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JR宗谷本線の雄信内駅。大正14年築の木造駅舎。玄関ポーチというべき駅入り口の上、二重に屋根が三角を描いているのだが、こういう様式となんというのだろうか。

向かって左の外壁とポーチの柱は更新されている。

窓は、客用スペースは木製窓枠のままで、事務スペースはサッシ化されている。


  ホーム側。一部、柱が更新されている。
待合室。出入り口は両開き戸。

向かって左はかつての切符売り場、右はかつての荷物用窓口。
ホームへの出入り口は引き違い戸。

待合室内はベンチが1列。煙突は、事務スペースから外に通じている。
 
 
ホームの光景。跨線橋はなく、構内踏切があるのみ。遮断機はない。いや、踏み板すら申し訳程度にしかない。

* * *

子供の頃、雄信内を「おのっぷない」ではなく「おのつぷない」だと思っていた。書物に掲載されるときにはルビがついているのだが、ルビに「っ」がなかったためだ。そして、そこそこ大きい駅…急行が停まる格の駅だと思っていた。しかし、いま1981年の時刻表を見ても急行は通過している。なぜそのように思ったのだろうか。いまは廃止になった「上雄信内」(当時は仮乗降場)を従えていたからだろうか。


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新潟県内にあるカプセル駅舎として、
カプセル駅 古津駅
カプセル駅 妙法寺駅
は知っていたが、この上下浜は知らなかった。偶然、1982年頃の本を読んでいたら見つけたので訪問した。古津駅とも妙法寺駅ともまた形が違う。規格があるようで、ないのだろうか?

  外壁が緑色に塗られているので、古津や妙法寺と印象がまったく違う。なんとも言い難い印象。

ホーム側。上部が半円形をしたドアが二つあり、左は半透明でトイレ、右は事務室の出入り口。向かって左側の妻部(というのだろうか)に屋根に登るハシゴがあるが、下記の許容積雪量140cmに対応しているように見える。

建物財産標
鉄 本屋03-1
昭和54年11月24日

施工者(株)大島組
構造 RC造 1F
基礎 布
屋根防水 シート防水 t=1.0M/M
許容積雪量 140CM
面積 45.0M^2

建物財産標を見ると、古津、妙法寺とも施工者も異なれば許容積雪量も異なる。簡単に「カプセル駅舎」などと括ることはできない。素人考えでは、いちいち設計していては、廉価にできないのではないかとも思うのだが…。

ホーム側から。

トイレ。ドアが半透明のアクリル(だろうか、確認をしていない)であることがわかる。内部は小便器と個室。

 
個室の土台が折れ線を描いている。入った右手奥にはさらに段になっていて、清掃用具が収められている。



内部。奥の窓は、窓口を設ける場合のための窓だろうか。窓の向こうに一部屋ある。






上越線の石打駅。ホームは2階に相当する高さの築堤上にある。駅舎の規模としては、乗降客に見合わないくらい大きい。旧六日町駅舎よりも立派だ。これは、運転関係の要員スペースがあるためだ。

きちんと活用されているのは、エアコンの室外機の数でもわかる。2階は五つの区画があるようだが、右端を除いた4区画には室外機が付いている。1階の庇上に八つ並ぶのは1階用だろう。

昭和43年築の駅舎は、学校のようにも見える。どこ…とはすぐに思いつかないが、その時代の鉄筋コンクリート駅舎の典型にも見える。もっともっと類型を集めたい。

桐原駅。コンパクト。この縦長の窓があると、公衆トイレの建築が同じ文脈だなと感じる。

ホームと駅舎の位置関係。改札をするようにはできていない、つまり無人駅の駅舎として建てられている。『国鉄駅名全百科』(昭和55年刊)でも無人駅のマーク。『国鉄全線各駅停車 中央・上信越440駅』では、改築前の木造駅舎の写真が小さく掲載されている。『日本の駅』(鉄道ジャーナル社)には「被管理駅・委託駅・無人駅」に分類されているので、昭和47年の時点で無人駅だったのかもしれない。

ホーム側に張り出している部分は待合室。向かって左側は事務室だが、事務室からホームに直接出る扉がない。また、駅舎妻面(といえるのだろうか)にあるドアは物置だろうか。事務室内部に階段が会ったら興味深い。

建物財産標がある。

建物財産標

本屋
03-1
昭和59年3月31日

施工者 日本営繕株式会社
構造 RC-1F (※鉄筋コンクリート1階建て、だろうか)
基礎 布
支持力・地耐力
屋根防水 ゴムシート(ア)1.2mm (※アスファルト、だろうか)
許容耐雪量 100cm
面積 ■m^2 (※なぜ塗りつぶしてあるのだろう)

待合室内。最初から無人駅として建てられたはずなのに。臨時窓口を設けたときのためだろうか。



ホームはかなり嵩上げしてある。現在は棒線だが、かつては写真左側にも線路があった。

現在の駅名標。

19742179.jpg1982年頃撮影の、かつての駅名標。この太い文字、いいなあ。アルファベットの全角感。

JR越後線の小島谷駅舎。粟生津駅舎と兄弟といえる。

粟生津駅については粟生津駅舎の記事参照。

この小島谷駅には財産標がある。

 左上が財産標、右上が銘板。ただし、経年でつぶれて読めない部分がある。

(左上)
建物財産標
…不明…
昭和46年10月5日

(右上)
施行 (株)植木組
面積 114m^2(に見える)
しゅん功 昭和46年10月

(下)
防水施工標
建物名称 本屋1号 屋根
防水材料 アスファルト防水、トーチ工法
施工月日 平成3年11月28日
保証期限 平成13年11月27日
請負者 東北工業(株)
施工業者 シマヅ防水(株)

植木組は柏崎に本社を置く東証一部上場のゼネコン。柏崎市に本社を置く唯一の一部上場企業だったと記憶する。

 駅をいくつか巡って飽きたのか、駅舎は正面からしか撮ってないし、内部も全貌がわからないようなカットしかない…。内部も粟生津駅に似ている。ただし、委託化・無人化はこちらのほうが遅く、昭和55年発行の『国鉄駅名全百科』(小学館/コロタン文庫)では有人駅、昭和58年発行の『国鉄全線各駅停車』では委託駅と表示されている。

wikipediaによれば、貨物扱い廃止が昭和46年11月1日。それとほぼ時を同じくしている。つまり、その要員が不要になってからの駅舎ということであり、実際はそれより前にすでに取扱いをしていなかったのかもしれない。(これは憶測、まったく根拠はない)


駅舎の事務室部分には運転関係の機器が置かれ、つながっているのかはわからないが黒電話がある。チラ見すると「17.8.9」という日付が黒板に書かれていた。wikipediaによれば、無人化は前年の平成16年(2004年)11月30日である。流しもあり、隣接して壁に換気扇があるが、その下にガスコンロがあったとするとちょっと不自然な位置。

配線は2面2線+貨物用の側線。貨物ホームは煉瓦積で一段低い…いや、旅客ホームが嵩上げされている。側線が遺されているということは、保線の車輌などが入ることがあるのだろう。

駅名標。

b8b86c82.jpg1982年頃の駅名標。貨物ホームはいまと変わらない。向こう側の建物の横にプロパンガスのボンベが見えるが、屋根の形や換気扇の位置からしていまは撤去されてしまった建物だろう。



跨線橋については別記する。


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