「境橋」については、『山さ行がねが』や『日本の廃道』で詳細に発表されているので、というよりも私はそれを見て現地に行ったのであるから、それ以上の発見はない。だから、単なる行ってきました的な写真掲載はしていなかったが、ドイツとロシアの上路ボーストリングトラスを見つけたのだから、ついでに紹介したい。
場所はここ。クルマですぐそばに行ける。地図では道があるようになっているが、写真のとおり、クルマは通れない状態になっている。 まずはその麗しい横姿。 山側で引けるのはこれくらい。17mmレンズでこれなので、通常のコンデジではここまで写し込むことはできないと思う。 撮影したのは午後3時過ぎ、位置的に、完全に逆光になる。なかなかつらい。 画面下部、中央やや右には、さらに前の世代の橋脚がある。ここにどのように道がついていたのかは、現地で見てもわからなかった。 角度を変えてみるとこのとおり。上路の曲弦ワーレンではなく、ボーストリングである。そして、下路式ゆえに、左右の桁をつなぐ部材が入念に張り巡らされている。この上路ボーストリングトラスを鑑賞するには、ここが重要だ。 鉄道の黎明期、ドイツに範をとった九州では、ドイツで普及していたボーストリングトラスが多数導入された。4種62連だったようだ(わが国におけるドイツ製鉄道橋梁 -歴史と現状- 小西純一・西野保行・淵上龍雄)。そのすべては下路である。ポニータイプもあった。このボーストリングトラスが早期に姿を消した理由はふたつあり、ひとつは設計荷重が小さかったためにその後の列車重量増大の妨げとなったこと、もうひとつは下路式では橋門構を設置することができないので、つまり橋の両端部で左右を結合することができないので剛性不足に陥る(根拠失念)というものだ。その点、後者の理由に対しては、上路式ならば対傾構を自由に設置することができる。これは、通常のトラス橋でも上路式が好まれる理由のひとつでもある。 裏面をのぞき込む。 上面はこのような状態。 角度を変えてみる。説明など不要だろう。 橋台付近には銘板がある。
昭和27年(1952)
新潟県建造 内示(昭和14年)一等橋 製作 株式会社横河橋梁製作所 この意味するところ、この場所に上路ボーストリングトラスが架けられた理由などはORJなどでヨッキれん氏とnagajis氏が考察済みなのでそちらを参照されたい。 <関連記事> PR |
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