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いよいよ『廃道 棄てられし道』が刊行される。いままで取材のレポートをここで書いたり、校正紙のチェックの様子をツイッターに書いたりしていたが、改めて本書の企画から刊行までを、時系列に沿って綴ってみたいと思う。


また、11月20日(日)には、丸田さん、栗原景さん、私で、新宿のNaked LOFTにおいて、本書に関するトークイベントを開催する。詳細はこちら。入場料1000円+飲食代ですので、ぜひご覧ください。


●夜明け前…『廃道本』
 
haido-bon.jpg2008年11月、『廃道本』刊行。『山さ行がねが』の平沼義之氏に持ちかけ、WEB同人誌『日本の廃道』の編集長である永冨謙氏をご紹介いただき、おふたりにご執筆いただいた本。おかげさまで大好評のうちに、在庫僅少となっている。
 
この『廃道本』では、巻頭に、永冨謙氏撮影の美しい廃道グラビアを設けた。そこを膨らました本を作ることができないか、ずっと考えていたが、それだけの写真集では、商業的に成功するか疑わしい。廃墟趣味と異なり、廃道趣味・道路趣味は「趣味的に写真を撮る」というほど写真とはなじんでいないからだ。そのまま、1年半が経過した。









 
●丸田祥三氏との出会い
 
2010年4月22日。丸田祥三氏の『風景剽窃裁判』の判決があった。友人の栗原景氏やO(オー)プロジェクト『軍艦島全景』やiPhoneアプリ『軍艦島黙示録』の制作者)の西田信行氏が傍聴したことを知った。この裁判のことは知っていたし、丸田氏のことは、氏の初の写真集『棄景』(1992年)から知っていたので、twitterにそのようなことを書いたところ、丸田氏ご本人からリプライをいただいた。それが、この『廃道 棄てられし道』の始まりだった。
 
後日、ざっくばらんにお話をしませんか、ということになり、お目にかかった。そのときは、すぐ仕事に結びつくわけではないけれど…とお互いに思いつつ、私は、まだ誰も見たことがない丸田さんの作品でなにかできないか…と思い始めていた。まだ誰も見たことがないものが、きっとあるはずだ。それは、秘蔵のものかもしれないし、新しいモチーフかもしれない…。

その頃、平沼さんとも、なにか企画ができないか…と話を重ねていた。そこで、閃いた。廃墟、廃線跡など「棄てられた風景」を撮り続けてきた丸田さんに、「廃道」を撮っていただいたら、ものすごいものができるんじゃないか…? あの色彩、あのパースで隧道が迫ってきたら。一見、どこの何を撮っても同じにしか見えない藪も、丸田さんの手にかかったら、ものすごい表情を与えられるんじゃないか。そう思って、丸田さん、平沼さんにそれぞれもちかけると、おふたりからは前向きなお返事をいただいた。
 
●企画にゴーサイン、そして取材へ
 
すぐに企画書を書き、2010年7月から8月にかけて社内で検討を重ね、9月始めに、正式にゴーサインが出た。この時点では、3月ころの刊行を念頭においていた。
 
そしてすぐ、9月16日に、平沼さんと丸田さんの顔合わせを兼ね、実際にどこに撮影に行けばいいのかの打ち合わせを持った。私も『山さ行がねが』を参考にいくつかの廃道を訪問しているが、実際に「その廃道」のすごさを熟知しているのは平沼さんである。平沼さんのアドバイスを聞きながら、ここは日帰りで続けて回れるね、ここは道路のすぐ脇だよ、ここに行くなら1泊だね、などという話を積み重ねた。そして、まず最初に、丸田さん、平沼さん、私の3人で、伊豆の廃道に取材に行こうという話になった。
 
打ち合わせの途中で、丸田さんが「そういえば、このへんにも廃道がある」と言いだし、そこに連れて行ってもらった。通称、緑山サーキット。かつてはバイクの走り屋がコースとしていたところで、慰霊の花などもある。
 
