なぜか画像サイズと1行あたりの本文文字数がおかしくなったのでスタイルを変更中・・・。
と思って調べたら、クーパー荷重の画像がおかしくなっていた。一度に表示するエントリの数を減らしてクーパー荷重の件を表示しないようにすることで後ろ向きに解決。 PR
丸田祥三氏が小林伸一郎氏を訴えた『風景剽窃裁判』(リンク先は、丸田氏の主張ブログ。公平に小林氏の主張を読んでみたいが、小林氏が主張するサイト等はない)は、かねてより話題となっていた。2009年初頭のことだったと記憶する。それが、さる2010年4月22日、東京地裁での尋問に、初めて小林氏が登場するということをツイッター上で知り、あわせて氏のブログも知った。
氏の『棄景』(1993年)には、大変なショックを受けた。その題材に、その表現に。私の廃もののルーツは過去に書いたことがあるが、そのころの心持ちで言えば、1991年に北海道に鉄道旅行に行った際、函館駅で購入した堀淳一氏の『北海道廃線跡を紀行する』(北海道新聞社)の内容に想像をたくましくしていた頃だ。そのころはインターネットも携帯電話もなく、すべての情報は紙媒体から得ていた。なにかの雑誌に、『棄景』の書評があった。講談社『VIEWS』あたりだったかもしれない。 欲しい、と思った。しかし、2800円もする。いまでも高価だと感じる価格である。毎日、大学のそばの弁当屋で300円台の弁当を食べていたような生活において、2800円は高い。しかし、この本は2800円出しても欲しいとおもった。そして、確か新宿の紀伊国屋だったと思うが、そこで購入した。いまでも大切にとってある。現在の宝島社が、まだJICC出版局と称していた頃の刊行である。 話が逸れてしまったが、丸田氏のブログの中の「混同されてしまうという切実な問題」におおいに共感するところがあり、ここに一文を記しておく。 2007年4月、私が作った『鉄道の旅手帖』が発売された。配本前から評判は高く、注文を非常にたくさんいただき、配本前にすでに重版を決定。5月、6月、7月と版を重ね、10月に7刷、翌2008円に8刷となった。2008年から2009年にかけて、類似の手帳タイプの商品が3誌刊行された。 類似商品の刊行は、とくに目くじらを立てるものでもない。むしろ名誉なことである。私が過去に手がけてきた仕事だって、他社で売れた本の「改良版」みたいなものもあった。しかし、それぞれに「前作を凌駕するもの」であれば、それはそれで刊行の意義もあるというものだ。そんな類書の中で、学研の『ぬりつぶし式鉄道地図手帳』は、許せない商品だった。 函館市電の書き方にも注目してほしい。本書は1980年以降に廃止となった路線にはグレーの網掛けをしてある。 函館市電の停留所名や廃止区間の営業キロは、私が函館市交通局に問い合わせたところ、函館市交通局の方が手書きで解説したものをお送りくださったものを反映している。 市電の停留所間の距離など、市販の時刻表などには書いておらず、また函館市電に限っては参考となる資料も刊行されていなかったと記憶している。 こちらは1987年以降に廃止になった路線に網掛けをしてある。 函館市電の各路線の並び順も同じ。営業キロも書いてある。 3段組で駅のリストをレイアウトし、各段がチェック欄・駅名・営業キロ・メモ欄という体裁、空き部分がメモ欄になるという体裁まで同じ。「○年○月○日限り廃止」という文言も同じ。この文言は、校正をお願いしていたワイ・ワン・ワイの澤井弘之氏の助言により、このように表記することにしたことまで覚えている。 廃止日というのは、営業を終了した翌日である。だから、普通「3月末廃止」というのは「4月1日廃止」が正しい。wikipediaの記事もすべてそうなっている。しかし、これでは誤解を生じかねないため、「○月○日限り廃止」という言い回しにした。 そして、これである。 『鉄道の旅手帖』(2007年)。 注目していただきたいのは、 「廃止線を含む総距離」 「現存線の距離」という言い回し。 これは、私が考えたものである。こんな回りくどい言い回しは、「鉄道ファンお馴染みの言い回し」でもなければ「専門用語」でもない。誤解の生じないよう、回りくどくてもこの言い回しにしたのである。学研版だけに「乗車距離」があるように見えるが、『鉄道の旅手帖』では画面外に「私が乗車した距離」という欄がちゃんとある。 先のレイアウトや廃止路線の表現も含めて、偶然の一致だろうか? 