東武野田線が千葉・埼玉県境を渡る、江戸川橋である。跨いでいるのはもちろん江戸川。 画面右から第1連(プレートガーダー)、第2連(トラス)・・・となるが、第1連と第4連が、製造時期が異なる。3つ並ぶトラスのうち、左端(第4連)の上弦を見ると、それがわかる。第2・第3連は2格間ごとに直線状に結んでいるが、第4連は各格間ごとに結んでいる。 もうちょっと寄ってみる。 橋の手前の歩み板の手すりに段がついている。よく見ると、縦桁の高さも異なる。その一方で、斜材も橋門構も同じように見えるのはなぜだ。両者には製造に30年の隔たりがあり、さらには製造所も異なるのだ。1930年の開通時から使用されている桁である第2・3連は横河橋梁、第4連は東京鉄骨である。 『歴史的鋼橋集覧』にはこう書いてある。 第2,3連と第5-10連の桁が1930年総武鉄道開通当時からのもので、1955年2月新設橋脚上に移設。他は1955年2月河川改修に伴い新設。(強調筆者) 1947年の航空写真を見ても粗いので、橋梁の移設があったのがどうかはよく読み取れないが、Yahoo!地図の衛星写真を見ると、北側に廃線跡に見えないこともない痕跡がある。しかし、それでは根拠に乏しい。というところで、上の写真をよく見て欲しい。明確な痕跡がある。第3連・第4連の間の橋脚(おそらく第3橋脚)の奥(画面右)に、古い橋脚の土台が見える。 こちらの写真のほうがいいか。第2橋脚である。 河川改修前は、川幅も狭かったのかもしれない。でなければ、 200フィートトラス2連だったものを、わざわざ3連に改修することはあるまい。当時の写真でもあればいいのだが。 この上流、江戸川と利根川の分流地点にある「関宿城博物館」には、わずか5パネルになったタイニーなイギリス系のポニーワーレンが保存されているという。この野田線の前身である総武鉄道が、現在の総武本線に架けていた橋だそうである。知ってれば立ち寄っていたものを。 PR |
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