打ち合わせ後、平沼さんと私宛に、丸田さんからメールで写真が届いた。「撮りに行ってきました」。その、丸田さんが改めて平沼さん流の「廃道」を意識して撮影した初めての一枚が、本書のラストを飾る標識の作品である(丸田さんは、過去にも廃道をいくつも撮影している)。平沼さんも私も、その作品を見て、成功を確信した。
 
取材の予定を9月24日(金)としたが、あいにくの雨天だったので27日(月)に延期した。しかし、27日も、朝から大雨で、伊豆に向かうにつれ、徐々に晴れてきた。当日の様子はこちら。
 
丸田祥三氏×平沼義之氏
 

●その後…取材の日々
 
12月頭にかけて、取材が続いた。丸田さんからは、取材の都度、作品を送っていただいていた。もちろん、撮影したすべてをお送りいただくわけではなく、丸田さんのセレクトで候補に昇らなかった、陽の目を見なかったカットもたくさんあるはずだ。
 
取材は、丸田さんが、平沼さんのサイトなどを参考にしてお一人で行ったものもあれば、土曜・休日を利用して、私もお誘いを受けて道案内を兼ねて同行した道もある。三連休を利用して関西にも行った。本来の(?)私の仕事はディレクションなので、普通ならすべての取材に同行するようなことはないのだが、取材に行くのはとても楽しいので、「遊び」として嬉々としてついていった。そのうちのいくつかを、レポートしている。
 
廃道取材(2) 南東北
廃道取材(3)都内周辺
廃道取材(4)中部・近畿
廃道取材(5)東北
廃道取材(6)山形県道250号を例に
廃道取材(6)奥多摩(←番号が間違っています)
廃道取材(7)稲又川橋(仮)<廃橋>
 
丸田さんの撮影とは別に、平沼さんとは、どういう文章を掲載すればいいかという話し合いを続けた。そして、丸田さんの考え方のひとつである「作品は本来、無記銘である」ということが道路にも言えることに気づき、その方向で原稿を書いていただくことにした。


●作品をまとめるということ
 
丸田さんからお送りいただいた作品は、のべ163点。この中には、同じ構図で表現の方法を変えた作品もあるし、残念ながら掲載を見合わせたものがあるが、それらをどうまとめるかが、次の大きな課題となった。写真集は、単に作品を並べればいいというものではない。その並び順が命。これは、雑誌の巻頭グラビアも同じ。セオリーはあるが、正解はない。(『Fの時代』と『Cの時代』参照)
 
20111104-999.jpg12月下旬から、膨大な作品を前に、丸田さんと私とで構成の検討をはじめる。はじめは叩き台すらなかなかできなかったが、作品1点1点をハガキ大にプリントしたものと並べながら、なんとかひとつの案ができた。2月に入ってからのことだった。

 
●祖父江慎氏と
 
同時に、ブックデザイナーの祖父江慎さんにコンタクトを取る。祖父江さんは、出版に関わる者なら誰もが知っている方。写真集も多く手がけられ、製版・印刷への知見は、並の印刷所の方々よりもはるかに深い。「祖父江さんがご担当」というだけで、大手印刷所が襟を正して緊張した仕事をする、というほどの方だ。祖父江さんとのお仕事は、丸田さんの念願でもあった。
 
私も装丁家ときちんと仕事をするのは初めてなので、緊張しながらお電話をしたのが1月下旬。しかし、時期的に祖父江さんが相当お忙しく、お目にかかれたのは2月下旬。祖父江さんは丸田さんの作品にとても興味をもっておられ、幸いにもお仕事を受けていただけることになった。
 
●以後
 
以後、プリンティング・ディレクター(PD)さんの選定、PDさんを交えての打ち合わせを重ねた。展開案も、祖父江さんから「こうしたらどうでしょう?」とまったく新たにご提案いただいたり、それに意見を重ねたりして、徐々に固めていった。7月、ようやくテスト入稿にこぎつける。印刷するのに難しい色彩の作品を中心に、実際に製版してもらうのだ。その数、11点。その結果を見て、製版の方向性を改めて打ち合わせることにした。結果的に、祖父江さんも驚くほどのすばらしい製版が実現した。
 

