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備後落合の駅便2019

駅のトイレ

 
備後落合駅は、ほんとうに好ましい。バイクで立ち寄ったら、偶然、すぐに列車が来た。発着する列車は1日に何本もないのに。

以前、備後落合駅の駅便を書いたが、その記事の写真は2007年7月。それから12年経った。

 
12年前とほとんど変わらない。入口左の「便所」の看板が、なぜか上に「便所」と貼り付けられたくらいか。

 
12年前は内部を撮っていないので、変わったかどうかはわからない。この駅は元JRの方が自主的に清掃等をしているようなので、通常よりも清潔に保たれているに違いない。




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上白滝駅

上白滝駅

駅のトイレ


廃止が発表されている上白滝駅。wikipediaには「北海道でもっとも古い木造駅舎(要出典)とある。開業は1932年10月1日、以来改築はないが、下白滝駅は1929年8月12日、中越駅は1928年11月20日なので、その記述は誤りではないか。

 
この写真は『日本の駅』(1972年、鉄道ジャーナル社刊)より。この写真と比べると、屋根が葺き替えられ、正面向かって右側の窓付近が更新されている。右の木は無事に育っているが、左の木はなくなったようだ。

駅舎内部。奥が駅務室だったところだ。右に台があるが、これは荷物窓口の跡。左に切符売り場があったはずだが、埋められている。宙に浮いてるパイプは駅務室から、待合室を横切って妻側に抜ける煙突。

 さて、本題は駅舎ではなく、向かって右に並んでいる駅のトイレ、「駅便」である。

 
出入り口はアルミのドアになっているが、こんな木造の小屋にドアはおかしい。屋根を見ると、中央部が出っ張っている。これきっと、本来はこのドアはなくて開放式で、その前に衝立があったに違いない。こういう感じに、だ。


20120304_001.JPG
(水郡線下菅谷駅)

ホーム側も同じ構造だったようだが、出入り口は塞がれている。


 
ドアを開けて中に入る。真正面には、塞いだ跡。男子小用は、壁があるだけ。個室は二つ、窓が円い。右の窓に書いてある文字は剥げて見えないが、かろうじて「きれいに」だけは読める。

 
個室のドアには内張がない。補強が丸見えだ。個室の便器の前後長が短い。とてもきれいに清掃されている。もっとも、使う人は皆無かもしれない。

振り返ると「清潔清掃」。もう何十年、ここに貼ってあるのだろうか。無人化は1983年。

天井の電球は、白熱灯型蛍光灯か。碍子と、裸の電線が現役だ。屋根は雨漏りがあるようだ。

以上、トイレはとても狭いので、写真が見苦しいのはご容赦いただきたい。



このトイレもあと半年の命。取り壊されてしまうかもしれない。周辺は、この駅の両側や駅前を含めてそこそこの戸数があり、人の営みがある。子供がいて通学需要さえあれば…というところだ。










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深名線鷹泊駅跡

駅のトイレ


1995年に廃止になったJR深名線の沿線には、駅舎が残っている駅がいくつもある。そのひとつ、鷹泊駅の現況。

駅舎に向かって右に、つぶれた建物がある。これは駅便だった建物だ。

1991年、北海道ワイド周遊券で初めて北海道に行ったとき、始発の深川発の列車に乗った。ところが大雨のためにこの鷹泊で運転打ち切りとなってしまった。たしか駅には30分かそれ以上、停まっていた気がする。その間、このトイレも使ったに違いない。崩れた部材を避けたりすることはしたくないので、見える部分だけ見た。

振り返れば駅前通。左の建物は車庫になっていて、地元の会社の道路パトロールカーが出入りしていた。周辺にはもちろん人も住んでいる。

さて、駅舎本体。
駅舎内部は倉庫として使われているようだ。向こうは改札口、写っているのは私…。荷物窓口の台もきちんと残っている。こんな駅舎を手に入れ、ここにバイク乗り入れられる別荘にしたい…。

窓は二重窓。内側は木桟のままで、外側のみサッシに更新されている。中には畳敷きの部屋がある。もうずいぶん使われていないようだ。


 
線路側はススキが茂っている。その向こうは蕎麦畑。差し掛け屋根が一部、崩れそうになっている。時間の問題かもしれない。





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善宝寺駅の駅便

駅のトイレ

庄内交通湯野浜線の善宝寺駅は「善宝寺鉄道記念館」となっているが、閉鎖されて久しい。美しかっただろうホームは雑木に覆われ、庭には雑草が生い茂っている。その庭部分に、トイレだっただろう建物がある。外観からの推測であり、実際にトイレだったかどうかはわからない。

