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富士川沿いの国道を避けて県道を走っていたら、3色のVの字が見えた。共同石油だ。サービスルームはいまでも使われているようだ。

2階のベランダがV字型を描いているのは、決して「落ちている」のではない。こういうデザインだ。その証拠に、1階の窓、これはきちんと上辺が斜めになっているし、ベランダの手すりも平行四辺形になっている。V字の底からは雨樋が地面に落ちる。クリックするとflickrに飛ぶので、そこで大きな画像で確かめて欲しい。

JOMOにもなっていないので、すでに閉鎖されて久しいはずだが、日影側となる壁面は白塗りもあまり剥げず、ストライプもあまり褪色もせずに残っていた。

壁の「外側」にGマークが残っていた。

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 中垪和簡易郵便局の近くにあった農協施設の一角に、JOMOが生きていた。建物は事務所のようだ。

レギュラーのみ。

木造二階建ての事務所建物のディテールとして。背面には補強としてコンクリートで控え壁が取り付けられている。

窓ガラス。昔はこういうガラスをよく見たが、いまではレトロ扱い。

このような位置に農協倉庫が隣接する。

倉庫は、表からは長手方向を道路に向けているように見えるが、実はL字型で、背面には奥行きを軸方向とするもう一棟がくっついている。こちらにも扉があり、荷役用の屋根がかかる。


広島県北の県道沿いに、小さな給油所の跡があった。敷地内に入ったら、一度切り返してバックしないと軽量機につけないような敷地。軽量機を覆うばかりのキャノピー。小さいながらもピットも備えたサービスルーム。しっかりと敷地を囲う防火壁。現役時代はさぞかしすてきな給油所だっただろう。たとえJOMOの、あの緑の意匠にくるまれていたとしても。

複雑に入り組んだ谷筋の一角が、少しだけ開けた集落になっている。そこに、白くなってしまった給油所があった。閉店してまだ間もないのか、敷地内はとてもきれい。自動洗車機も使えそうだった。

壁を見ると、JOMOの、なんともいえない□○○□が見えていた。ENEOSにならずに閉店したのか。JOMO、ということは。

共同石油のマークを見つけた。

野尻水路橋の近くに、こんな壁があった。おそらく「向こう側」のENEOSは以前はこちら側にあったのだろう。

このENEOS、以前は当然、JOMOだった。少し前の地図を見るとそう書いてあるし、gogogsを見るとJOMO時代の写真が出てくる。それでも、20年以上、ここにこうして共同石油のトリコロールが残っている。いや、おそらく残してある。



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