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喜多方市内を歩いていたら、すてきな庇を持つ給油所に行き会った。雪が積もり、庇の角の丸さをさらに滑らかなものにしていた。

昭和シェルのローリーや看板はあるが、防火壁等は白く塗られているのですでに閉鎖した店舗なのだろう。それでも、あたかも現役であるかのようなたたずまいは、給油所としての役割は終えたものの、建物としてはまだまだ現役ということだ。


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いまは合併で役場ではなく出張所になってしまった、かつての町の中心部を国道が通っている。交通量は多くはないが、なんとなく活気というか、町の力のようなものを感じる地域。その沿道にある建設会社が、シェル石油の給油所跡に、おそらく居抜きで入っている。

防火壁など、とくに奥行き方面は壊したほうが車の出入りにもよさそうなものだが、防火壁は塗装もそのままに残されている。

磐城石川の市街地を右折左折しながら走っていたら、すてきな看板を持つ燃料店があった。あさかはや。これは旧仮名遣いで、現在なら「あさかわや」だろう。googlemapsでも「あさかわや」になっている。電話番号が4桁、市外局番が6桁の時代のシャッターと看板。

シェル白灯油。いまは「白灯油」などとは言わないが、これも時代性。

この店はプロパンガスはゼネラルだったようだが、複数ブランドを扱うことが可能だったのか、あるいはなにか当時の慣例だったのか。話を聞いてみたいが、たぶん、すでに閉店している。



夕方、国道17号で三国峠を越え、新潟県の湯沢に入った。西へ一つ山を越えて信濃川の谷へ。さらにいくつかの南北に横たわる峰を越えて、以前は大島村といった集落に入る。時刻はすでに18時を回っている。日は長い。

峠越えの道は好きなようにかっ飛ばせるが、集落の中は意識してスピードを落とす。安全のため、見落とさないため。融雪水で赤く錆びた路面をゆっくり走っていると、防火壁があった。残念ながら計量機はないので、とうに閉鎖してしまった給油所だった。しかし、配電盤は比較的新しい。

画像左の小屋を見よ。ここは名だたる豪雪地である。そんな場所にもかかわらず、キャノピーのない給油所。雪のシーズンはどうしていたのだろうか。






ここ国道403号は何度も走っている割にはこれに気づかなかった。工場のような建物の横に、給油所の防火壁のようなものがあったのである。しかも、そこには右向きの三角。シェル石油だ。

「小須戸SS」と見える。その右、かすかに紅色と黄色が見える。シェルだ。1972年にはホタテ貝が現在の形に近くなるので、それ以前のペイントだろう。

外側。こちらのほうが、紅色と黄色を見て取れる。防火壁頂部の水色もわかる。南側なのだが。

このように、「残ってしまっている」という状況だ。この右の建物は、道路を挟んで向かいにある「カトメ石油部」のものだ。なお、裏手にも回ってみたが、とくに痕跡はなかったようだ。





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