ここで、トークイベントでもたびたび触れることになると思うのだが、印刷について簡単に書く。
デジタルカメラで撮影されたデータはRGB(減法混色、バックライトあり)。印刷はCMYK(加法混色、紙の色の上に色を重ねる)。これをご存知の方は多いと思うが、総じてRGBの方が CMYKより多くの色を表現でき、鮮やか。細かく説明することはしないが、丸田さんの作品はCMYKで印刷しづらい鮮やかさのものがとても多い。それを、 CMYKでどう表現するか。きれいな青、きれいな緑。『廃道 棄てられし道』のカバーは、実は、かなり表現しづらい色であるが、それが美しく出ているのは、プリンティング・ディレクター・Yさんの力量にほかならな い。
 

以後の詳細は、とくにトークイベントで話すことになると思うので、おおまかに。
 
5月11日(水) 平沼さん脱稿。
(祖父江さん、丸田さんと、展開についてや、校正についての打ち合わせ続く)
7月20日(水) テスト入稿。色味の再現が難しそうな11点を先に入稿し、製版してもらう。
8月3日(水) 先行入稿分が出校。チェック。素晴らしい製版に、一同、笑み。
8月25日(木) 入稿。祖父江さんから作品一点一点について「ここをこう」と指示をいただきながら、PDさんにお渡しする。
9月20日(火) 初校チェック。平沼さんのページは、平沼さん・私の上司・私で校正。

20111101_0920_1stR2.JPG(左から、祖父江さん、ご一緒にデザインされた福島さん。右手前がPDのYさん、奥が大日本印刷の担当・Aさん。右下、丸田さん切れてごめんなさい!)

10月4日 再校チェック。一部、念校を出す指示。平沼さんのページは、平沼さんに校正をお願いしていたものを受け取り、再入稿の形となる。

20111101_1005_2nd3.JPG(再校の仕上がりに大満足!というのがわかる、校了紙へのサイン)

10月17日(月) 念校を出す前のチェック。解決せず、作業続行。
10月18日(火) 念校を出す前のチェック続き。ようやくOK。
10月20日(木) 祖父江さんの事務所で念校確認。カバーも含めて校了。

20111101_1018_cover_1st1.JPG10月28日(金) 表紙、カラーページについて印刷立ち会い。印刷機の前で、丸田さんとPDさん、私で、「刷り具合」を細かく指示しながら印刷。幸い、12時間で済む。
 
そして、
11月9日(水) 見本(予定)。
11月16日(水) 配本(取次=問屋に搬入)。翌日以降、書店店頭で発売。















入稿から校正が出るまで、時間がかかっているように見えるかもしれないが、これは、さまざまな場所にスケジュール的なクッションを挟んでいたためだ。写真 集のようなものを、ギリギリのスケジュールで進めても絶対にいいことはない。製版、校正刷、そういうことに、じっくりと時間をかけていただきたくて、このように段取りをした。平沼さんには、脱稿から本の完成まで、半年もお待たせしてしまった。これについては、大変申し訳なかったと思っているが、丸田さんのページの仕上がりが最高のものになったということで、ご容赦願いたい。



丸田さんは、これから、産業編集センターから重松清さんとの共著を、また、とある出版社から単独で写真集を刊行する予定がある。平沼さんは、また別の出版社から書籍を刊行するだけでなく、さらに別形態の廃道のコンテンツをリリースする予定だ。本書が、おふたりの「これから」のお仕事の一発目として、大きく開くことは、疑いない。本書が、これからのおふたりのお仕事に新たなインスピレーションを与えるものだと、ぼくはそう信じている。



『廃道 棄てられし道』は、11月17日(木)頃から書店店頭に並びます。ジュンク堂新宿店では、廃道Tシャツ等と並んで置いていただけると思います。ぜひ、私たちの思いの結晶を、お手にとってご覧ください。
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