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ここは砂丘の上。右は自転車道路、左が公道。右の自転車道路を横切って、砂丘を駆け下る坂道があり、かつては砂浜にクルマが降りる道だった。その坂道は大きな砂利を骨材としていて、下の方はかなり崩壊していた。それでもたまにジムニーなどが上り下りしていた記憶がある。いまは砂浜に道路が通ってしまったので、その坂道は用をなさなくなった。

そのための車止めだが、自転車道路になんらかの理由でクルマが入るときにでも外されるのだろうか。だいぶきれいな赤白の門型のほか、設置年代が異なると思われる黄色い鉄柱が4本、向こうにガードレール色(白)が2本。

そのすぐ近くにある擬木の車止め。なぜクイッと曲がっているのか。潜望鏡か。奥に続く遊歩道の両脇が擬木で固められているが、これは西海岸公園「木の公園」と同時に整備されたものだ。この車止めはそのころからあったかどうか定かでないが、同じシリーズに見えるので、きっとそのころからあったのだろう。

右は漁師の小屋。かつて金網がなかったころは、ぼろぼろに錆びた2ストジムニーが、この金網のところに停まっていた。




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新潟市の旧・栄小学校(新・日和山小学校)、旧・舟栄中学校(新・柳都中学校)の裏手、西海岸公園(という名称は何kmにもわたる広大なものなので、ここでは「日和山浜」とする)にある公園遊具。木をモチーフにした「基地」のようなものであり、1970年代後半に設置されたものと記憶している。40年近くもここにあり、今も子供たちが遊んでいる。いまだにしっかりしていて、公園遊具として立派に勤めを果たしている。

中央の2段構えの天守閣のようなものを中核として、橋のような枝が2本、うち1本は離れ小島につながっている。そして太い管状のものが1本。子どもが何十人も遊べる。なにしろ、小学校の卒業アルバムの集合写真は、ここで撮ったのだ。

隣接する入舟小学校の子どもには、天守閣その屋上に上がれることがステータスだったようだ。私が小学生の頃は、ここは「上がれないもの」という認識で、誰も上がっていなかった。

じっくりとご覧いただきたい。

 
 
 
ワクワクしませんか?

この遊具を「木の公園」と言っていた。もしかしたら、他の小学校や時代によっては別の言い方があるかもしれない。木をモチーフにしているこれを「擬木」といっていいのか迷う大きさだが、そういう観点で見てみる。

管状の部分の内側、地面には木目がある。側面から天井はツルツルだ。

そこからの脱出口になる大きな孔の周囲には年輪。

天守閣の下段の内側にも木目。床はツルツルに見えるが、もしかしたら摩滅した?

離れ小島に行く橋の断面にも年輪。

全体的によく整備されているが、よく見たら、こんなふうに加工がわかる部分があった。年輪は、そういうパーツを載せているように見える。他の場所で見ると、「幹」や「枝」の内側は中空のものもある。

* * *

話は飛ぶが、『ショッピングモールから考える』(東浩紀・大山顕)に、大阪にある、これと同じ擬木遊具の写真が載っている(P213)。愕いた。これは既製品だったのか。ということは、全国に、おそらくいくつかはこれがあるはずだ。すべてのここを探訪したい。









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