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廃止騒ぎが一段落したので「北斗星ニセコスキー」の写真を。

実は、初めて鉄道写真を撮ったのがこのとき。2003年1月。いや、それまではバイクの写真しか撮ったことがなかったんだけど、仕事がタフなので、まだ2月6日発売号(1月30日頃校了)の取材の内容すら決まっていないのに、逃避的に1月の3連休に「ぐるり北海道フリーきっぷ」で北海道に行った。

本当は、早暁の吹雪の中を走るキハ201の4灯狙いだった。もちろんそれは撮って、日が昇ってからうろうろしていたら「北斗星ニセコスキー狙いですか?」と声をかけられた。いや、そんなもん運転してるとは知らなかった、恥ずかしいことに。

先を急ぐか迷ったが、待つことにした。小一時間経っただろうか、ふと周りを見ると、撮影者が十数人集まっていた。いいロケーションだと思ったが、そうか、ここは定番撮影地だったのか。そして、まだDDが見えないうちから、山間にエンジン音が轟き始めた。待つことしばし、重連のDDが姿を現す。ゆっくりとこちらに向かってくる。ちょうど、キャブに朝の光が反射した。
 

このあと、帰りの列車として上りの「北斗星ニセコスキー」の開放B寝台を取った(旅程はいきあたりばったりだった)。しかし「北斗星6号」にB個室の空きが出たので変更して、それで帰った。札幌駅に「北斗星ニセコスキー」の発車を見に行ったら、札幌運転所側(手稲側)から、なんとDD51のプッシュプルで入ってきた。札幌駅での着回しを省くためだろうか。また、そのまま函館までプッシュプルだったのだろうか。このDDプッシュプルの写真は全然見たことがない。いや、私が撮っておくべきだったかもしれないが、フィルム時代ということもあって、札幌駅ではまったく撮っていない。
(2013年11月9日追記:検索したところ、上下とも小樽~札幌間でプッシュプルとのこと。下りは小樽まで、上りは小樽から重連)

北斗星ニセコスキーの運転はその年が最後になったはずだ。開放でいいから乗っておくべきだったか。鉄道写真は2005年頃まではかなり撮りに行っていたが、自分ならではの鉄道写真というものがどうしても作れず、撮るのをやめてしまった。先に、この時が鉄道写真を撮るのは初めてと書いたが、翌日の夕方に静狩で撮ったキハ281の写真はRailMagazineで表紙に使ってもらった。その程度の写真は、たぶん、誰だって撮れるのだ。だから、それはとても名誉で嬉しいことなのだけれど、この程度の写真は「作品」というには実におもしろくなかった。




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