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											 × [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。   JR只見線の会津宮下駅近くに「アーチ三橋(兄)弟」と地元が名づけた橋がある。只見川の支流、大谷川にかかるもので、手前が国道の旧道(現・県道237号)の「宮下橋」で次男、中央が只見線の大谷川橋梁(長男)、奥の高い位置にあるのが国道252号の新宮下橋(三男)。 なんで男性なのか、女性ではいけないのか、とかモヤモヤするけれど、それはおいておき、それぞれが主張している。 ●大谷川橋梁…上路RCアーチ(1941年供用開始)完成当時、国内最長支間のアーチ橋 ●宮下橋…上路RCアーチ(1957年供用開始)福島県発注の現存アーチとして最古 ●新宮下橋…鋼製逆ローゼ(1989年供用開始)上記2橋に合わせてアーチ橋とされた   ちゃんと説明看板がある。展望スペースもある。ただし、墓地の中だ。 PR   吉野川を渡る三好橋。元は国道32号の橋として開通したものだ。昭和初期の建設時、国内最長の吊橋だったようだ。ケーブルが老朽化したが、補剛桁は大丈夫だったので、それを使用して桁下にアーチを構築、そのままにローゼ橋に改造された。   右岸側。親柱は、左は「みよしばし」、右は「吉野川」。左の親柱手前に記念碑がある。   記念碑。左はケーブル。     ケーブルは「東京製綱株式会社小倉工場 福岡県小倉市 大正十五年製造」の銘板とともに保存されている。   手前には2連の鈑桁。下は土讃線、その桁の向こうに見えているのが、吊橋時のアンカレッジだと思われる。主塔が、どの橋脚のところにどう建っていたのかは不明。   左岸。左の親柱は「三好橋」。   右の親柱は「徳島え七九粁」。   右岸の鈑桁下にある公衆トイレ。桜を見に来る人のため?   奥多摩の小河内ダム堤体直下に向かう奥多摩むかし道…というか、国道411号の旧道と現道を結ぶ道にかかるのが中山橋。現道は小河内ダム建設のために造られた道だ。この鋼アーチ橋(側径間は桁橋)は、その存在も特徴的だが、いくつかの見るべき特徴がある。 橋そのものについては『東京奥多摩町・青梅街道の昭和前期における橋梁の進展に関する研究』(紅林章央・前田研 一・伊東孝/PDF)に詳しい。   紅林氏によると、戦前の鋼製高欄が残るのは、この中山橋が唯一という。2スパン(とでも表現しようか)で1組となっていて、水平材をW型の鋼材がリベット留めされている。   部材はリベット留めだが、垂直材と上面の部材の上部はリベットの頭が削られている。   端部はこのような処理。   親柱は、一般的には石ないしコンクリートだが、この中山橋は鋼製。それを主張しているのか、取っ手の付いた鍋の蓋がかぶされているような意匠が施されている。側面のボルト頭も、いかにも鋼製だ。『トイレット博士』のサイボーグ化したスナミ先生のようだ(作品にも登場するそのご子息が、コミックス・ウェーブ・フィルムの角南一城氏)。   親柱は、東側左が「昭和十三年八月竣功」、右が前述写真のように「中山橋」。奥に見えるのは西久保トンネル。指で弾いてみると、左は中空の、右は中実の感触がある。右の蓋はボルトだが、左の蓋はリベットだ。右は改修が施されているようだ。     西側の左は、左側と同じく「昭和十三年八月竣功」、右は「なかやまはし」。   側径間は見えないが、全景。設計は成瀬勝武。この橋の特徴と、奥多摩の橋の成り立ちは、冒頭の論文をぜひご覧いただきたい。 豪雨当日、只見線の橋梁流失と同時に「二本木橋もやられた」という情報は割と早い段階で入ってきた。テレビのニュース等でやっていたのかもしれない。二本木橋については、歴史的鋼橋集覧にあるのでそちらをご覧ください。 流失前の写真が、金山町のサイトにある。 こうなったら、上路アーチはその付け根を直接水流に襲われるわけであり、流失の危険性は桁橋より格段に高いのだろうなと思う。 只見川は、川幅が広くなったり狭くなったりする。通常、極端に狭くなった場所を「銚子の口」などと言うが、この二本木橋は、そこまでではないものの、比較的狭くなっている部分に架けられている。 →国土画像情報より1976年の航空写真 現況、南側から。 左は商店、閉まっている。後ろにはスーパーがあり、開いていたのでペットボトルを買った。 流失したアーチがないか川を凝視したが、なにも見えなかった。 対岸から。 ここは国道なので、比較的早く復旧するとは思うが、それでも1年では無理だろう。それでも、ここが利用できなくても、ひとつ上流の四季彩橋を利用することで、会津大塩以東はJR只見線の代行バスが走っている。 (2011年10月2日月) ブログ「今日も疲れました」に、「ダム湖の船が流出し、それが河川の構造物にぶつかってダメージを与えた面もあるではないか(要約)」という主旨の記述がある。ぜひご覧いただきたい。 【関連記事】平成23年新潟・福島豪雨で被害に遭った橋梁群の記事 (金山町側) 西部橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 国道252号 二本木橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 田沢橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第五只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第六只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第七只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) (只見町側) 只見線 第八只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 小川橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 楢戸橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 万代橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 五礼橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 上記の場所に、「なんでこれが歴史的鋼橋集覧に収録されてんの?」と思ってしまう橋がある。 その秘密は断面を見ればわかる。 斜めから見る。 この改修がどういうものかというと、いまでも資料が残っているので引用する。   国交省のサイトより。 寸法もある。   国交省のサイト( 一般国道48号 熊ヶ根橋補強・補修)から。 左右に張り出すのだが、片側(東側、下流側)を車道、片側(西側、上流側)を歩道とする。車道幅は、6mから10.9mに広がる。旧橋は東側に歩道が張り出していたことが上の図からもわかる。張り出し方はこんな感じ。 なんか、歩道部分、三弦トラスに見えるんですが、ちょっと検索しても分からなかった。 この改修にあわせて橋台も改築された。銘板がある。 この橋についても、とくに発見はない。 なお、歩道からは仙山線の第二広瀬川橋梁が見える。こんな橋だ。 | 
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