忍者ブログ
[18] [19] [20] [21] [22] [23]

ここも、前面展望が非常に楽しい。

直江津方面から来た電車は犀潟駅の中線に入り、
構内を出たところでおもむろに高架を駆け上がる。
まるで『銀河鉄道999』のアレのような急坂。
会社境界は、この高架に登る地点からである(出典「ほくほく博士」

鉄道模型のように、上りながら右にカーブし、そのまま高架を高速で走る。
すぐに田園地帯の上空を走る不思議な感覚となり、くびき駅に着く。
さらに進むと高架は築堤となり、そのまま身近なトンネルに突っ込む。
二昔前なら迂回してトンネルを避けただろうに、突っ込む。

ここは、電車が高速で駆け抜けるからこそおもしろい。
PR

(航空写真の場合、この縮尺よりも拡大しないと精細画像とならない)

北越急行のこの区間は、前面展望が非常におもしろい。
犀潟方面から薬師峠トンネルを抜け、信濃川を渡り、
十日町の住宅街の下をトンネルで抜け、
飯山線沿いで顔を出したと思ったら急勾配で高架に駆け上がる。
その様子は、まるでジェットコースター。
上りでも下りでも楽しめる。

信濃川の河岸段丘に突っ込む部分の地形図を見ると、
おそらく線路面は標高140m未満。
十日町の住宅街は標高150mを超える部分があり、
十日町駅付近は145m前後。
この地形の妙味が、東京の地下鉄銀座線の渋谷付近に通じる
地下と地上の錯誤感を生じる。





http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/ccb-75-11/c29/ccb-75-11_c29_4.jpg

上記画像は、鯨波~柏崎間である。
画面左手が鯨波方面、右手が柏崎方面である。

場所はここである。

大きな地図で見る
中心の右側にトンネルがある。
これが大久保隧道である。
その右側にアンダーパスがある。
親戚の子供たちで集まったとき、ここをクルマでくぐるたびに
「アー」と叫んでいた。そのため「アートンネル」と呼んでいた。
記憶では、北側の坑口(?)が方形、南側のが円形であった。

柏崎側坑口のそばに、線路の監視小屋があった。
電話ボックスほどの大きさの掘っ立て小屋で、
中におばちゃんが座っていて、汽車の通る時刻を教えてくれた。
しかし、あるときからいなくなった。
掘っ立て小屋は無残な姿となり、やがてなくなった。
あんなところで線路を監視して、なんだったのだろうか。
当時、非常に大きな勢力をもっていた国鉄の労働組合の活動の一環だろうか。



2005年7月の地震の直前に、ここを二十数年ぶりにたずねた。
トンネルはいまだにその形のままだった。
懐かしかった。

周囲を歩いてみたら、なんと茅葺の家があった。
田があった。
沼があった。
驚きであった。

こうして航空写真や地図を見ると、当時、つまり小学生程度の
自分の行動範囲がいかに狭いものであるか、
周囲への関心がいかに低いものであるか、嘆きたくなる。


この近くに母方の実家があった。
ここには、建て直す前の実家が写っている。
のちに「米山台」となる宅地は、まだ造成されていない。

港もまだ奥行きがない。
やがて、埋め立てが進み、デンカのプラントができ、
テトラポッド製造が始まる。
丸胴の4本足のやつである。
「人」の形をした型を4つ組み合わせるとテトラポッドになる、
という知識を得たのは、それを見た小学生のときだ。
いまプールがある場所には、できたてのテトラポッドが並んでいた。
型の隙間に流れ込んでできたバリを折りとったりした。

また訪ねてみようと思う。


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア