清水国道開通時に架けられた「鷺石橋」をルーツとする旧橋
国道120号が利根川を渡る区間にある旧橋。現在の鷺石橋は1970年(昭和45年)に架けられたもので、その隣りに古い2連のプラットトラスが歩道橋として残されている。それが、今回紹介する鷺石橋である。 形状としては、端柱のないガセット結合のプラットトラス。 写真は利根川右岸側(橋の南西側)。手前(画面右)、橋の路面の高さと現在の路面の高さに大きな差がある。歩道橋とはいえ、かなり強引に接続している。 その、南西側。 手を伸ばせば届くような位置に、橋門構がある。路面は階段状になっている。 ざっと渡って北東側。 手前にクルマが停まっているのが残念だ。 よく見ると、トラスの手前にコンクリート製の橋が見える…? 横から見ると、こんなコンクリートアーチ橋が架かっていた。親柱がある。 左。 前橋まで三十四粁 右。 <さ>=消えてる <ぎ>=消えてる (以)=い (志)=し (者)=ば (し) それにしても、この親柱の冷遇っぷりはどうだ……。 トラスに近づき、見上げると銘板がある。 プラットトラスは、斜材が逆ハの字型になり、中央部分は交差するようになっていることが多い。この鷺石橋は、交差する斜材をボルトで結合している。ピントラスの場合はここにピンがjはいることがある。 また、この写真でわかるとおり、レーシングは目が粗い。 2連の桁が向きある部分。 この、向き合った部分の支承をのぞき込むと… 連結されていた。これは地震対策かもしれない。 また南西側に渡り、支承を見る。 ピン支承。 渡りながら、ふと上流側の真下を見ると、こんなものがある。 明らかに、さらに古い橋の橋脚の痕跡。通常、こういうものは河川の流れを阻害するので、相当きれいになるまで除去を求められるのに、なぜ残っているのだろう? サイト「産業技術遺産探訪」さんでは、1885(明治18年)に清水国道として木製トラス橋が架けられたときの橋脚だと結論づけている。「1896年(明治29年)7月の利根川大洪水で流失してしまいました。」とある。しかし、トラスを木製にする時代に、ここまでの立派な石造りの橋脚を用意するものだろうか? また、 1929年(昭和4年)に下流側に「鋼プラットトラス橋」が竣工しました。」 とも書かれているので、1896年から1929年まで、この地に橋はなかったのだろうかという疑問が湧いてくる。 木製トラスを第1世代とすると、この橋脚を使っていたのが「第2世代」、今回紹介しているプラットトラスが第3世代、そして現役の国道120号の橋が第4世代となる。この橋脚は第2世代のものではないか…と考える。第1世代は時代的に写真が残っている可能性はかなり低いと思うが、第2世代はないこともなかろう。『ぐんまの橋100選』を見てみたいと思っている。 歴史的鋼橋集覧のページはこちら。 PR |
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