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IMG_3759_R.JPG関西本線木津川橋梁である。3連のこの橋は、西側の沈下今日から撮影したもので、画面左が大河原・名古屋、右が笠置・木津方面となる。

全体がミリ60度の斜橋となっており、それは中央径間のワーレントラス桁を見ればわかるが、この橋を特徴付けているのは側径間である。

IMG_3762_R.JPGご覧のように、8パネルのポニーワーレントラスの上に、補強する部材を取り付けている。

このアーチ型の補強剤はランガー桁(アーチには軸力のみ、補剛桁には曲げモーメントとともに軸力がかかる)と同じ作用がある。つまり、荷重がかかったときに桁がしなるが、その力の一部をアーチが受け止め、それに抵抗する形になる。

この木津川橋梁は1897年(明治30年)に架けられており、この補強工事は1925年(大正14年)に行われている。おもしろいのは、日本初のランガー桁が架けられたのは、この補強工事より後の1932年(昭和7年)であるという点である。それは、かの田中豊設計による総武本線隅田川橋梁で、隅田川の記事でも橋梁の記事でも名前のあがる有名な橋である。

なお、ランガー桁とは、オーストリアのジョセフ・ランガー(Josepf Langer、1816-?)が考案し、1881年にフェルディナンズ橋に使用したのが世界初である(『[広さ][高さ][長さ]の工業デザイン』坪井善昭・小堀徹・大泉楯著)。「ランガー桁」が比較的人口に膾炙した用語であるのに対し、ジョセフ・ランガーの名前は検索しても出てこず、wikipediaの英語版にもドイツ語版にも項目がない。ググっても、グーグル・ブックにこの本くらいが関の山であり、没年すらはっきりしない。

その他、このあたりが参考になるかもしれない。私もよく読み込んでいないので、読めば何か新たな発見があるかもしれない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Self-anchored_suspension_bridge
http://gilbert.aq.upm.es/sedhc/biblioteca_digital/Congresos/CIHC1/CIHC1_151.pdfの1621ページ
 

もうひとつの特徴は、横桁にある。愛知川橋梁のポストでも書いたが、「その6」までに見てきたポニーワーレントラスとは横桁と縦桁の関係が異なる。
IMG_3711_R.JPG愛知川橋梁のポストをご覧いただいた方にはわかるだろうが、パッと見ても気づかないかもしれない。別の角度で寄ってみる。
IMG_3751_R.JPG横桁が2種類ある。

また、「その6」までに見てきたポニーワーレントラスの横桁は各パネル間に均等に2本置かれていたが、こちらは高さの異なる横桁が、それぞれオフセットされている。

背の高い横桁同士を縦桁がつなぎ、背の低い横桁がそれを下から支える、というようになっている。わかりやすくイラスト化してみた。
20100526keta.jpg
パースがおかしい感じがするのは遠近感の処理をしていないため。浮世絵と同じである。また、各横桁の間隔がずれていたりするのはお目こぼし願いたい。

『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報) 英国系トラスその2』(西野保行、小西純一、渕上龍雄、1986年6月)では、「その6」までのパターン(9パネル、横桁同一)、を「100ft単線ポニートラス」の一群として捕らえており、この木津川橋梁と先の愛知川橋梁(8パネル、横桁と縦桁の関係がそれぞれ異なる)は「その他の英国系トラス桁」としている。どちらも、白石直治と那波光雄が設計者として記録されている。そしてこの100フィートポニーワーレントラスは1897年、パテントシャフト&アクスルトゥリー製である。

IMG_3754.jpg枕木は縦桁に載るが、「その6」までのパターンでは自由に配置していたのに対し、「その他」である木津川橋梁は、縦桁と剛結された横桁の上には枕木はなく、縦桁を載せている横桁の真上には枕木がある。これで統一されているようだ。

こちらの写真で見た方がわかりやすいかもしれない。
IMG_3686.jpg
「通常の」横桁に寄ってみる。
IMG_3688_R.JPG

ついでに支承。
IMG_3687_R.JPG
これは「その6」までのタイプと同じ、平面支承である。単純に前後する。

そして、アーチ部分。
IMG_3699_R.JPG



中央径間。
IMG_3716_R.JPGIMG_3765_R.JPG

この中央径間は、1926年横川橋梁製の2代目以降である。初代は200フィートの単線下路プラットトラス桁で、しかもピン結合だった。先に見てきた100フィートポニーワーレントラスと同じく白石直治と那波光雄が設計した桁で、製造も同じパテントシャフト&アクスルトゥリーであった。その桁は1926年まで使用され、1929年に京福電鉄永平寺線の十郷用水橋梁(鳴鹿-東古市間)に転用され、1969年に廃止された。国土変遷アーカイブには写っているが、200フィートクラスがふたつあるようであり、どちらが該当するのかはわからない。(→周辺全体を撮影したものはこちら
map.png

































横桁と縦桁の関係を考えると、ますますこの形式にはまってくる。すべてを再訪してすべてを採寸したい。でも、アレしたりコレしたりしないとかなわないよな・・・。



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