昨年急逝した真島満秀氏の追悼写真集が刊行された。書店店頭でページをめくって驚いた。最初の見開きが、見慣れた構図なのだ。廃隧道の中から外を見た構図なのだ。題材は親不知。
残念ながら、ネット上にはその写真はないと思われる。尼の中味検索もないし、版元のJTBパブリッシングのサイトにでも誌面見本がないか見てみたが、商品紹介にすら載っていなかった。一般的にはありえないことだが、この会社ではよくあることだ。学研のサイトでも同じことが起こる。 『廃道本』には、それと同じような構図が無数に出てくる。端的に表しているからだ。真島氏もそう思って、親不知トンネルをそのような撮り方をしたのだろう。その一致が嬉しい。 真島氏の作品は、本当にみとれてしまうものだった。『鉄道記』という大作がある。『駅の記憶』という小品がある。どれも、次のページをめくるのが楽しみなようなもったいないような、読み終わるのが惜しくてページをめくるのがためらわれるような、そんな作品集であった。 バイク雑誌の編集をしていた時代、氏にバイク旅写真を撮っていただいたらさぞかしすごいものになるのではないかと妄想したことがある。いまならそうした依頼に飛び込めるが、当時はできなかった。氏の構図をまねて同じ場所で別のカメラマンにそのためのレンズを持参していただいてまで撮影を依頼したことがあったが、それは私のロケハンの未熟さで成し遂げられなかった。なんと、北海道の音別まで行きながら、見本となる写真を忘れてきてしまったのである。後日、今度は自分が同等のレンズを購入し、同じ構図を探し当て、撮影した。行けばどうということはない。その場所で、そのレンズで、その構図を思いつくことが、すごいことだと思った。自分が撮った写真は、凡百のつまらないものにしかならなかった。焦点距離700mm。あまりに広大で、そこまでの圧縮感を感じない。 物事の上達のためには、まず一番のものの模写から入る必要があると思う。しかし、模写したというのもおこがましいようなものしか作れない自分は、もうどうしようもない。模写を、もっともっと一所懸命しなければならないのだろう。それこそ、まったく同一(に見える)ものが撮れるようになるまで。 PR |
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