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ゴールデンウイークならまだ雪に埋もれていることもあるので5月31日ならちょうどいいかも…などと思いつつ、国道17号の旧道である境橋を見に行った。ところが、ちょっと遅かった。すでに緑に覆われていた。親柱は隠れ、欄干も埋もれていた。

これは、比較的「見える場所」まで行って撮ったもの。となると、初めて行ったとき(国道17号旧道 境橋(新潟県二居渓谷))は運がよかったとしか言いようがない。

先客がいた。老夫婦だった。山菜採りかと思いきや、この沢から水を引いているホースの点検に来たという。この近くに「流しそうめん」と書かれた店があるが、そのオーナーだった。親父さんは、かつてこの橋をクルマで走っていたそうだ。


こうしてときどき眺めにいくとして、あと何年、あと何十年、ここにこのまま残っているのだろうか。なにもなければ私がこの世からいなくなってもまだここに在り続けるとは思うけれど。

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井原の市街地にある、3連のボーストリングトラス。

北詰、親柱が、ボーストリングトラスとちょっと調和していない気がする。左には「ひよしはし」、右には「日芳橋」。

南詰。やはり左に「ひよしはし」、右に「日芳橋」。

縦桁、横桁ともに、魚腹型の補強材が添設されている。縦桁の方は溶接にも見える。部材の厚さがあって縦桁とも違うので、後年の付加か。横桁の補強は、板1枚だけでなく、長手方向に部材を添設し、強度を保っている。

東側に後付けされた歩道橋の銘板と塗装標記。
  • 日芳橋側道橋
  • 1982年1月
  • 岡山県
  • 立体横断施設技術基準(1978)
  • 使用鋼材:SM50Y、SS41
  • 製作.住友重機械工業株式会社
再塗装は1995年なので、架橋の13年だ。それから18年経っているが再々塗装はされないのだろうか。塗料の耐久性が上がっているから大丈夫なのかもしれない。





津和野町日原から北西、県道312号を国道488号に向けて走っていたら、突然、ボーストリングトラスが現れた。驚いた。これは津和野側(西)から益田側(東)を見ている。




これは逆、益田側(東)から津和野(西)。

いや、ボーストリングトラスではなく曲弦ワーレンかもしれない。曲弦ワーレンとされる松室大橋(日本橋梁製/1920)と見比べると、そっくりだ。

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↑これは松室大橋。
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益田側は県道312号と、旧国道488号の合流点。左下、\方向の道路が旧国道。いまは新道ができている。




…と思ってカシミール3Dで地図を見たら…。
2万5000分の1。黄色矢印がこの須川橋の場所。すぐ近くの地名は「須川(すごう)谷」なのでこの橋も須川(すごう)橋かと思いきや、「須川(すがわ)橋」だ(後述)。

地図が古い。行政地名はまだ「日原町」だ。こちらはまだ新道が記載されていない。赤い線はGPSログ、地図ほぼ中央、山の尾根で途切れているのが現在の新道のルートだ。調べると、この部分の数値地図は平成14年刊行のものが最新だ。(こちら

5万分の1に至っては、国道がない! 数値地図の仕様を見ると平成14年に要部修正となっているのだが、国道488号は1993年の指定なのだ。紙地図におけるその前の修正は平成3年(1991年)、それがそのまま数値地図化されているのだろうか。

閑話休題、須川橋。
益田側(西)。親柱はなく、向かって左に「匹見川」、右に「昭和45年3月竣工」。

右の端柱には銘板。
昭和31年(1956)
島根県改造
施行
高田機工株式会社

…「改造」? どこから持ってきたのだろうか。「改造」であるならば、1920年製の松室大橋と同じ桁をどこかから持ってきたという可能性も十分ある。

津和野側(西)から益田側(東)。

津和野側。向かって左は「すがわばし」、右は「須川橋」。「すごう」じゃないのか。



ボーストリングでも曲弦ワーレンでもどちらでもいい。知らなかった橋に突然出会えたことが嬉しい。


歴史的鋼橋集覧では「曲弦ワーレントラス」となっているが、ボーストリングトラスとの境ははなはだ曖昧な気がしてきた。どちらも部材の受け持つ力は変わらないはずだ。

松室大橋。「大橋」と名がつくが、現在の目から見ればごく小さな橋。国道434号から見下ろすと、対岸の中国電力錦川第一発電所のためかな…などとも思ってしまう。発電開始は大正13年。

東側から。手前に2スパンのI型桁(歴史的鋼橋集覧による)がある。左端、黄色いガードレールが山口県であることを物語る。

トラスはとても背が低く感じる。トラスは「柵」ではないのだが、端部はなんとなく不安にナル。

西側。銘板もある。

大正九年十一月
日本橋梁株式会社製作
大阪

銘板の周囲の黒い部分は、錆び。錆で1cm以上、銘板が浮き上がっている。クラックも錆で押し上げられたせいだろう。このまま行けば、いずれ、錆が原因で銘板が破損し、錦川に落下するに違いない。

垂直材は1パネルごとについている。

東側の端柱に塗装標記があった。

塗装年月 1992年3月
エポキシ樹脂錆止め 下塗り ハイポン20デクロ1回 
塩化ゴム系樹脂   中塗 ハイラバーEスーパー1回
塩化ゴム系樹脂   上塗 ハイラバーEスーパー1回
塗料会社名 日本ペイント株式会社
施工者   佐原塗装
塗装面積  598m^2

それにしても、塗装の落ち方だ。


奈良県の旧大塔村(現五條市)にある八郎橋。旧道倶楽部で永冨さんが記していたのをメモしておいたので、訪問した。ポニーボーストリングトラスかと思うが、ポニーゆえに橋門構がなく、よって曲弦トラスとの区別が難しい気がする。永冨さんも、サイト「橋の散歩道」も断定には慎重になっている。

北側。写真左は東側(山側)になる。山側は2011年の紀伊半島大水害での被害も大きく、その復旧工事がいまも進められている。その看板により、親柱は見えない。

見えているほうの親柱には「はちろうはし」。

すぐ横(山側)に歩道橋が架けられている。

桁の上部はじっくりと観察できる。垂直材は左右方向に膨れている。左右の垂直材が横桁とつながれ、その上に縦桁が走っているようだが、裏側に回り込むことはできないため、憶測。

南側から。こちらは親柱はない。

トラスを内側から。

全景を合成してみた。悩ましいプロポーションかもしれない。なお、銘板等はなかったと思う。




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