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「ワーレントラスを踏み台にしている橋」として有名な、第四大和川橋梁。トランケートトラス・第三大和川橋梁は奈良県だったが、同じ駅間にあるこちらは大阪府になる。ディテールを記すが、根本的な疑問である「なぜビームではなくワーレントラスなのか」ということへの答えは見つけられていない。

全体はこのようになっている。20100918-02.jpg
魚眼レンズ持って行ってるのに、それで撮っていない愚かさよ。

この周辺は地滑り地帯で、この13径間の長大な橋が架けられたのも、周辺が地滑り地帯だからだ。下記リンク先に詳しいが、要はもともと敷設されていた路線が地滑りの被害を受けて換線せざるを得なくなり、ここに橋が架けられることになったのである。
亀の瀬地滑り(wikipedia)
亀ノ瀬トンネル(wikipedia)

まずは核心部分から。
20100918-01.JPG実に不思議な光景。桁受けにトラス桁を用いている。なぜだ? しかも、トラスの橋脚は河床に根を下ろしている。なぜ、これがプレートガーダー、あるいはラーメン構造ではなく、トラスなのか。その理由をご存知の方はご教示願いたい。

20100918-03.JPG国道から。線路を載せた鈑桁が、角度を持ってこのトラスに載っているのがわかるだろう。17mmでも引ききれん…。

20100918-07.JPG桁受け部のアップ。このリベットの数。

20100918-06.JPG少し引く。ワーレントラスなのだが、桁を受ける部分だけに補助的な部材が入っている。分格ワーレントラスと言っていいのかどうかはわからない。

20100918-04.JPG支承。

20100918-05.JPG河内堅上方面を見ると、トラスとは別に、桁受けの鈑桁が見える。

20100918-10.JPG真横から見るとこう。3主桁のプレートガーダーで、トラスと同じくリベットで接合されている。ここに架かる桁は、トラス桁が受ける桁よりも短い。

この第4大和川橋梁は13スパン、かつ複線。合計26の桁があるのだが、曲線を描くということもあり、各桁の長さはまちまちだ。複線だからといって、左右に並んだ桁が同じ長さだというわけでもない。桁の寸法を記した資料は見つけていない。『土木工学』Vol3、No2(昭和9年)にあるかもしれないので、いつか見てこようと思う。

20100918-08.jpg鈑桁についているプレート。塗装の皮膜により、もはや読めない。「鉄道省」だけかろうじて読める。

20100918-09.jpg
塗装標記。これを13スパン分撮影しておけば、下り線の桁長がわかったのに。うっかり。


トラス桁を使用した理由はあれこれ想像はできるのだが、結局はこれがいちばん経済的だったのだろう。知りたいのは、そう判断したプロセスだ。他にどういう選択肢があり、それらがどう消えていったのか。土木図書館に行くしかないか。


この第四大和川橋梁については『鉄道ジャーナル』2009年12月号で紹介されている。しかし、「なぜ桁受けがトラスになったのか」には触れていない。また、各桁長も掲載されていない。

記事中に第三大和川橋梁にも触れていて、新しいほうのトラスを「三郷駅側のトラス桁は老朽化か河川改修によって橋脚が河川構造上で妨げとなったのか、昭和61年(1986)に架け替えられた…」と書いてあるが、私の記事で検証しているとおり、トラス桁を架け替えたのではなく、鈑桁3連(?)をトラス桁1連に架け替えたものである。
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DVC00040_R.JPG
身近すぎていつも素通りしている新永間高架橋が架道橋となる部分の鋼製橋脚。借り物の携帯のカメラで撮ってみた。現地では+2補正で撮っていたので、色が飛びすぎている。実際にはそんなことする必要はなかった。


DVC00045_R.JPGこのように意匠を施された鋼製橋脚は都心部各地で目にするが、果たしてそれらは全部同じなのか違うのか。それを、これからしばらく自分なりにおっかけてみようかと思う。同じだね、で終わるかもしれないし、なにか発見があるかもしれない。

























DVC00042_R.JPGそれはそれとして、ここにかかっている鈑桁を適当に撮ってあげるだけあげようとしたが、やめた。ちゃんとしないと怒られる(誰に?)。

下から見上げても、どの桁がどの線に相当するのかがわかりにくい。新幹線用は箱形桁(ボックスガーダー)なので割愛するとして、東(列車線側)から、3主構・2主構・2主構・2主構・2主構なのだ。その上に、3組の複線と2組のホームが乗る。

いつか、ちゃんと撮影して、観察していこうと思う。


20090113.jpg中央本線や飯田線の各駅には、「災害用桁」と称した予備の鈑桁が保管してある。ここに示すのは、須原駅にあったものだ。電車の窓ごしに撮影したため、色がにごっている。

見てわかるように、スティッフナーがJ型をしており、ポーナル型のひとつである。ポーナル型にもいくつかのバリエーションがあるが、対傾構の部材の形状を見なければ判断できないので、この角度からだけではわからない。

イギリス人のチャールズ・ポーナルがこの通称「ポーナル型」を設計し国鉄に制定されたのは1885年~1889年(作錬式)、1897年(作30年式)、1904年(作37年式)。その間に橋梁のイギリスプラクティスからアメリカプラクティスへの大転換が起こるのだが、それを考えるとこの桁は100年以上前に製造されたものである。当時のことであるから、おそらく製造もイギリスないしアメリカ(アメリカンの会社に、イギリス流の桁を製造させたことはある)であろう。

この写真では見えない(あるいはない)が、災害用桁にもきちんと塗装標記がなされており、他の駅で見たものには「災害用けた」と明記してあった。そして律儀に(?)塗装の工程と年月が記されていた。


詳細は、電車の窓越しではなく、実見しなくてはなんの判断もできまい。実見すれば、なにか(自分にとっては)新しい発見があるかもしれない。

なお、スティッフナーがJ型であるのは上記の3形式に限るわけではなく、関西鉄道や日本鉄道ではまた別の形式が使われていた。ここでの可能性をいうならば、関西鉄道のものである可能性はないわけではない。とにかく、この桁の出自がどこであるか、とても気になる。


追記:訪問記事
中央本線須原駅 災害用桁(ポーナル桁)



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