忍者ブログ
[15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25]


2022年10月2日、3年振りの「軽便祭」が開催された。とにかく圧倒されたのだけれど、目的の一つは、青森恒憲さんの『奇天烈トロッコ』を買うことだった。モデルワーゲンのブースに青森さんがいらっしゃり、発売前だけれど直接買えるのだ。


いまどき珍しい、ハードカバーの大型本。

青森さんには、5年ほど前に仕事で大変お世話になった。実は、子どものころたくさん持っていた本にも、青森さんの写真は数多く掲載されているということを知ったのはそのとき。20歳前後でそれだけのお仕事をなさっていた。RM創刊号からの連載「THE トロッコ」も青森さんと、『奇天烈トロッコ』協力の大西靖さんの筆によるものだ。



この連載の背景なども『奇天烈トロッコ』に記載されている。どんな趣味ジャンルでも、十代、二十歳前後の「すごい」若者たちは、「出る杭」として打たれてしまう。しかし、うるせえ、とばかりにこの連載は続き、まとめた本も出た。いまではプレ値になってしまっている。




有名なものから、偶然発見したものまで、43選。なぜ「43」なのかは、理由があるのだが、その中で、エンドレスの鉱石運搬線から仮設の人力トロッコ、森林鉄道まで、実にバラエティ豊かに掲載されている。かっこいい走行写真も多いけれど、「人が仕事をしている」という写真が多い。郷愁を感じるのは、いまなら安全・衛生・機械化・自動化されているものを、危険なことにも拘わらず、人が作業をしていた時代に対してなんだと思う。


気になるのは、やはりこれだ。私と同世代の人たちは、1982~1983年ころの『鉄道ファン』の、岩堀春男さんの「専用線の機関車」と高井薫平さんの「昭和30年代の地方私鉄を訪ねて 軽便・古典ロコ・田舎電車、そして…」をむさぼるように読んでいて、その一つに、ここがあったのだ。


ネンド なめいり くもいぞら。

このフレーズは、多くの人たちがおぼえているに違いない。昨年、その付近を通りかかり、「名目入じゃん!」とそこで気が付いたのだけれど、現地では調べようもなく、当時はなかった国道を行き来して終わってしまった。


こちらは高井さんの連載。

* * *
 
青森さんは1959年のお生まれなので、撮影は19歳から20代前半。その年代で、全国を飛び回り、トロッコを見て回った。もちろん、情報などない。地図から見つけることもあれば、「~らしい」という情報を頼りにクルマを飛ばす。空振りもある。それでも、掲載されているものの何倍かを訪れ、記録している。

そのころ、私は小学校高学年から中学生。まだ「間に合った」はずなのだ。しかし、行っていない。赤谷線の最終列車に乗りに行ったけれど、その先は行っていない。越後交通も動いていたはずだけれど行っていない。新潟交通などは高校への通学路に白山前駅があったけれど、通しで乗ったのは、蒲原鉄道とともに一度切り。まあ、その程度の行動力だったのだろう。「いま思えば」ということは余りに多いが、もったいない。

本書を読んで、いろいろと探訪したくなっている。まずは、頭の中に散らばっている情報をとりまとめ、行くべき場所をGoogleMapsに書き込んでいくことにする。


直方市石炭記念館。

 
 
池島。

 
端島。

 
安房。


赤沢森林鉄道。

こうした保存がいくつもあるが、ほとんど行っていない。もっと積極的に現地に行ってみようと思う。




PR
 
北九州市若松区の響灘埋立地に、軍艦を転用した防波堤がある。といっても、防波堤が強化されているため、既に防波堤としての役割はほぼ終えていて、いまは釣り人たちの場となっている。正式には「響灘沈艦護岸」という

 
長さ90mの護岸。船体は駆逐艦「柳」のもので、自分の足元にあると、こんな幅の狭い鑑に100名以上が搭乗していたのか、と驚く。

 
後部はさらに護岸が延長されている。

 
後部から。クロップマークのよう。
 
ようやく種子島にバイクで渡ることができた。「鹿児島の先」だと、自走で来るにはなかなか遠い。ここは鹿児島港南埠頭。8時40分出航だが、バイクは一番に乗り込むため、7時過ぎにはのりばに来るよう指示があった。前夜はホテル泊。

ターミナルはなく、乗船手続きはプレハブ。乗船するクルマ置き場は「1番レーン」「2番レーン」のように「言われなくてもわかる」ような駐車方法になっておらず、指示にしたがって並ぶ。貨物主体で、フォークがひっきりなしに行き交う。かなり狭い印象だが、すごく活気があり、港らしい。

 
バイクはコンテナの陰に…。といってもこのコンテナも積み込むのだが。

 
ハンドルに、名前を書いた荷札。

 
 
セイカアイスクリームとコスモラインのコンテナ。

 
バイクはこんな感じ。きちんと固縛される。

 
 
これは下船時に撮影。クルマもかなり目一杯に積み込んでいる感じ。もう少し大型のフェリーでもいいのでは?


