只見川の支流、伊南川(いながわ)流域も、甚大な被害を出している。伊南川は、田子倉ダムの少し下流で只見川に合流する川で、遡れば旧南郷村(現南会津町)、旧伊南村(同)、そして檜枝岐村となる。檜枝岐村の中で檜枝岐川と名前を変える。只見川の、とても大きな支流である。 伊南川末端は、両岸に道路が走っている。南側が国道289号、北側が県道360号。両者を結ぶ橋がいくつかあるが、3本が使用不能となった。見た目の被害がもっと大きいのが、この小川橋である。ご覧の通り、中間の桁が2スパン、流失している。 南側から、対岸の残された桁を見る。 左(下流側)に落ちている桁は、ひっくり返っている。 眼を川に向けると… 橋脚が倒壊している。洗掘され、橋脚が流失したことで、上に載っていた桁が落ちたのだろうか。 詳細は後述するとして、落ちている桁。 護岸がえぐり取られているさまが恐ろしい。 南側橋台の支承。 上から、下流側・中央・上流側。三つある。 対岸に渡る。 「通行止」の立て看板がある。 ちょっと進む。南側に落ちている桁。 その手前の橋脚。 南側の橋台。 その下(下流側)。 左岸側(南側)に落ちている桁。やはり裏返しになっている。そして、大きな傷がついている。心なしか、歪んでいるようにも見える。 桁の下をくぐり、右岸・下流側から桁を見る。 真下から。このように、「向こう」がない。 下に降りてみる。 砂地は川底の泥のようにふわふわしている。 桁の端が、ぐんにゃりと曲がっている。恐ろしい。 端部を拡大。厚さ1cmほどの鉄板でできたI型鋼が曲がっている! 天を仰いでいる(裏側)をのぞき込むと、スティッフナーが剥げているのに気がついた。溶接のはずなのに…。 中間部のフランジもこのとおり、ぐにゃぐにゃ。こういう部分は、落橋したときにどこかに打ち付けたのだろうか。 落ちている桁の大きさ、ぜひ実感して震えてほしい…。 【関連記事】平成23年新潟・福島豪雨で被害に遭った橋梁群の記事 (金山町側) 西部橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 国道252号 二本木橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 田沢橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第五只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第六只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第七只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) (只見町側) 只見線 第八只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 小川橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 楢戸橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 万代橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 五礼橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 PR
太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その1の続き。第2連から第12連について。
おそらく第3連。第2連と共に短い(第2連の支間は12.9m、第4連以降は19.2m)。 第3連と第4連は長さが異なるので高さも異なるので、このようになっている(右が第3連)。気になるのは、第3連左端、ウエブの上に三つ、下に四つ、それぞれ縦に開いた孔だ。かつてここにリベットで何かの部材が取り付けられていたのだろうか? こちらは下流側。赤く囲った部分に、謎の物体やプーリーが存置されている。かつて電信線が通されていたものか。といっても、蒸気機関車の時代に撮影された写真にも、撤去されていたように見える。 これが謎の物体。碍子…ではないような。4枚の水平方向の板は放熱フィンにも見える。どういう用途の何だろう? 気長に気に留めておくことにする。 (左岸南側より。画像右手=戸綿、左手=遠州森) 天竜浜名湖鉄道の、遠州森~戸綿間にかかる…というよりも、戸綿駅の、遠州森寄りにある橋梁である。橋梁192m、全12連。今年(2011年)1月に登録有形文化財(建造物)となっている。今回は戸綿から見ているので、そちらを基準に書く。 この太田川橋梁は12連で、戸綿駅側から1、2、…と番号が振られている。第1連のみ下路プレートガーダーで、下を県道58号が通り、第2連から第12連までは上路プレートガーダーである。径間はそれぞれ異なる。 戸綿駅のホームから見ると、こうだ。 左下にガソリンスタンドが写っている。実は、そのスタンドを見に行ったので、この太田川橋梁は行きがけの駄賃だったりする。スタンドについてはいずれ書く。 まずは、第1連。 桁下高さを稼ぐために下路となっている。しかし、橋梁ガードはない。もしここにハイキューブコンテナを積んだトレーラーが突っ込んできたら…。 (9/3追記:ここはガード下4.45m。ハイキューブコンテナ積んだトレーラーは約4.1mなので、大丈夫でした) 橋台に乗る端部。塗装標記はこう。 橋りょう名 太田川橋りょう 位置 戸綿~遠州森間12K266M87 支間 12M90 塗装年月 2000年3月 塗装回数 3回塗 塗装種別 下塗 塩基性クロム酸鉛系サビ止ペイント 及塗料名 中塗 長油性フタル酸樹脂塗料 上塗 長油性フタル酸樹脂塗料 塗料会社 大日本塗料株式会社 施工者 加藤塗装株式会社 下路桁なので、横桁がかましてある。腹材との接合部は、上に赤く囲ったとおりの場所にある。リブひとつおきに配置され、リベット留めされている。 銘板。 鉄道省 活荷重KS12 図すは212 川崎車輌株式会社製作 昭和八年(○○○○○○) ----------- 材料 I.○○○鉄○ C. 仝上 L. 仝上 日本鋼管株式会社 鈑 川崎製鉄所 鋲 浅野○○製○所 隣接する第2連の桁から、上路になる。 その架け違い部分。右が第1連、左が第2連。こちらも支間は12.9m。左下に見えている屋根は公衆トイレ。 第2連を下から。 奥(画面下)が第1連だ。 この部分の橋脚は、下路鈑桁を受けるために幅広になっている。上路鈑桁の部分は、いささか持てあまし気味だ。 太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その2へ続く
道道94号を西へ走っていた。とある場所で、橋梁の架け替え工事のため、仮橋を通らされた。その少し先の右側に、プレートガーダーの残骸が置いてあったのでバイクを止めた。
場所はここ。 橋の名称は不明。どこの工事をしていたかも不明。戻れば、先の工事中の橋があるのだが、それをしなかったので、わからないままだ。 このプレートガーダーの厚みは10mm以上は余裕であるが、体重70kg代前半の私が乗るだけで「曲がっている」という感触を得る。 解体は無造作だ。とにかくバーナーで切る! おそらく上路プレートガーダーだが、路床も引っぱがす! そして、それらの断面は(おそらく架設時を最後に)防錆塗装をしていないため、既に錆が浮いてきている。 3枚(?)のうち、上と下の2枚が床版が据え付けられていた面。 木材の上に載せてあるが、プレートガーダーの重みには耐えきれなかったようだ。 裏側をのぞき込んだら、銘板があった!
1973年12月
北海道建造 ○○○○○○○○ 製作 東京鉄骨橋梁製作所 ○○○○○○○○ この銘板、本体と同じくスクラップにされてしまうのだろうか。ちょっとっほしい…。 継ぎ目板。これも大量にあった。 ふと目を上げると、標識。どうしてこんなに傷がついているのだろう? 再利用などは考えないのだろうか。また、標識の左に見える黒い「棒」はレールのようにも見える。 図らずも見ることができた、鈑桁の末期。大きさからして、このままトラックに積まれ、搬出されるのだろう。 |
カレンダー
最新記事
(04/15)
(04/13)
(03/28)
(03/25)
(03/20)
(03/03)
(02/24)
(02/23)
(02/20)
(02/19)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|