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ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編)の続き。

(別の人が写っているので加工しています)
1992年3月からはこの制服になった。帽子は本当は前髪を隠さなくてはならないのだけれど、まあ、それはおいておいて。

その改正で、『のぞみ』が朝晩の2往復、走り始めた。JR東海の力の入れようはすさまじく、選抜した女性メンバーだけを乗務させることになった。途中でいやになってやめてしまった人もいるけれど、補充しつつ、なんとか1年を過ごした。

翌1993年3月の改正で『のぞみ』は毎時1本、博多行きとなった。その直前に、専用クルーとして大量の短大卒を社員として採用した。それまでのグリーン車クルーや社員は全員高卒だったのだけれど、ここで大きくいろいろと変わっていった。稀に欠員が出てどうしても…ということで、ベテランの男性アルバイトが乗務したこともあるが、それは希有な例だった。私は一度だけ、博多往復(現地1泊)をしたことがある。

* * *

いま「1泊」と書いたが、大阪泊まりの乗務コースがあった。個人的にはあくまでもアルバイトなのでなるべく短時間で折り返す列車ばかり乗っていたが、1993年3月改正で『のぞみ』が増えると100系『ひかり』の受け持ちが少なくなり、0系や泊まりコースが多くなった。

泊まるのは、JDの寮である。男性社員が住んでいる、本物の寮。もちろん社員は1部屋をあてがわれているが、アルバイトはその1室に二段ベッドが八つ(と記憶している)ある部屋を使った。先日、大阪に行った際にその寮に行ってみたら、嬉しいことにまだ現役だった。


G編成の場合は、残ってしまった破棄する食材を「まかない」としてもらうことができたので、それを夜食に仲間たちと深夜まで話し込んだ。タバコにいぶされつつ、時にダニにやられつつ。ここに住んでいる大阪営業所社員も乗務で当たることがあり、その人には、みんながなんとなく親近感を持っていた。

この寮は内風呂もあったが、たいていの場合は近くの銭湯「木川温泉」に行った。この木川温泉ももちろん現役。
昼間に見たことがなかったのだが、なんとすてきな建物だろうか。西中島南方駅から歩いて行けるので、新大阪周辺で風呂に入りたい人はここに行くといいだろう。当時は「銭湯」のイメージそのままだったが、いまはどうなんだろう?

名古屋の寮は、なぜかあまり記憶がない。きれいだったからだろうか?

* * *

当時はJR東海もおおらかだったことは前にも書いた。どれくらいだったかというと、運転台に上げてくれたり、客席に座っていても笑って見逃してくれたのだ。

車販ワゴンは運転台または後部運転台(車掌がいる)に達すると「コーヒーいかがですか?」とドアをノックする。断る人はいないので、販売用とは別のプラカップで渡す。すると、「まあ上がって休んでいけや」。運転士にしろ車掌にしろ、よく運転台に上げてくれた。そうすると、意外にも新幹線の高架橋はアップダウンが激しいこと、きちんと勾配標が立ててあることなどが見える。けっこう目視できるものだなと驚く。

対向列車が来ると「ちょっと頭下げておいて」。見つかると面倒なことになるのかもしれないが、それにしてはごく当たり前のように上げてくれた。今思えば、他愛ない世間話しかしていないとうか「彼女はいるのか?」のような話ばかりだった気がする。運転士や車掌にいろいろと話を聞いておけばよかったと思う。国鉄民営化を乗り越えてきた人たちだ。経験も、思いも、話したいことはいろいろあっただろう。

また、日曜夜遅くの東京行きは、ガラガラだった。15、16号車は乗客ゼロなんていうときもある。そんなときは社員もわかっているので「適当に休憩しながら売ってくれればいい」ということで、アルバイトが4人ともB車に集まって無人の16号車で座席を向かい合わせにして休んだりすることもあった。車掌が来ても、笑いながら「ええから、ええから」と言って見逃してくれた。大阪の車掌が多かった気がする。稀には車掌も雑談に加わった。

* * *

いま「社員も」と書いたが、1992年3月改正から、東京営業所持ちのG編成は基本的に女性社員のみになり、1993年3月からは大阪営業所持ちもそうなった。女性社員は高卒で入って2年目、3年目くらいが多く、24歳くらいまで在席している人は稀だった。18歳で新卒で入ってきたばかりのときは当然のごとくアルバイトのほうが歳上かつ経験豊富で仕事もできるので、関係が微妙によじれてしまうのだが、それを気にしない社員とアルバイト立ちの関係は非常に良好だった。

高卒社員たちは、アルバイトをうまく使えば売上げも上がる、逆にアルバイトをこき使うと悪い結果になるということもよくわかっていたんだと思う。アルバイトは優しい社員のためならがんばって働くが、こき使う社員の元では少しでもサボろうとするものだ。現実的な「悪さ」を働かれてしまうこともある。なにしろ乗務は忙しい。乗務中に、各個人が何を何個売って売上金額がいくらあったかを照合する時間などないのだ。

冒頭で書いた『のぞみ』用に採用した短大卒たちとはその関係は築けなかった。

<関連事項>
ジェイ・ダイナーの思い出(コーヒー編)
ジェイ・ダイナーの思い出(大阪まで1日2往復する話)
ジェイ・ダイナーの思い出(0系Y編成・こだま編)
ジェイ・ダイナーの思い出(遅延の話)
ジェイ・ダイナーの思い出(100系11号車多目的室)
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