8月11日(火曜)夜、新宿のネイキッドロフトで開催されたトークイベント「盗作かもしれない」に行ってきた。枡野浩一さんが司会で、丸田祥三さんと切通理作さんが話すというスタイルで行われた。
ロフトのコピーを転載すると、「廃墟写真の先駆者・丸田祥三が告白する、 “盗作かもしれない” 写真家・小林伸一郎との裁判のすべて!」とサブタイトルが付されていた。ある程度この問題に関心を持っていた人たちは、会場に足を運んだ人も、USTREAMで中継を見ようと思っていた人も、みなそうした話、もしかしたら暴露話や裏話、丸田さんの思いの丈を聴きに行き、それが話す丸田さんのカタルシスになれば……というように思っていたのではないだろうか。
テーマにある「盗作」とは、簡単に説明できないので、このまとめサイトをざっとご覧いただきたい。内容をどう考えるかは、読者諸氏にお任せする。
・小林伸一郎盗作廃墟写真疑惑/アサヒカメラ記事捏造事件
私はこの件に関しては把握しているつもりだった。ところが、そんなのでわかっていたつもりになっていたのが恥ずかしくなるような結末だった。盗作が許せないとか、そんなことではなかった。作家性とはなにか、人とはなにか、という話であった。
トークライブのアーカイブ
・USTREAM(前編)
・USTREAM(後編)
UST中継を見ていた人のツイート
・http://twitter.com/#search?q=%23masunoshoten
小林氏やその弁護士の行為がいかなるものかはUSTを見れば分かるので割愛する。一部、立場が変わればそれもしょうがないでしょう、と思うようなこともあるし、印刷物の限界からそれはしょうがないんですよ、と思うこともないではないが、そうした個々は本質ではない。
丸田さんが苦悩し、立ち上がったのは、自分の作品が亡きものにされようとすることへの抵抗だった。どこへいっても小林氏が先回りして「先駆者」と名乗っており、本当の先駆者である丸田さんが名乗り出ることが不可能となった。もちろん、丸田さんにとって「先駆者」であることに意味を求めているのではない。小林氏への評価が「廃墟の神にして先駆者」として固められている場合、丸田さんがそれより圧倒的に素晴らしい作品を持っていたとしても、もはや二番煎じになってしまっており、発表の機会すら奪われてしまっている。そうしたことに起因するさまざまなことへの抵抗だったのだ。
版元を通じて抗議をした丸田さんは、小林氏の代理人である弁護士からの「1ヶ月で連絡する」という回答ののち、1年待っても連絡などない間に写真業界からディスられ、写真家の名簿的なものから、名前も作品も削除されてしまう。かつて開いた写真展を、裁判の過程で、小林氏に「図録もないようなものは写真展ではない」と、存在しなかったことにされてしまう。
その写真展は、たしかに存在した。若き切通さんが受付をし、町山智浩さんがそこから丸田さんを見出した。そして丸田さんは世に出た。それが、変な立ち回りをされるおかげで、こうした人間関係と、関係者の思い出すべてが亡きものとされてしまう。これが許せない。盗作されたから感情的にむかつく、というようなことでは絶対にない。
丸田さんは言う。「作品を知って欲しい」。「名作は無記名である」という、誰かの言葉を引用し、丸田祥三という名前など憶えてもらわなくてもいいと言い切る。かつて、写真集の色味が、自分が納得いかないように調整された(*)とき、「名前など見えなくなってもいいから、作品のこの部分の色を出してほしい」と訴えたような人だ。この場面で、会場の人も、UST視聴の人も、ああ、そういうことだったのか、と思われたに違いない。
(*)あくまでわかりやすい例で言えば、モノクロ写真で、真っ黒な日陰部分と光源で色が飛んでしまっているものがあるとする。その場合、製版処理(写真をどのように印刷するかを決める工程。「印刷」というのは、「印刷」の限界を最大限に利用するために、原版に対してさまざまな調整が行われる)としては白地が飛ばないように、黒地がつぶれないように、コントラストを下げるなど、さまざまな調整をする。しかし、撮影者は意図して黒と白とのコントラストを出し、白飛び部分はわかってて白飛びさせているため、そのような修正をされることに不満を持つ場合がある。撮影者と印刷担当者の意見は対立することがあるため、そこを取り持つのは仲介者である編集担当者ということになろう。編集者が撮影者の意図をくみ取ることができ、写真のことや製版の処理、いまではデジタル処理のことがわからないと、この問題をまったく理解できず、仲介などできない。