自分なら、真似するにしてももっとうまくやるぞ。 そして冒頭に戻る。「混同されてしまうという切実な問題」だ。わからない人には、学研が正で、『鉄道の旅手帖』が真似した、と思われてしまうかもしれない。たまったものではない。しかし、学研版を先に手に取った人は混同し、そう思っても不思議ではない。 もちろん、版元として抗議するか迷ったが、これだけでは販売差し止めとまではいかないだろうことは容易に察しはつく。しかも、いろいろな手間を考えると、さんざん面倒な思いをした挙げ句、その間に学研版もそこそこ売れていき、利益を確保してしまうだろう……。放置するしかなかった。 幸か不幸か、ある取次の方から聞いた話では学研版は……な結果らしい。『鉄道の旅手帖』は、8刷である。書店からは「最新版を出せ」とのオファーが随分とある。 以下は自画自賛である。 『鉄道の旅手帖』以降、「乗りつぶしチェック」のための本は、手帳タイプの類書3種、B5判2種が刊行された。しかし、どれも現実的ではないか、情報量に難があるか、あるいは稚拙な作りになっている。 ほんのわずか数年前に廃止された路線さえも掲載されていないような本が、「乗りつぶし」のためになるのか? 鉄道旅行は「これから」だけではない、「過去」にもあった。国鉄時代からの鉄道ファンならば、国鉄時代に廃止になった路線に乗ったこともあるだろう。それを蔑ろにするな。民鉄や第三セクターも蔑ろにするな。 情報量としてもっとも多いのは、新潮社『乗りつぶしノート』である。これは『日本鉄道旅行地図帳』の派生商品なので、「全廃線・全駅(実際には漏れが多数ある。それは、森林鉄道の事情を考えれば無理もないことだと思っている)」が掲載されている。次いで『鉄道の旅手帖』。1980年以降、つまり国鉄合理化での廃止が加速して以降の国鉄・私鉄の廃止路線を掲載している。他の本は、すべて廃止路線・駅は無視している。 また、エリア分け。『鉄道の旅手帖』は、鉄道ファンの行動範囲や、乗り継ぎ駅等を基準に綿密な地図割りを考えた。それだけで1週間かかった。しかし、他の本は、適当。本当に適当。県別のものもあるが、鉄道は県別に乗り分けることなどないので、これはユーザー視点ではない。 刊行から3年たっても、コストの面から妥協せざるを得ない部分がたくさんあった『鉄道の旅手帖』がもっとも使いやすいものであるのが不思議でならない。妥協せざるを得なかった部分というのは、京阪神付近の地図、大手私鉄と地下鉄の駅リスト等である。これらは紙数の関係から割愛してしまった。それでも、後発の類書と比較して、もっとも情報量が多いのが本書である。 長くなった。書店さんからは、いまだに『鉄道の旅手帖』へのラブコールがある。書泉グランデでは、刊行から3年経ってもレジそばに平積みである。このラブコールには、1ヶ月以内に応える予定だ。
歯車がガッチリとかみ合い、恐ろしい力で回転している。速度をゆるめることなどできやしない。相手はウォームギヤ、こちらはスパーギヤだ。「ガッチリとかみ合う」ならスパーギヤ同士でなければならない気もするが、まあいい。関係はウォームギヤとスパーギヤなのだ。しかも、ウォームギヤが三つも四つもあり、かつ同調していない。それらは私が自分で配置しておいたものだが、勝手気ままに回転しているので、スパーギヤにかかる負荷は部分的に高くなったり低くなったりしている。いつか欠けるのではないかと心配だが、それなりに冗長性があるのでなんとかなっている。
冗長性のあるうちに、三つ四つのウォームギヤの同調をとらなければならない。動力源が複数あっても出力軸が1本というところに問題があるのだが、そのうちウォームギヤの捻り角を大きくして、逆回転させてやるからな。その仕込みをしているところだ。 何ヶ月ぶりかで『廃道本』『廃道をゆく』告知フラッシュを見た。あのころの気持ちに帰ろう。延ばし延ばしにしてしまったこの方面も、各方面から期待をいただいている。自分はいま猛烈に仕事だけに没頭したい。
ロン・チャーナウ著の『モルガン家』(日経)上と下の1/3くらいをようやく読み終わった。モルガン家3代を知ることができればそれでいい。以前、2~3章分だけ読んだことがあったが、今回、あらためて登場人物の人となりを確認しながら読んだため、2ヶ月近くかかった。通勤時の行きの30分しか読む時間がなかったという事情もある。帰宅時は眠りこけているのだ。
