![]() 写真は、北から南を見たところ。とくにこの橋は気にも留めず、塩谷川を見たかったのだが、親柱をふと見て驚いた。 ![]() ![]() 左の親柱には「人面橋」「大蔵大臣 田中角栄書」。田中が蔵相を務めたのは1962年7月から1965年6月、第2次池田第2次改造内閣から第1次佐藤内閣までの約3年間だ。 右には「県道長沢栃尾線」。県内には長沢という地名はいくつかあるが、ここではR290のルートから考えると、三条市の長沢だろう。弥彦線の廃止区間の「越後長沢」の長沢だ。「国道 ここまで」も長沢地区だ。この区間が国道に格上げされるのは、1970年4月1日である。こちらの揮毫も田中によるのだろうか? 南側の親柱を見る。 ![]() ![]() 田中は、1965年6月に党幹事長に就任する際に大臣を辞してから1971年5月に第3次佐藤改造内閣の通産相就任まで、閣僚ではない。もしその間に橋が完成していたら、この銘板はどうなっていたのだろうか。「自民党幹事長」として揮毫するわけにもいくまい。そういう意味では、タイミングがよかった橋といえるだろう。 護岸工事の考に続く。 PR |
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