丸田さんの作品を形容するのは「圧倒される」「圧巻」といった、「圧」という言葉だ。普通の写真集と異なり、ほとんどが広角で撮った作品ばかり。自分でも写真を撮るし、かつてはグラビア的なページ展開などもかなり担当していた私の印象では、題材にもよるが、基本的に望遠で撮ったもの を中心にすると組みやすく、さらに望遠を広角的に使ったものがあるとおさまりがいい。反対に、広角の写真ばかりでページを組むと、通常は散漫にしかならなかったり、まとまりがなくなったりする。ところが、丸田さんの写真集において、そんなことはまったくない。望遠で撮ったものが「圧」を持って迫り来る作品は多くあるが、広角で撮ったものがそうなるというのは、よほどのことだ。私はその作品を「見る」のではなく「鑑賞」する。作品の隅々まで読み取りたくなる。
ライブは休憩をとらずに2時間半ぶっ続けとなった。あっというまに22時だ。会場では写真集『棄景V』『棄景origine』が売られており、丸田さんは何人もの方にサインを記していた。帰宅してからUSTのツイートを見ると「写真集買うよ」というものがものすごく多く、amazonをチェックしてみたら、定価6892円もの『棄景origine』635位、3990円の『棄景V』が1303位となっていた。これはすごいことだ。
ライブ終了後、会場は普通の居酒屋となり、丸田さんはじめ何人かの方とお話をした。終電まで、イコール残った客の最終グループとなるまでいて、いろいろな話をうかがった。冒頭でカタルシス云々、でもそうじゃなかった云々、などとは書いたが、丸田さんもいろいろとお話をされたからだろう、すっきりされたようにお見受けした。
最後に、終了後も会場にいた人が誤解をしているといけないので、説明したいことがひとつある。この写真だ。
三頭山の例の場所に写っているのは中筋純さんだ。
中筋さんは、かつて『アウトライダー』の編集者であり、私が会社に入った頃には独立してカメラマンになっていた。1980年代か1990年代前半に、ツテをたどって堀淳一氏に会いに行ったような方であり、廃墟の先駆者の一人である。1990年代後半から『廃墟本』はじめさまざまな本を出されており(いまamazonで見えるのは、リニューアル版の別商品である)、いまでもロードムービーさながらにクルマで適当に走りながら被写体を見つけ、撮影してはまた走るというようなやり方を、1週間以上続けるような方である。一昨年に『廃墟チェルノブイリ』という、これまたものすごい写真集をものしたが、これも「チェルノブイリを撮りたい」という執念から、現地への立ち入りを手配し、単身乗り込んで、ガイガーカウンター片手に撮影に臨んだような方だ。
そんな中筋さんの写真が画面に出ていたので、私は「中筋さんも、丸田さんの写真を盗作したのだろうか?」と思ってしまった。中筋さんは、上述のとおり編集者からカメラマンになった方であり、誰かの弟子などではない。もし師に相当する方がいたとしても、時代的に小林氏では絶対にない。その頃の小林氏は、バブル的カタカナの物撮り風の作風だったのだ。
擁護が長くなったが、この中筋さんについては、先のとおり、常人には発想できない行為を多々見ており、くだらない盗作のような企てをしたり、それを隠したりするような方ではない。
ではなぜこの写真が大写しになっていたのか。それは、「この写真のアングル」が極めて丸田さんの作品に似ているのだ。中筋さんは被写体であり、撮影者ではない。つまり、この近影を写した人が……というニュアンスで大写しにされていたのだ。私はホッとした。
(2010.8.12一部修正)
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