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ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編)
ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編 その2)
ジェイ・ダイナーの思い出(コーヒー編)
ジェイ・ダイナーの思い出(大阪まで1日2往復する話)
ジェイ・ダイナーの思い出(0系Y編成・こだま編)
ジェイ・ダイナーの思い出(100系11号車多目的室)
の続き。

1992年10月13日、私のメモでは「新富士-三島間 ゲリラによるケーブル切断、5~6時間遅れ」とある。ちょっと検索してもこのことは出てこないのだが、これが事実として書く。

4年間のバイト中、なんどか大幅遅延を経験したが、この日乗務していた209A―242Aの体験はなかなか得がたいものだった。女性の同僚と二人で乗務していた。

下り209Aは70分遅れた。新大阪まで行くと242Aに間に合わないために京都駅で下車、そこで昼食をとったかどうか忘れたが、こういうときは確か550円まで領収証を切っていいことになっていたので、立ち食い蕎麦かなにかを食べてから242Aに乗った。クルーも同じ209A―242Aの乗務行路、メモにはないが、同じく京都で下車して折り返したはずだ。下り209Aでの食材その他はどうしたのか、それはもはやわからないが、カフェテリアの荷物置き場に置いて、あとは新大阪の基地の人に委ねたに違いない。そして242Aも、食材や飲料の積み込みだけしてもらって、京都から乗り込んで準備開始…となったはずだ。

この日、おそらく朝からの混乱の影響で、ベテランクルーが2組、乗務していた。ふだんは二人しかいないところ、ベテランが四人いる。そして「こだま」430Aに乗務予定だった男性の食堂長が、折り返しの列車がないということで同乗してきた。昼を挟む、混雑した242Aにとっては最高の布陣となった。

かなり混んでいる中、私はA車ワゴンを担当した。すごい勢いでものが売れる。名古屋までに弁当類がなくなると名古屋駅の業者に注文して弁当を入れてもらうのだが、それもすぐなくなった。列車は停止と発進を繰り返す。遅れは1時間、2時間、3時間…と拡大していく。カフェテリアには長蛇の列、こんなときにベテランクルーが倍、しかも食堂長まで乗っているのはバイトとしてもとても心強い。

やがて、カフェテリアの食材は、お新香や抹茶ババロアすらなくなってしまった。バックヤードの冷蔵庫にはビールが十数ケースあるのだが、それもすべてなくなった。ジュース、ウーロン茶、ワンカップ、あらゆるものがなくなった。もはや売るものはコーヒーしかない。

結局5時間35分遅れ、つまり乗務時間としては8時間20分近くなった。売り物がなくなったのはどのあたりまで来たときかうろ覚えだが、まだ到着まで2時間以上はあったと思う。売店にはクルーの中で一番若い人がコーヒー要員として立ち、ほかの4人とぼくらバイト二人は休憩室に入った。

この日のA車売上げは15万円を超えた。カフェテリアの売上金額は覚えていないが、見たこともない金額になっていたと思う。別の列車に乗っていたある女性のベテランバイトは売上げが20万円を超えたとメモにある。車販バイトの20万円というのは、私の知る限り、空前絶後である。
* * *

遅れた列車がすべてこのように売り上げることができるわけではない。私の乗った242Aは、混雑度、売り手側、食材や飲料、それらすべてがうまくまわった結果だ。こういう日は列車の混み具合もまったく予想がつかず、ガラガラに近い列車もあれば、通路までギッシリ立つ列車もある。どちらにしろ、売上げは少なくなる。

この日の乗務は大変だったが、本当に楽しかった。

<関連事項>
ジェイ・ダイナーの思い出(100系11号車多目的室)

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