この本に手を出したきっかけは、1901年のノーザン・パシフィック鉄道の株価暴騰→1901年恐慌(wikipedia記事参照)、の流れをもっと広い視野から把握するためだったが、もともとモルガンは「鉄道王」でもありながら、同世代の「泥棒貴族(ラバー・バロン)」たちとは一線を画する存在だったということで興味を持った。日本で言えば、かなり違うが、政治家でないという点で渋沢栄一・五島慶太・小林一三といったあたりに興味を持ったと思ってもらって大筋は間違いではない。モルガン周辺のジェームス・ジェローム・ヒルや、エドワード・ヘンリー・ハリマンらについてもいろいろ読み漁った。 しかし、本書を読み直しても、以前ノーザン・パシフィック鉄道について読んだ章以外では、あまりアメリカの鉄道史理解のための記述はなかった。バン・スウェリンゲン兄弟(本書中ではヴァンスワリジャンと表記)の持つ鉄道網と株についてのことくらいか。といっても、スウェリンゲン兄弟の手中にあった鉄道網についての体系的な解説はない。スウェリンゲンは、チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道やニッケル・プレート鉄道など、アメリカ東部の大鉄道をいくつも保有していたのにも関わらず、その解説がないというのは、一般向け図書としてはどうなのかと疑問に思う。これらの鉄道がアメリカにおいて、あるいは世界の鉄道史においてどんな役割を果たしたのかということは、一般の日本の鉄道ファンですらほとんど知らないはずだ。日本の鉄道ファンは日本、それも国鉄>JRが主流も主流なので、雑誌等で体系的に解説されているものを見たことがない。ましてや一般人においてをや、である。1920年代までのアメリカの株式市場において、鉄道株がどういう存在であったか、その解説がないので、スウェリンゲン兄弟はただの奇人として描かれているのは非常に残念だ。 本書は、外国人名の表記法が独特である。いわく(左が本書、右が私の認識)、 ・シーアドア・ローズベルト……セオドア・ルーズベルト(大統領) ・マクダヌルド……マクドナルド(英首相) をはじめとして、原音主義なのだろう、モロウがマロウ、トーマスがトマスになっていたりして、それらの人物の来歴を調べながら読むのに苦労した。 それにしても、本書に登場する人物の名前を見ると、アメリカ人といっても来歴がさまざまなので、名前の表記法はつくづく難しいと思わされる。昭和天皇が日露戦争時の借款に対して謝意を表明したことのある「ヤコブ・シフ」は「ジェーコブ」「ジェイコブ」とも表記されるし、ロスチャイルドだってロートシルトと表記されることもある。ラフォレットかラフォーレか、ラモントかラモンか、ファーディナンドかフェルディナンドか、、、 いましばらくこの時代の本を読み続ける予定だ。
先日、ふらりと立ち寄った。古本屋独特の、トイレに行きたくなるにおいの中を見るともなしに見ていると、堀淳一氏の『地図の楽しみ』(河出書房新社)。のちに文庫になっているものだが、これはハードカバーの第4刷である。奥付を見ると、1972年1月初版で5月で4刷。当時は本が売れた時代だとはいえ、かなりのハイペースだ。
そんな時期の本だから、蒸気機関車が普通に出てくるし、戸井線(未成線)の記事も生々しい。なにしろ、建設中止から27年しか経っていないのだ。現代で考えれば、1983年に建設中止となったコンクリートの構造物がそのまま残っているわけで、そろそろ廃化が進むころかもしれない。 同時に、山海堂の『新・野宿ライダー』(寺崎勉著)があった。2007年に4刷だか7刷りだかまで重版していた。山海堂が倒産してしまったのはその少しあとである。 翌日、水郡線の山方宿駅に併設された交流館みたいなところに立ち寄ったら、そこはノベルスに特化した図書館の様相を呈していたが、1冊、1985年に刊行された『オフロード・ライダー』(晶文社)があった。このような本である。まだ『ガルル』が産声をあげる前であるが、それらがあろうがなかろうが、彼らはそこにいる。 風間深志氏、賀曽利隆氏、西田始氏らの文と、佐藤秀明氏らの写真と文で綴る本。ここにその断片がある。もう更新されなくなって久しい「ツーリングマップル」のページだ。見ているといろいろつらくなる。この断片は、もうそっと仕舞ったほうがいいんじゃないだろうか。 |
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