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いまだに5万分の1地形図には一部の線路が載っている(数値地図に残る鉄道の亡霊と誤記)渚滑線の終点、北見滝ノ上駅跡は資料館になっている。

 
 
これだけのものを散逸させずに遺してあるのは、素晴らしい。

 
ガラスケース内に『日本国有鉄道百年史』等もあるのだが、閲覧できないので完全な死蔵なのは非常にもったいない。そして、こんな塊もある。いささかの偏りがあるような、ないような。


私は、展示の目玉は、このハンコ群だと思う。和文タイプすら学校に1台とかしかなかった時代、きっぷは基本的に手書きとハンコでつくられていた。駅名だの列車名だの、手書きなら一瞬なのに、わざわざハンコ。「活字に準ずる」ことが、社会的に求められていたのか。

この箱には経理的ないろいろが見える。「糞尿汲取代」などは、いかにもだ。「自動車税」「軽自動車税」があるということは、駅管理の自動車があったのか。「自動車取得税」まである。「水料」とはなんだろう。「軟水道料」とは公共水道か。

左には「新富士 十条岐線入」「苫小牧 王子岐線入」「新旭川 国策パルプ岐入」などがある。木材の集積地だった北見滝ノ上から製紙会社に発送していたのか。

 
「父」「母」「妻」「妹」「弟」「長男」「二男」「三男」「長男」「二女」「三女」「四女」などというものは、職員のなんらかの書類に使ったのだろう。子供が多い時代のものだろう。「青木勇」という個人名もある。

 
「日本通運株式会社 北見支店長 山口昭治」。貨物の発送に関するものだろうか。貨物顧客については別項で記す。「無効印」も完備している。

 
「山田明義 291 3650」などは、職員だろうか。「尾碕勝義 310 9612」は、同じ尾碕姓の女性名の印鑑がある。家族だろうか。別項に書くが、氏名は、廃止時の職員ではない(異動済み)と思われる。

右上、貨物用だろうか「○○材 ○丸太」と読める。左上、「職員」「 耺員」がある。こうしたハンコは、中央で作られて一律全国に配布されたのだろう。ここまでが、内部用のハンコだ。

 
ここには窓口で使われていたと思われるハンコが収納されている。名寄本線各駅名や優等列車の印、そして何らかの割引である「学41」「添33」「救31」「身81(51?)」「障83」「介85」など、なかなか見る機会のないものもある。

右には駅名や列車名。こんな…といってはなんだが、盲腸線の終端駅でも、本州の「ゆうづる」「はくつる」「みちのく」は印鑑が用意されていたのだ。駅名の「仙台」「女川」などは貨物用だろうか。

「妹背士別」「妹背上川」「士別妹背」「上川妹背」は、渚滑から札幌方面に行く場合の経由地だろうか。妹背牛と士別ならば急行「紋別」の名寄経由、妹背牛と上川ならば急行「大雪」(旭川止まりなので乗り継ぎか)の中湧別・遠軽経由。「奥羽羽越信越北陸湖西」がひとまとまりになったハンコもおもしろい。

 
こちらも営業用ハンコ。古いものも見られる。「戦」「傷」は「戦傷病者等の日本国有鉄道無賃乗車等に関する法律」による無賃の扱い(国が支払う)ものだ。

「保35」「青学44」「青45」「高46」。「青」「青学」は、それぞれ「青年学級生」「勤労青年学校生」割引のどちらか(土屋武之さんほかのご教示による)。

左から2列目の中程、「千才空港」。

* * *

1996年の富内線振内駅跡だったと思うが、こうしたハンコを「ご自由にお持ちください」とあった。駅名のハンコを三つばかりいただいた。どこにしまい込んだか、見つからぬままだ。


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