記念館前の広場から柵越しに撮ったもの。奥がホームだ。ホームに対し反対側=駅前広場側に入口たる衝立がある。その衝立も、落ち葉などのせいか、圧迫されつつある。

窓越しに内部の様子を推測すると、天井に蛍光灯が見えるので、こちらは男子小便器か。

天地方向のパイプは建物の基礎から飛び出しているので、きっとこちら側が個室であり、このパイプは換気扇だろう。


検索しても、現在の記念館、いや記念館跡の写真ばかり出てきて、庄内交通現役当時の写真は「電車の写真」ばかり。駅舎や周辺を撮ったものがない。RMLでも見てこようか。


spcl.thnx 丸田祥三さん



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長野原線太子駅(廃駅)の駅便

駅のトイレ


いまのJR吾妻線は戦時中に群馬鉄山からの鉄鉱石輸送のために敷設された路線だ。長野原から北へ6km弱、太子(おおし)駅まで専用線が伸びていた。戦後、旅客輸送もなされたが、1970年には休止。以後45年経ち、かつてのホームととともに「駅便」が残っている。この駅便は公衆トイレとしていまも使われている。

男子用の朝顔が三つ。しかし、旅客営業していた当時でさえ三つも必要だったのかどうか。

個室には小振りな便器。清掃が行き届いているということは、放置でもなく、誰も使っていないわけではないということ。木桟の窓が少し開いていた。


天井の電球は取り外されていた。配線は剥き出しの銅線か。


 太子駅全景。左が道路で、そのさらに左の山越しに、鉄鉱石がこのホッパーまで来ていたようだ。連れて行ってくださった丸田祥三さんによれば、このホッパーはつい去年まで半分以上は土に埋もれて木が生い茂っていたそう。それが、きれいさっぱり土砂が取り除かれている。「数十年かけて積み重ねてきたもの」を除去してしまったということだ。

いままでの「時間の積み重ね」に思いを馳せるためにここに来ていた人たちは、おそらくもう来なくなるのではないか。もっとも、土砂の除去は小ぎれいにするためなのか、あるいは別の理由…たとえば危険性の除去なのか、私には分からない。



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兜沼駅のトイレ

駅のトイレ

兜沼。勇知、抜海と並んで、はるか遠くの北の大地に思いが飛んで行く駅名・地名。これが駅正面。変形マンサード屋根…というのはいささかこじつけか。入口真上のマンサード屋根の向かって左側はダミーだろう。

ホーム側から見ると、見事に左右対称…いや、右端にトイレのドア。

正面からシチサンで。真横から見てもマンサード屋根。真横から撮っておけばよかった。真上から見るとかなりおもしろい形だろう。

建物財産標。


待合所1号
昭和63年10月31日

 さて、トイレ。ホーム側から入れるようになっている。汲み取り式。きれいだ。トイレットペーパーもある。






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変身した貨車駅 勇知駅駅舎

駅のトイレ

  車掌車を改装して駅舎とした駅は多いが、この勇知駅の駅舎はとてもきれいな形に改装されている。前面をアルミ材で覆い、内装もデコラを貼っている。駅周辺はそれなりの規模がある集落で、人が住んでいる=利用者がいる、ということが、こうした改装を実現した理由かもしれない。

清潔に保たれた内部。窓は種車のとおり二重窓。奥左は用具入れ、右がトイレ。かつてのデッキをつぶし、車室とつなげている。

トイレ。ユニット…ではなく、現物あわせで作ったものだろう。このような駅でトイレットペーパーが備えられている。また、利用者がいるというのも失礼ながら驚きだ。

入口側を見る。

勇知駅のかつての姿はwikipediaに掲載されている。周辺の鉢植えと合わせ、生まれ変わったと言っていい。
(Mr-haruka GFDL)



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抜海駅 駅舎の増築とトイレ考察

駅のトイレ

宗谷本線抜海駅。正面および玄関付近の外板が更新されている。牛山隆信さんのサイト『秘境駅へ行こう!』での2002年のレポートではまだ板張りだ。

しかし、『日本の駅』(鉄道ジャーナル社刊、1972年)ではこのような形で掲載されている。中央部分を凹ませたのか、向かって左を出っ張らせたのか。屋根も外板も更新されているので、羽目板の数を数えても意味がない。遠近感の印象からすると、向かって左を出っ張らせているように見える。

