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かつては炭鉱があり、この地まで鉄道が延びていた。しかし、いまは無人の荒野となっている。行き止まりではないが、ここをクルマが通る理由もない。そんなところに、給油所だった壁と建物がある。

防火壁には、スリーダイヤモンドも二重に書かれている。こういうものは、かつてはきちんと覆い隠せていたものが、塗料の褪色とともに、見えてきてしまうのだろうか。

 
サービスルームは、残念ながら落書きがなされているが、落書きさえ色褪せつつある。こういう建物ゆえに倒壊もせず、このまま静かに、ここにあり続けるのだろう。


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g_standさんから「eneosの縦長のサインポールは元・三菱石油」と聞いてから7年が経つ。高知県内で、国道沿いに半分塗りつぶされた三菱石油のマークがあった。「うちは元・三菱石油ですよ」と主張するために塗り残したのか。

 
手前は貸し地になっている。3本のレールがある、3~6枚の引き戸のもの。写真左は店舗の床のようだ。ということは…と思ってGoogleのストリートビューを見てみる。



やはり。店舗に隠れて「塗り替えられなかった場所」が残ってしまったのだ。それが、店舗が取り壊されて露出した。たいてい、こういう場合は保存状態はよい。

かといって、三菱のマークを描いた頃には、この店舗はこの形ではなかったのかと思いきや、それはわからない。この店舗はそう新しそうにも見えないし、国土地理院の空中写真(1974~1978)を見ても、不鮮明ながら、これと同じ形にも見える。昔は、隙間が30cmだろうと入り込んで描いていたかもしれない。

いま、こうして広い空間に晒されたスリーダイヤモンドは、やっと「日の目を見た」といえる。






まるでトラクターが防火壁を破ったように見えるが、もともとこのサイズのよう。こじんまりした三菱石油の給油所跡。

 
 
灯油の計量器から、電源のコードが伸びている。見た目はこうだけれど、私的に現役だったりして…。




 
新潟県のJR駅近くを走っていたら、消雪パイプからの錆で赤くなった道路やブロック塀の向こうに三菱のスリーダイヤが見えた。


なかなか褪せている。

 
防火壁が、倉庫の壁になっている。元給油所スペースは、防火壁の向こうだったのか、こちらだったのか。


国道4号線沿いに、閉鎖された給油所があった。真っ白に塗られた給油所は通り過ぎることのほうが多いが、その前をかすめながらなにかしら痕跡をみつけたら停まるようにしてる。ここでは、ラウンドしたサービスルームに美しさを感じた。

裏手に回ると、防火壁の裏側に「日石三菱」と浮き出ていた。実際にはこんなにはっきりとは見えない、これは画像処理をした結果である。

この給油所、末期はプライベートブランドだったようで、ブランド名のないサインポールが残されていた。国道4号のこのあたりは1990年代に、つまり現役時代に通っているはずだ。しかし、まったく記憶はない。





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