駅舎正面以外は大好きな駅、水上。夏には3番線の向こうの水の流れの音が涼やかだし、冬には舞う雪が構内の照明に照らし出される。冬はいつも濡れている跨線橋もいい雰囲気だ。駅舎の建築年はわからないが、昭和30年代に多くあったような造りと意匠をしている。ホーム側、腰部がタイル張りになっているあたりにそれが見て取れる。
現在、駅舎の正面入口付近が増築され、ちょっと悲しい姿になっているが、その土台はいかにもな国鉄駅舎である。その水上駅1番線のホーム上屋の支柱は一部に古レールが使われている。 使われている部材はそれぞれレール底面同士をリベット留めしている。そこに木製の垂木(レール方向)を通して屋根板を貼っている。 支柱部分。フタ部分のレール腹部を利用してケーブルが這っている。 このトラス構造の部材は至るところで見かけるが、この水上駅のものはガセット的なものがついている。 高崎方を見ると、古レール支柱の木製上屋とは別の、鉄骨+波板屋根の上屋になっている。少し行き、振り返る形で最上段の画像と同じ向きで撮る。 その境目は。 PR
長野駅の番線の呼称は変則的だ。かつて、善光寺を模した駅本屋があったころ、駅舎側の第1ホームが1番線、第2ホームが2番線・3番線…と、順送りに7番線まであった(『国鉄全線各駅停車6 中央・上信越440駅』に図がある)。しかし、現在は橋上駅舎となり、第1ホームは使用されておらず、第2ホームが1番線・2番線、第3ホームが3番線・4番線・5番線、第4ホームが6番線・7番線となっている。
第3ホームはどうなっているかというと、東側の中央で分断し、車止めを設置した上で、北側を4番線、南側を3番線としている。wikipediaによれば、こうなったのは橋上駅舎化時(1996年)ではなく、2000年12月1日である。 その、分断したあたりから北側のホーム上屋の支柱に古レールが使われている。 ご覧の通り、手前(北側)の支柱は古レール。しかし、屋根は波形鋼鈑であり、支柱が塗り替えられた上に清掃が行き届いてピカピカ光るほどなので、一見、古レールであることに気がつきづらい。 接合部をアップ。 振り返ると… 軒桁にレールを使う例って、あまりなかった気がする。でも、そこにレールが使われているからこそ、屋根の下が直線になり、スッキリする。 なお、支柱は塗膜が厚いため、古レールの調査はできなかった。
屋代駅にある、長野電鉄屋代線の跨線橋を見に行ったのだが、ついでに見た、しなの鉄道屋代駅のホーム上屋。
さらにさらに。 ここで定型句、「また行こうっと」。 興味深いことに、この1組だけなのである。それも、他の木製支柱と異なり、ホーム中央の1本脚。他の木製支柱はご覧の通り、ホームに2本の脚を下ろしている。脚部分は、よくあるように、レール底面を接合している。レールはカーネギースチール、1900年(と読めたがちょっと不安)。 脚には、線路方向からと枕木方向から、それぞれ補強材が入っている。補強材が脚に接合される部分では、枕木方向同士、線路方向同士が1本のボルトでつながっている。そのため、両者の位置が少しだけ上下にずれている。 木製支柱のホーム上屋の組み方を集めてみたい。また課題が増えた(笑)。 |
カレンダー
最新記事
(04/12)
(04/02)
(02/15)
(01/01)
(12/31)
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|