先日、駅改築による駅前広場の出現というポストで、鉄道路線の高架化で駅舎が改築され、さまざまなものが失われたことの例を、小松駅、東舞鶴駅、西舞鶴駅について書いたが、ここ糸魚川駅もまたそうなる予定である。しかし、いまはまだ、駅が駅らしい存在感を持っている。率直に言って、その存在感に驚いた。糸魚川駅と言えば、駅裏(あえて「裏」という)にあった煉瓦造りの矩形機関庫が取り壊されたことが話題に上るが、私はそっちよりも表側に関心を持った。 1957年(昭和32年)に改築されたという現駅舎は、向かって左手、分度器みたいな屋根の下が待合室。その右、白飛びしている3枚のドアがコンコース。ドアを直進すると改札口だ。そこから右すべては運営側の施設。向かって左手にコンビニが続いているが、基本的には国鉄時代と変わらぬレイアウトだ。 待合室にはイスがたくさんあり、列車を待つ人がいる。地元らしい、長ズボンに黒いゴム長靴を履いたおじさんもいれば、時節柄(訪ねたのは12月29日)帰省客もいる。中学生や高校生もたむろしている。 駅というのは人が集まる場所である。いつまでいてもいいような、でも監視の目もある公共の場。そんな場所だから、鋳鋼製中高生が帰らずにだらだら話をしていても、とくに嫌な光景にはならない。一方、先日書いたような高架駅では人々がとりつく島がなく、監視の目もあってないがどときなので、非常に嫌な光景になる。そんな意味で、この糸魚川駅は昔ながらの構造が非常に好もしい空間を作り上げていた。 駅前に出た。真正面を見る。 この真正面の道路を真っ直ぐ先に見えているのは日本海だ。そして、その直線道路の両側には、雁木のある商店会。それも、シャッター商店街ではなく、店店に明かりが灯っている。 駅前のタクシーはほどほど。こぢんまりしたタクシープールがちょうど駅の規模にあっているように見える。 左にカメラを振る。 駅前に書店があり、ホテルがあり、地元の旅行会社がある。それらが現役であることのうれしさ。さらに左には、アヤシゲな店が入る雑居ビル。その店も現役。 右に振る。 駅前ロータリーにありがちな標柱と、その向こうにはラーメン屋やら駅弁屋やらが、変にこぎれいにならずに築数十年の建物で営業している。 これをさらに右に振ると「ヒスイ王国館」というテナントビル(?)があり、ヒスイやお土産を売っていたり、いくつかの飲食店が入っていたりする。いなかびていて、とてもいい雰囲気だった。 上の写真で「ラーメンとん太」の看板が出ているのは駅前旅館だ。 写真左の白い建物は建設会社兼県議会議員の事務所だった。いい感じじゃないですか? こうした雁木のある駅前商店街は、柏崎や六日町、十日町にもある。たぶん、ほかにもいっぱいある。 糸魚川がいいなと思ったのは、こうした商店街がみな営業しているということだ。昭和50年代かと思うような玩具店が2軒もあり(左写真はそのうち比較的明るいほう)、洋服店やスーパー、ヒスイ店もあった。だいたい、奥でおばちゃんがちょこんと座って店番している。だから冷やかしで入るには勇気がいる店ばかりではあったが、地元の人たちはきっとそんなことは気にしていなくて、「ごめんください」と言って戸を開けて入っていくのだろう。 いま「戸」と書いたが、ドアではない。ほとんどの店は手動の引き戸。商店・住宅問わず、雪国では、ドアではなく引き戸が多い。ドアは外側に開くため、もし雪がドアの前に積もると開かなくなってしまうのだ。私の実家の玄関も引き戸だが、それでも雪が吹き付けると開きづらくなったものだ。 こうした商店街が残っているのは近くに大規模スーパーがないからなのか。上越市か富山市にはでっかいのがあるけれど。それくらいの距離感だからなのか。どこかそういう都市があった気がするけれど、思い出せない。 こんな糸魚川駅前が、再開発されてしまう。詳細はこちら(以下の画像はすべてそこから引用)。 現在、駅「裏」に建設が進む新幹線高架橋を中心に新しく橋上駅として作り直し、いまの駅舎は解体、その分駅前広場が広がるのだ。印象としては、例によって「駅が引っ込んだ」ものとなる。 「南口駅前広場」としてロータリーが描いてある部分、ここは民家が建っていた。それを潰してまで、駅前広場を設け、接続道路を造るのか。 かつての米原駅のように、新幹線ホームだけプラスしたような構造にすれば、いまの「駅前」の枠組みを変える必要もなく、街の表情を変える割合がかなり少ないのに。橋上駅舎化・高架化で、いま明かりが灯っている駅前商店は、間違いなく暗くなってしまうだろう。人が歩かなくなるからね。最初から、奥に引っ込んだ新駅に行ってしまう。 この糸魚川の雰囲気を感じることができるのもあと1~2年と思う。夏に再訪したいと思っている。 (2014年2月1日追記) watanabejinさんが改築なった糸魚川駅と訪問されたレポートはこちら。駅前の雁木が! こういう変化の記録を個人ですべて残すことはできないけれど、連携すれば、何年後、何十年か後の人の役に立つのだろうなあと思う。 北陸新幹線糸魚川駅と煉瓦車庫 (糸魚川市大町) (追記ここまで) おまけのように跨線橋。 古レールが使われたプラットトラスタイプ。 内部はこう。 PR |
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