微妙な時刻だった。夏ならば、確実に明るい時刻ではあった。とりあえず、行ってみた。 名古屋駅から歩けば歩ける距離だ。電車に乗ってもそれなりに歩かなくてはならない。いつもなら、こういうときは歩く。しかし、荷物が重かった。近鉄名古屋線の電車に一区間 だけ乗ることにした。ところが、名古屋駅のJR改札を出ると、近鉄の乗り場は明後日の方向だった。急ぐ。切符を買っているうちに電車が行ってしまった。次 のは10分後。ああ、暗くなる・・・。 米野駅に着く。ホームから、向野橋は見えていた。しかし、もう感度を1600にあげても手ぶれしてしまうような露出しかない。そこから数百メートル歩く。途中、線路の柵にもたせてレリーズ。 向野橋(こうやばし)は、280フィートのピン結合のプラットトラスである。アメリカン・ブリッジの前身のひとつ、。A&Pロバーツ製であり、京都鉄道が現・山陰本線の旧線の嵯峨野(現・嵯峨嵐山)~保津峡間で保津川(下流で桂川となる)を渡る部分に架けられていた。いま、同ルートは新線に切り替えられたが、旧線は嵯峨野観光鉄道としてトロッコ列車が走っている。下記の地図を写真とすると、まさにその保津川橋梁をトロッコ列車が走っている。 この向野橋は280フィート、当時最大スパンであった。他に同型の桁はなく、唯一無二の存在である。推定1899年製(小西・西野・淵上論文による)。これを超える300フィート桁は、そもそもクーパーの設計が完了したのが1903年10月、製造されたのは1907年以降で、架けられたのは中央西線の第1木曽川橋梁、第5木曽川橋梁、奥羽本線板谷峠の松川橋梁(いろんなところで話題に出るが、いずれ)の3桁。以後も創られた数は極めて少ない。 以前に触れたものとして、1911~1912年製の磐越西線釜ノ脇橋梁、徳沢橋梁、深戸橋梁、1921~1922年製の国産桁、北上川橋梁と羽越本線の三面川橋梁がある。 東側から。三脚を持っていなかったので、欄干の上にカメラを載せてレリーズ。赤かぶりしているのは、撮影地点に信号機があり、その赤いライトが影響するため。 どうだ。こちらはなんとか手持ち。 美しすぐる。 ピン♪ ピン♪♪ ピン♪♪♪ ピン結合・・・・・・ プラットトラスたる部分。叩けばバィィィィーーーーン・・・と振動する。こんな帯板が、橋の重さを支えている。 昭和5年6月竣工。ん? 歴史的鋼橋集覧や小西・西野・淵上論文では「1930年5月開通」とある。 保津川時代の橋梁は、1929年まで使われたらしい。『国鉄トラス橋総覧』では1934年までとあるらしいが、それでは本橋梁の竣工年よりもあとになってしまう。 連続している鈑桁のスティッフナーはJ字形である。 向野橋について、全方向を内側から眺められるサイトがある。すばらしい。 fromNAGOYA PR |
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