右側(右岸)が国道だ。主塔がギリギリまで川にせり出しているのがわかる。一方で対岸(写真の左側、左岸)は河川敷を挟んで主塔が建つ。 代替の橋がないのに歩行者専用というのは、おそらくかつては矢茂集落に至る唯一の道がこれだったのでクルマも通行できたのだが、伯備線のルート付け替えで不要となった旧線を道路化したために、この橋の重要度が相当低下してしまったものと推測する。 これは床版の横構にあたる部分(川の流れ方向)が、キングポストトラスなのだ。こんなものは初めて見た。しかし、現地で見えていなかったので、裏面を撮ってはいない。これも非常に悔やまれる写真だ。 PR 河川占用工作 設備名 澄川(発)千原えんてい吊橋 占用目的 橋梁(吊橋)のため 専用期間 平成●年4月1日から 平成21年3月31日まで 占用規模 79.58m^2 許可者 島根県益田土木建築事務所長 申請者 益田市幸町1-5 中国電力(株)益田電力所長 こういう、小規模な吊橋は、華奢で、でもシュッとしていておもしろい。 主塔は鋼製。トラス構造ではなく、アングル材をブレースとともに組んでいる。装飾的なものは一切ない。 写真は、穴藤の集落がある左岸から。この区間の国道は右岸である。なお、少し上流(南)には結東(けっとう)という集落もある。 穴藤ダムについては後日。
第一湯檜曽川橋梁の余録。情報は@yugao823さんからいただいた。この場所は何度も行っていたけれど、その頃は橋には興味などなかった。
謎しかない吊橋の水管橋である。 国道400号から東へ入ってほどなく、上の写真のように古い吊橋の主塔が見える橋がある。岩本橋。昭和39年竣功の橋だ。橋梁史年表によれば、この場所には1911年10月と1919年8月に橋が架けられている。形式は不明だが、1911年のものが8年後に架け替え(?)られているとすると、1911年のものは木橋、1918年のものはもう少し恒久的な橋か。とはいえ大正7年である。 東側の主塔。 |
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