがあるかがわかるだろう。昭和50年代後半になっても、まだ(C)(D)とは別個に、看板書きが「スミ丸ゴシック」などおかまいなしに書いていたのである。

また、駅名標は適宜塗り替えられていて、昭和40年代は、さらに前の世代の駅名標が多々残っていた。より地域色が濃かった。図らずもそれを記録しているのが、『駅名おもしろ大辞典』(夏攸吾著/日地出版)である。筆文字の駅名標も多数掲載されている。



もし「デザイン」として国鉄文字をの記事を作るならば、JR東海の須田寛初代社長が制定に関わった、というあたりを掘り下げるべきだろう。それを現在に継承するJR東海の見解も聞くべきだろう。また、JR6社の駅名標の標準形式の意図とそのデザイン的な比較もあっていいだろう。書名は『鉄道デザインEX』なのだ。

それ以外にもいくつもネタはある。たとえば東京メトロが現在のサインに置き換えたときにはパンフレットを発行し、そこには書体まで細かく指定してあった。あるいはそれ以前の営団地下鉄の書体、4550というのだが、それだけで本まで出ている。(こちらの記事に詳しい。新設計書体〈ゴシック4550〉 — 営団地下鉄用に設計されたサイン書体の資料集

この記事は、鉄道各社が腐心してきた書体・サインの歴史を知らないライターが思い込みでさまざまなものを混同し、そのまま書いてしまったように思う。本書には、この記事に限らず「サイン」の写真が出てくるが、それがどういう意図で作られているかは書かれてない。例えば「エキのナカ巡り探検隊」という記事では、サインやデザインのキャプションは「なかなかしゃれている」「しゃれた街灯」「目を引く」「俗に『修悦体』と呼ばれる独自のフォントを発見」「なんともシンプルなサイン」…路上観察にすらなっていない。

非常に残念な記事であり、かつ、ここに書いてある記事を鵜呑みにしてなんでも「スミ丸ゴシック」と言い出す人が出ないことを祈るばかりだ。

スミ丸ゴシックについては、こちらのサイトが非常に詳しい。この方に書いていただけばいいのに。
スミ丸ゴシックに関する研究




以下、ついでに記す。

JR東日本は、JR化当時、駅名標の書体を「ゴナ」に定めた。写研の書体である。時が経ち、駅名が改称され、新駅が造られ、駅名標を変更する際には「ゴナ」に酷似したモリサワの「新ゴ」が使われるようになった。PCで扱えるのが後者で、前者は対応していない(だから出版物からほぼ駆逐された)。現在はそういう仕事環境なので、いきおい「ゴナのようなもの」を使ったのだろう。新ゴは「似ている」ということで写研から訴えられている。

ちょっとどの駅かの記憶がないが、そうした書き換えの狭間に、メイン書体がゴナ、隣駅表示が新ゴになっている駅名標を見たことがある。慣れてくると一発でわかる。とくに「か」「さ/き」「り」などが見分けやすい。ぜひ。
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