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石北峠の西側にある信号場。もともと列車交換を主たる目的として設置された駅だろうが、1975年に信号場化された。駅に至るには留辺志部川をこの吊橋で渡らなければならない。


鋼製の小さな主塔がある吊橋。当然、関係者以外立ち入り禁止とされている。周囲は蕗が生い茂る。

とはいえ、現在もいくつかの列車がここで交換している。信号場としての機能は立派に果たしているのだ。

『日本の駅』(1972年、鉄道ジャーナル社刊)より、現役時代の上越駅。写真左は吊橋のケーブルだろう。木の櫓のようなものはなんだろうか。駅前に頑丈な橋はなかったと思われるので、駅の建設資材は鉄道で運ばれてきたのだろう。

現在は出入り口は閉鎖して窓がつけられ、外板は更新され、窓も外側にサッシを付加されている。

駅として現役時代、この吊橋部分がどうだったのか、見てみたい。

* * *

(2015年9月27日追記)

このブログをご覧になった、私が生まれる前から鉄道趣味誌をはじめ各方面でご活躍されている大先輩・寺田牧夫さんから、「『日本の駅』の取材に参加していました」とご連絡をいただいた。上に引用した(※)写真はまさに寺田さん撮影のものとのことで驚いたのだが、さらに、「架け替え前の吊橋」のお写真をご提供いただいた。



寺田さんによれば、取材のときのお話が、『毎日グラフ』1972年10月15日号で特集されているとのこと。そのなかの「シンドかった駅」の一つとして、上越駅が掲載されている。これは『日本の駅』とは別カットで、この項目冒頭の鋼製主塔の吊橋の先代の吊橋がみごとに写っている。

主塔は丸太、π型に組んで斜めに補強を入れている。床版はきちんと板が敷き詰められ、手すりもしっかりとついている。当時とて周辺には民家は皆無のようだ、もっぱら職員がクルマで街へ出るときに使ったものか。また、川側の柵もよくわかる。これは動物よけか、冬に囲いを作るためのものか。

この貴重なお写真をご提供いただいた寺田さんには心から感謝申し上げるとともに、次回お目にかかったときにはその取材のお話などをぜひおうかがいしたいと思う。1970年代の北海道の道路事情というのも、ものすごく興味がある。


●寺田牧夫さんのサイト---『轍楽の道』

貴重な写真が無数にあるのでぜひくまなくご覧いただきたい。個人的には、大好きな9600の全機の写真が掲載されているところがとても嬉しい。なお、サイト内の写真等への直リンクは禁止されているのでご留意を。また、『カメラと機関車』はデザインの観点でもとても貴重なページ。友人のデザイナーが、偶然にもこのページを話題にしていてとても嬉しかったことがある。

(※)「引用」と「無断転載」の線引きはいささか難しく、私は主たる自分の文章をさらに説明するために「引用」したと解釈していますが、この掲載についてお目こぼしいただいたことにも心より感謝申し上げます。


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