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20120621_001.JPG.JPG西新井駅の伊勢崎線ホームの南側(北千住側)は、古レール支柱による上屋がかかっている。断面はπ型。ここでは上り線ホームを紹介する。

北側(春日部側)は、新しい上屋。両者の差は、支柱の太さもさることながら、天井の高さがすごい。近年の基準なのだろう。西武池袋線の各駅も、高架化に伴う改築で、おそろしい高さの屋根に生まれ変わった。

20120621_999.JPG支柱ではなく、枕木方向の梁をまずご覧いただきたい。頂点は/\という形にレールを縦方向に曲げ、その下を二等辺三角形のアングル材で補強。支柱との接合部にもアングルをかましている。屋根の波板の下、線路方向の部材は角型のようだ。

20120621_002.JPG支柱同士をつなぐように使われているレールは、直線が1本、その下に台形のように1本。これが延々と繰り返されている。東武鉄道の駅で見かける上屋の支柱は、このタイプが多い印象。

20120621_003.JPGレール方向の部材と支柱とのつきあわせ部。支柱はレール頭頂部同士を向かい合わせていることもわかる。


続いて、大師線のホーム。

20120621_004.JPGこちらの断面はY型。しかし、そのセンターを線路方向に古レールが結んでいる。その形状は、伊勢崎線のそれとそっくりだ。

20120621_006.JPGY字が支えている部分。

20120621_005.JPGこの部分のレールはいろいろなものがあった。この写真の上のレールは1960年代の50kgレール。ひとつ前の写真には1927年の陽刻が見える。

20120621_008.JPGこのレールなど、偏摩耗がひどい。戦時中に酷使されたものだろうか。どのレールも、頭頂部の形状がおかしい。

ぱっと眺めたところ、1927年製のレールはそこそこあったが、1960年製のレールもまざっていた。他の年代や外国メーカーのものがあるかどうかは不明である。
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[赤谷線廃線跡にある古レール支柱の水管橋]のほど近くで、古レールを使用した廃屋を見つけた。


●古レールを柱・梁とする廃屋

20120602_004.JPG農作業用の小屋だろうか?

20120602_002.JPG20120602_003.JPG
ふんだんにレールが使われている。一部には枕木も使用されている。測ってはいないのだが、ここで使っているレールは太い。50kgレールではないだろうか。


●土留め

さらに行くと、土留めの支柱が古レールだった。
20120602_005.JPG直線的な曲げ部部は、よく見ると溶接してあるようだ。つまり、レール側面から見てV字型に切れ込みを入れ、レールを縦方向に曲げ、溶接した、と推測する。


●新潟交通赤谷車庫

20120602_000.JPGシャッターが開いているところを見たい。


●東赤谷駅跡

20120602_006.JPGいまはバス停しかないが、1988年5月、付近の山に登ったときにはまだ東赤谷の駅舎はあった。その付近でテントを張った。新潟県高体連の行事なので、許可はとったあったのだろうな。



20120601_006.JPG赤谷線の廃線跡を原付で走っていたら、こんなすてきな水管橋に出会った。駅でいえば新山内と赤谷の間で、写真右が路盤跡、電柱より左の一段高いところが県道14号である。地名でいえば中々山。

20120601_007.JPGこのように県道をまたいでいる。おもしろいのは、鉄道を跨ぐ部分の橋脚が古レールなのに対し、道路をまたぐ部分は円柱のコンクリート橋脚である点だ。水管橋のような重いものを、こんな古レールで支えていることにいささか驚く。

20120601_001.JPG古レール橋脚は、このように、脚1本につきレール4本×2+斜材という組み合わせ。レールは底面同士をリベットでつなぎ、それを2組並行にして(間にウマをかませて)ボルト留めしている。

左右の脚をつなぐ斜材を裏から見るとこのように。

20120601_002.JPG反対側から見ると、片方が1本、他方はクロスする部分で分断されている。この部分だけ見ると、まるで1組の線路のようだ。…(A)

20120601_000.JPG桁のすぐ下。レールを縦方向に曲げ、桁の下部の出っ張った部分に入れ込んでいるのだろう。内側のレールは、縦方向にも横方向にも曲げられていることになる。なんとも見とれてしまう。

20120601_003.JPG古レールの陽刻もクッキリと見える。これは

UNION 07 工

とある。「工」は官設鉄道が発注した印。ほかには

CARNEGIE 1907 0 1 |||||||||||(0 1 は正確か不明)

くらいか。上記の写真(A)はASCEの陽刻が見えている。

20120601_005.JPGちょっと引くと(赤谷側に移動し、新発田側を見ると)地面に台座がいくつか見える。

20120601_004.JPGこのように、レール4本の支柱なので、今回紹介した水管橋の脚の片方のようなものだ。しかし、1975年前後の航空写真を見ても、そんな橋梁等の構造物は見あたらないので、それ以前に撤去されてしまったものか。ここにはなにがあったのだろう?



20120427_001.JPG前日につづき、これも松代駅にあったもの。用水路が枕木間の幅しかないからか、橋というか暗渠にはせず、ただその下を通している。そして両岸には橋台があり、枕木の下に木材(かな?)が置かれている。

橋梁っぽいのは、レール間の踏み板(網板)があるからかもしれない。

レール間を結ぶ棒がある。これは、レールの間隔を一定に保つためだと思っていたが、いま考えれば、踏み板の支えの役割しかないのかもしれない。

20120427_002.JPGついでにいうと、レールの外側にあるL字型のアングルは、なんの役割があるのだろう。枕木のズレ防止か?

つい先日まで使用されていた木造駅舎を見に新村駅に行ったのだが、ホームもなかなかすてきだった。

2012047_000.JPGこの堂々たる…「屋根だけ」。おそらく、元々は支柱も木製か古レールだったのだろう。田野駅では古レールのものを見かけた。その支柱が鋼鉄製のものに交換されているために、やたら屋根だけ浮いて見える。なんというか、亀から剥がした甲羅だけを棒の上に載せてる、みたいな印象。

これは松本方面を向いて撮っている。

2012047_001.JPGそこで振り向くと、このように新駅舎が左、旧駅舎が右に見える。

電灯の向こうがわかりづらいが、左はスロープになって駅舎に続いており、右は普通のホームだ。

その向こうに、先日書いた保線の動力用に改造された軽トラックが見える。

2012047_002.JPG電灯の向こうは、ホームとスロープの段差に人が落ちないように、柵がある。そのうちのひとつに「1921年」の陽刻があった。それを考えると、このスロープはずいぶんと昔から存在していたということだな。荷物扱いなどしていて、そのため…だったりするのだろうか。


 


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