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ESSOなのかENEOSなのか。 貯蔵庫左にはクルクル王子様が見える。

この「向こう側」にはESSOの計量機や可搬式計量機が置いてあった。柵の中なので塗装等を確認できなかったのが残念。



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ほどほどの集落の中に、白くまぶしい壁があった。見ると、ESSOとある。

とはいえ周辺は土地には不自由がなさそうな、広い郊外。その中で、このこぢんまりとしたESSOがいささか奇妙だ。敷地は三角形だ。

となると、おそらく、当初はもっときちんとした敷地で営業していたものが、道路の拡幅等で敷地が三角形になってしまい、それが直接か間接かの原因となって給油所をやめた…などというストーリーができてしまう(これは私のあてずっぽうである)。

サービスルームの屋根に残るESSOのマーク。もうほとんど消えかけている。



20120928_999.jpg群馬・長野県境である渋峠に建つ「渋峠ホテル」。建物の半分が群馬、半分が長野で、外壁の塗装も異なっている。玄関も両県にまたがっているので、両県から課税されていることだろう。

この渋峠ホテルが、ESSOの給油所を持っている。サイトによれば、春から秋のみの営業らしい。

20120928_001.JPG青空給油所。

20120928_003.JPG惹かれるのは、防火壁に描かれたESSOのロゴ。

20120928_002.JPGサービスルーム側には、行灯と並んでいる。

20120928_005.JPGサービスルームを拡大。「給油の方隣のホテルまでお越しください。」。計量器は「ESSO DIESEL」。

20120928_004.JPGこちらの計量器は、レギュラーとハイオク(suprex)。いまは「シナジーF-1」と言っているものだ。

渋峠ホテルのサイトには「おそらく日本で最も高い所にあるガソリンスタンドかもしれません」という一文がある。間違いないだろう。


ところで、渋峠は2172mではないかと思われる方もいると思う。国道292号に建つ石碑にもそう書いてある。そのからくりは、県境であり「渋峠」の標識のあるここは標高2152mだが、実際には少し南にいったところに標高2172m地点があり、そちらのほうが標高が高いのだ。標高が最も低くなる鞍部はこの渋峠2152mなので、「余計に20m上り下りしている」ことになるというわけだ。


 
20120923_001.JPG上信越道の藤岡ICを下りてR17に向かおうとしたら、いきなり対向車線に円形キャノピーが現れた。すぐ先でUターンし、クルマではなくガソリン携行缶に給油してもらった。

20120923_002.JPG道路と並行して、ふたつの円形キャノピーがある。しかし、少し位置がずれている。冒頭の写真には「原付」と書いてあるので、この写真の奥、円形キャノピーを改造したような大型のキャノピーがメインのようだ。

20120923_000.JPG「え? キャノピー? 古いよ、こんな古いの撮ってどうするの?」と給油所の方は言っていたが、なにを言いますか。「いや、これ以上かっこいいキャノピーはないですよ」とかなりの知ったかぶりで答える。

サービスルーム側のキャノピーは長方形の屋根がかけられているが、これは最初からなのか。(後述)アイランドやサービスルームの配置からすると、最初からなのだと思うが…。

古い航空写真を見ると、1983年までのものには影も形もない。ところが、1984年から1986年にかけて撮影したものを見ると、この長方形が見える。ということは、建築当初から、この形なのであった。でも、1984年??

* * *

同日追記:
ガソリンスタンド・ノートのsgmさんから、長方形の屋根がかけられたほうは、後継の「ペガサス21形」であるとのご指摘もいただいた。つまり、「古い」円形キャノピーと「新しい」円形の名残を残しつつ長方形にしたキャノピーが同居しているのだ。その理由についてもおもしろい洞察をいただいた。敷地の形状の都合でこの配置となり、かつ手前(円形キャノピー側)はバイク、奥がクルマとなるように誘導したいのではないかというものだ。なるほど。

敷地の都合…については、前述したものをちょっと詳しく航空写真で変遷を追おう。藤岡ICの供用開始は1980年(昭和55年)、この給油所が建つのは群馬県道13号、片側2車線・中央分離帯のある道路で、藤岡市街をバイパスする形になっている。

●1974年(CKT7418-C38-14
20120923_1974.jpg真上をまたぐはずの上越新幹線の高架橋はまだ姿が見えない。

このMobilが建つことになるのはほぼ中央部。左右に伸びる太い道(現在と同じ形をしている。市道だろうか)のほぼ中央部から右斜め上に伸びている建設中の道路が現在の群馬県道13号で、その逆T字形交差点の右カドが、このMobilの敷地だ。

●1980年(CKT-80-1
20120923_ckt-80-1_c12_11.jpg6年で大きな変貌を遂げている。上越新幹線も、県道13号もできている。Mobilができるべき場所は、まだ更地だ。写真の範囲外(下)だが藤岡ICはすでに開通している。

●1986年(CKT-86-1
20120923_ckt-86-1_c12_10.jpg前述した「1986年からのもの」というのがこれ。青い長方形の屋根も、白い丸い屋根も見える。このMobilが開業したのが、1980年から1986年の間だということだ。

そこで、追記冒頭の考察となる。キャノピーの意匠が変わる過渡期、もしかしたら完全に移行したあとに、移行前後の両方が設置された。ということは、(ほぼ)最後に設置された円形キャノピーである可能性がある。開業年は…再訪して訪ねるしかあるまい。

※航空写真3点は「航空写真画像情報所在検索・案内システム」を利用した。航空写真はトリミングした。

「モービロイル」という表記(1)の続き。

20120707_001.JPGこの壁の向こうはプロパンガスのボンベ置き場というか捨て場というか、向かって右側の清潔さとは対照的に、雑草に覆われていた。給油所側と同じく「宮下燃料」という名前が掲げられていたので、関連施設なのだろう。

その前が空き地になっていたのでそこにクルマを停めて写真を撮っていたこともあり、こちら側はあまり撮っていない。いま、猛烈に後悔しているが、少しだけ。

20120708_001.JPG「モービル」

20120708_000.JPG「ガス」。

右には赤いペガサス。


ここにクルマを停めていたのだが、帰り際にふと見ると、そこにエロ本の自動販売機があった。道行くクルマは「練馬ナンバーのクルマが国道沿いの自販機でエロ本を買ってるな…」と思って見ていたに違いない。

* * *

前回の記事に対してg_stand さんか らいくつか貴重なご指摘をいただいた。「モービロイル」の壁は、よく見ると「ル」のあたりに「es(so)」と見えている。つまり、防火壁は短縮されているうえいに、モービルからessoへ、またはその逆のブランド替えがあったことになる。これに私は気づかなかった。なんというザル。

また、この「ル」から直角に、つまり道路と並行にコンクリートブロックが積まれている。私はそれを「エロ本の自販機隠し」だと思ったのだが(当日にそう思ったことを、いま思い出した)、それはおそらく道路拡幅の際に防火壁にさわったためと思われる。……

いつもながらの貴重なご指摘に感謝いたします。
 


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