更新された部分の窓。二重窓で、内側は木の桟の三段窓。ということは、ここが当時のままか。

対して、向かって左の出っ張り部分の窓。木枠ではあるが、本来はここも上と同じ木桟の三段窓だったはず。ということは、やはりここを増築したものか。

* * *

入口の雪切り室入って右に木の戸がある。ここが便所だ。左の赤い戸は待合室への入口。

冒頭の駅舎の姿の比較でもわかるとおり、ここに便所を配置したのは増築時だろう。増築は1972年以降ではあると思うのだが、その作りは民家のようだ。公共施設の建築らしくない。

ガラガラと戸を開けると、そこには朝顔と個室。もちろん清潔。個室の便器の前には「もっと前」。現代の感覚からすると、便器にまたがるときの前後が狭すぎる…。

* * *

待合室への戸はなぜか赤。周辺の壁の腰板は水色。

待合室内部。右が入口で、両開き戸。足ふきの位置…とでもいおうか、そういう雰囲気の床の位置が戸とずれている。左はホームへの戸。

反対向きに。右、ホームへの戸は引き違い戸。

奥左はかつてのきっぷ売り場、右は荷物用窓口。


 
線路を渡って駅舎背面。差し掛け屋根の下は雪切り室。左側の窓枠は木桟のまま、右の2連のみ更新済み。

  上は駅舎側(下り線)の駅名標、下が対向するホーム(上り線)の駅名標。上は新ゴ、下はゴナ。つまり下のはJR化時に架け替えられたもの、上はその後更新されている。

出版業界では2005年ころはまだゴナのような写植書体も使われていたが、DTPの普及とともに急速に新ゴで代用されるようになった。こうしたころから更新の時期もなんとなく類推できる。








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小木ノ城駅のトイレ

駅のトイレ

 
越後線の小木ノ城駅。延長されたような待合室と、とってつけたような風よけつきのホーム上屋。JR東日本にはあまり見ないタイプだと思う。長電ならこういうのがありそうな感じ。

建物財産標があった。

建物財産標 

待合所
05-1
昭和33年9月 日

施行者
構造 CB造 平屋建
基礎
支持力・地耐力
屋根防水 陸屋根
許容積雪量:80cm・除雪基準積雪量:80cm
面積 17.3M^2


その飢えには防水施工標。

建物名称 待合所1号 屋根
防水材料 アスファルト防水.トーチ工法
施工年月日 平成3年9月24日
保証期限 平成13年9月23日
請負者 東北工業(株)
精工業者 シマヅ防水(株)

ホームへの出入りは、その外側の通路周辺の雰囲気は、まるで道路のスノーシェッド周辺。突き当たりに見えるのが駅便。

 
このヒビの入り方は、コンクリートブロック積みだろうか。冒頭の待合室も「CB造」である。汲み取り式で、なぜか臭気抜きの配管が真上ではなく屋根下を這ってオフセットされている。

 
窓枠は木。プレーンの木のように見えるが、水色の塗装が残っている。新築当初はこの水色がモダンな印象だったに違いない。外装がいまと同じ塗色だったかどうかはわからないが。

さて、内部。入口から向かって右手に男子小用が3、左手に個室。男子小用は1980年代頃まではよく見かけた便器のないタイプで、立ち位置下部に舌状の彫り込みがある。女性はこうしたトイレを見慣れないかもしれないが、いまでも、男子小用便器の下のこの位置だけ金網になっているトイレもある高速道路の小さなPAなどでも見る。

窓枠の水色は、室内側にはきちんと残っている。

そして個室。個室の柱も水色に塗られている。扉は、まるで当時の家庭用の扉のような薄い合板製で、木目の壁紙が貼られている。把手は回転式のノブではなく「把手」である。内側には凸があり、それがバネでひらく二つのローラーの間に挟まるタイプ。それが二組ついている。戸棚などではよく見るので写真を撮らなかったが、部品の名前を知らないので写真を撮っておくべきだった。

  個室内部。清潔に保たれている。便器の汚れはホコリである。右隅に物置がある。木枠の窓の鍵はねじ式だ。




西日野駅の駅便(三重県)

西日野駅の駅便(三重県)

駅のトイレ

近鉄八王子線。軌間762mm、存廃に揺れたこの短い線の終着駅がこの西日野駅だ。

ホーム週間に駅舎が立ちはだかる。そしてその前に、駅便。

コンクリートブロック造り。

小便器。こういうトイレでも、バリアフリー対策として手すりが設けられているのだが、そもそも段差があるから車椅子は無理で、これはもっぱら松葉杖とかそういう人向けであるに違いない。

個室にも手すりが! もちろん汲み取り式だ。





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