 
 
「こんなところにクルマを停めるのか!」と感じるスペース。とにかく、物資でいっぱいだ。

 
出航。航路の半分近くは鹿児島湾だ。

 
順番が前後するが、プリンセスわかさの後ろには、フェリーみしまが控えている。こちらは9時30分出航。

 
フェリー屋久島2。こちらは8時30分出航。プリンセスわかさの出航はその10分後。フェリー屋久島2を追いかけるようにして鹿児島湾を南下する。

 
フェリーあまみ。次回の九州行きでは20年以上ぶりに奄美に行きたい。

* * *

冒頭に「遠い」と書いたが、種子島にいるときに自宅でトラブルが発生、急遽(といっても種子島を離れる日は予定通り)帰ることになった。ここから鹿児島へ行き、1泊して翌日四国へ、東予からフェリーで大阪へ…というルート。2泊かかる。

 
西之表港。

 
鹿児島港よりは広々としている。

 
プリンセスわかさ。乗客はタラップで乗船。

 
 
帰りも同じ場所に固縛。

(2022.7)



2022年9月、霧雨の七ヶ岳林道を往復。ここは、知る人は知ってる分岐。左は、下りとはいえもはや一人じゃ入りませんよ…。で、このとき、チェーンが弛んでるって言われて、そういやそうだと思って帰宅後張り直したんだけれど、よく考えたら新車から1回も替えていない気がする。ほとんど乗らないと、こういうところがどんどん鈍感になる。自分としてはまだ数年しか乗っていない気がするけれど、実際には23年目の機械なのだ。

オドメーターは8000kmも満たないが、メーター外してのコース走行やレース走行がそれなりにあるし、公道でもほぼ「現地までトランポ、林道メインで走る」という使い方のため、ダート比率は3~4割くらいと、一般的な林道ツーリング用途よりはるかにダート走行が多い。


スプロケを替えたのは2001~2002年くらいだと記憶。普通はリヤスプロケを大きくするのだけれど、そのときにチェーンを交換しなくていいように、フロントを小さくしたのは記憶にある。ノーマルは15-46で112リンクのところ、13-46にしたのだ。これが実にちょうどいい。コンディションのいいダートでは3~4速がすごく楽しい。ただし、5速で回しても100km/h出るかどうか。

・15-46 ギヤ比3.07(RMX250S)
・13-50 ギヤ比3.85(RMX250R)
・13-46 ギヤ比3.54(磯部仕様)



チェーンはリヤスプロケのところを引っ張っても左右に揺さぶっても、伸びている感じはあまりしないが、タイヤを見るとチェーンに当たった跡がある。左右のブレはあるのかな。フロントスプロケを見るとかなり削れていたし、なにより23年目なので、一式交換することにした。


そう思って検索しても、全然選べない。いや、もっと高年式のマシンとの共通部品はいろいろあるので、よく探せばあるのだろうけれど、サンスターはフロントは12T~15Tがあるのに、なぜかリヤは純正歯数の46Tがなく、42Tしかない。ほか、通販サイトも片方しかなかったり、希望のサイズがなかったり。古い車種だとこうなってしまうのね。

また、チェーンも、長年DIDかRKエキセルしか買ったことがなかったが、今回は価格と、112LにカットしてあるということでEKチェーンを初めて購入。


まずはリヤから。スプロケを固定するボルトは固着していて外しづらいだろうと思いきや! 六個とも緩んでいた…。脱落しなかったのは、セルフロックナットだったからか。


新しいスプロケは、ボルト穴がテーパー状になっていた。困る。仕方ないので裏返して装着。古いスプロケは、サンスターの排泥制がいいもの。


次いでフロントのドライブスプロケ。こちらは30mmのでかいナット。ブレーキ踏みながらインパクトレンチで…と思ったら、ゆるゆるじゃん!!! 緩み止めのために座金のツメを折っていなかったらはずれてしまっていたということか。こんなところ、普段のメンテナンスでチェックしたことがなかった。

エンジンスプロケットナットの締め付けトルクは9.0N・m。そのまま締め込むとピストンが動いてしまうので、車体にまたがってリヤブレーキを強く踏みながらトルクレンチを左手で押す。けっこう無理な体勢だが、無事にカチリと音がする。座金を起こして完了。



そしてチェーン。古いチェーンをDIDのカシメ工具「かし丸」でカット。割とスルスルとピンは抜ける。


わざわざ古いチェーンと結んで通さなくてもいいのだけれど、儀式なので…。


初めて使う、EKチェーンのスクリュー式ジョイント。いままで、カシメかクリップしか使ったことがなかったが、簡単だった。ただ、ピンを折り取る時に、チェーンが強い方向ではない角度に力がかかるのが気になった。


外装よりもチェーンを見ろって東本先生の初期作品にも書いてあった。


フロント。写真でいえば左回転で、「入」の形に摩耗する。これはけっこう摩耗している。


リヤ。こちらは、それほどでもない。歯が尖っているかといわれれば、まだ大丈夫そう。


一式。いままでありがとうございました。


おまけ。アクスルシャフト等にグリスを塗ろうと撮りだしたら、フタがこんなふうになっていました。なんで。


 
JR貨物といい、東京メトロといい、「ツイートボタンとFacebook投稿ボタン」のように、「水色と青」のツートンを使っている場面いくつもある。その、古い一例は九州石油ではないか。

ここは宮崎県日向市の国道沿い。そこそこのクルマが行き交う立地。

 
2008年までブランドとしてはあったので、比較的状態もいい。「九州」が塗りつぶされ、防火壁は「九州」が「松(田)」に塗り替えられているので、日石となった後まで営業していたか、それともそれ以前に離脱したか。

ピットは車庫として使われている。ドラム缶が積まれているが、給油所としては機能していなくても、燃料店としては現役なのかもしれない。





Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア